2026年5月15日
東京都公立大学法人 東京都立大学
狭い部屋に閉じ込められるストレスにより オスの性欲が低下する仕組みを解明!
ポイント
・哺乳類ではストレス経験によりオスの性的モチベーション(性欲) が低下しますが、その機構は明らかにされていません。
・遺伝子操作が容易なショウジョウバエは、脳のストレス反応の研究に適しています。
・オスバエを狭い部屋に隔離すると(狭所ストレス)、ストレス後に性欲 が低下するため、メスへの求愛が著しく減少することを発見しました。
・ストレス経験後の性欲低下の持続には神経伝達物質ドーパミンを介した情報伝達経路が関与していました。
概要
ストレスは動物の種類に関係なく脳の働きに影響を与えます。哺乳類では、ストレスを受けるとオスの性欲が低下することが知られていますが、その脳内の仕組みは十分には解明されていません。東京都立大学大学院 理学研究科 生命科学専攻の坂井貴臣 教授らと米国University of Iowaの北本年弘 准教授の共同研究チームは、オスのショウジョウバエ(以下、ハエと略す)を狭い部屋に一定時間閉じ込める「狭所ストレス」によって、その後の性欲が低下することでオスの求愛行動が著しく低下することを見出しました (図1)。ストレスが脳内のドーパミン(注1)の働きを変化させることに着目し、詳しく解析した結果、求愛行動の低下が持続するためには、ドーパミンの合成・放出・受容が必要であることを明らかにしました。本研究は、ストレスによる行動変化の背景にある脳内メカニズムの一端を解明したものであり、今後、ストレス関連性機能障害の神経生物学的基盤の理解につながることが期待されます。
本研究成果は、2026年4月27日付けでCell pressが発行する学術雑誌「iScience」のpre-proofとして掲載されました。なお、本研究は科学研究費補助金事業(科研費)21H02528、21H00434の支援を受けて行われました。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202605149006-O3-0r04eGlt】
研究の背景
ストレスは、生物の体や心のバランスを大きく乱し、脳の働きや体内環境にさまざまな変化を引き起こします。ストレスを受けると、その影響は一時的にとどまらず、脳に長く残る変化として刻まれ、その後の行動や生理機能にも影響を及ぼします。実際に、ヒトを含む哺乳類では、ストレスは睡眠や感情、運動、摂食など幅広い行動に影響することが知られています。
性的行動もまた、ストレスの影響を受ける本能行動の一つです。ヒトやラットでは、強いストレスによりオスの性的モチベーションが低下することが報告されています。しかし、そのメカニズムについては十分に解明されていません。ハエは、遺伝学的ツールが豊富であり、脳の神経回路網の全容が明らかにされつつあります。したがって、ストレスが性行動に及ぼす影響の研究にハエを用いることができれば、そのメカニズムの解明に役立ちます(図2)。
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研究の詳細
本研究では、ハエを狭い空間へ閉じ込める(狭所ストレス)という新しいストレスモデルを導入し、その影響を詳細に解析しました。まず、成熟したオスバエをアクリル製の小さな容器(直径3 mm、深さ2 mm)に一定時間閉じ込めることでストレスにさらし、その後の求愛行動を定量化しました。ハエの全長が2~3 mmであるため、この容器内でハエは脚を動かして体軸を変えること、毛繕、摂食などができますが、自由に歩き回ることができません。10分のストレス経験では求愛行動に変化は見られませんでしたが、30分および60分のストレス経験後には求愛行動が有意に低下しました。
1時間の狭所ストレスを与えた後の求愛抑制は、1時間後までは持続しますが、2~4時間後には回復することも明らかになりました。一方で、より長時間(7時間や24時間)のストレスを与えると、求愛抑制は少なくとも5日間持続することが分かり、ストレスの長さが行動変化の持続性を決定する重要な因子であることが示唆されました。興味深い点として、この求愛抑制は単なる運動能力低下や食欲低下によるものではありませんでした。ストレス直後には運動量が低下するものの1時間後には回復し、また摂食行動には特段の影響が見られませんでした。したがって、ストレスを受けた後もオスの求愛行動が抑制され続けるのは、メスに対する性的な意欲が低い状態のまま維持されているためである可能性が考えられました。
次に研究チームは、この求愛抑制現象 におけるドーパミンの役割を検証するために、ドーパミン合成を阻害する薬剤(3IY)をオスバエに摂取させる実験や、ドーパミンの合成に関わる酵素であるチロシン水酸化酵素(TH)をノックダウン(注2)したハエを用いた実験を行いました。その結果、ストレス直後の求愛抑制はドーパミン非依存的に起こる一方で、ストレス後に抑制状態を維持するにはドーパミンが必須であることが明らかになりました。さらに、ドーパミンの放出を阻害する実験により、ストレス中あるいはストレス後のドーパミン放出を止めると、1時間後の求愛抑制が消失することが明らかになりました。このことから、ドーパミンは「求愛抑制の開始」ではなく「求愛抑制の維持」に重要であることが示されました。
ドーパミン受容体についても解析が行われ、Dop1R1、Dop1R2、Dop2Rという3種類のドーパミン受容体がストレスによる求愛抑制の持続に必要であることが分かりました。ハエ脳には、様々な感覚ニューロンの情報が統合されるキノコ体と呼ばれる脳領域があり、このキノコ体はハエの学習や記憶に重要な役割を担っていることが知られています。
多くの動物では、ドーパミンを介した神経伝達は様々な行動のモチベーションを調節することが知られています。これらの知見と我々の研究結果を踏まえて考えると、ストレスによりオスバエの性欲が低下してメスへの求愛行動が抑制されたと考えられます。さらに神経回路レベルの解析を実施した結果、PAMおよびPPL1というドーパミンを放出する神経細胞群からキノコ体への入力が、ストレス後の性欲低下の持続に必要であることが示されました。これは、ドーパミンが特定の回路を介して性欲を調節していることを意味しています。
以上の結果から、以下のようなモデルが考えられます:(1)狭所ストレスによりまずドーパミン非依存的な経路で性欲が低下し、(2)その後、ドーパミン神経が活性化されることで神経回路に可塑的変化が生じ、性欲低下状態が一定時間維持される(図3)。ストレスによる性機能低下という現象に対し、「ドーパミンによる維持機構」という明確な神経基盤を提示した点に本研究の新規性があります。また、ストレスの種類や持続時間によって異なる神経回路が関与する可能性を示した点も非常に重要な発見です。
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研究の意義と波及効果
本研究の意義は、「ストレスがどのようにして行動を変えるのか」という、生物学・医学において極めて重要であるにもかかわらず未解明な問題に対し、神経機序と分子機構の両面から具体的な手がかりを提示した点にあります。特に、ストレスによってオスの求愛行動が低下する現象について、その背景にドーパミン神経系の変化が関与していることを、モデル生物であるショウジョウバエを用いて示しました。したがって、これまで主に現象論にとどまっていた「ストレスと性行動の関係」に対して、分子・細胞レベルに踏み込んだ理解が進んだといえます。
さらに、本研究で確立された「狭所ストレス」という新しい実験系は、従来の強い拘束ストレスとは異なり、動物に過度な負担をかけずにストレス状態を再現できます。
波及効果としては、まず基礎科学の分野において、ストレスが脳にどのように作用するかという普遍的な原理の理解が進むことが期待されます。ドーパミンはヒトを含む多くの動物で共通して重要な役割を担う神経伝達物質です。したがって、ハエで明らかになった「ストレスによりドーパミン神経が活性化することで、オスの性欲が低下する」という仕組みは、ヒトを含む多様な動物種にも共通している可能性があります。 特に、ストレスによる意欲低下や行動変化のメカニズム解明に貢献すると考えられます。また、医学・臨床の観点からは、ストレス関連の性機能障害やうつ状態、意欲低下などの理解にもつながる可能性があります。ヒトのPTSD(注3)や慢性ストレスに伴う性機能低下の原因はまだ不明な点が多いですが、ハエを用いた狭所ストレスモデルは、将来的には、ストレスによる行動異常に対する新たな治療標的の探索や、予防・介入法の開発にも寄与することが期待されます。
用語解説
(注1)ドーパミン:多くの動物種に共通して見られる神経伝達物質。
(注2)ノックダウン:遺伝子の発現を抑制すること。
(注3)PTSD:心的外傷後ストレス障害。
論文情報
掲載誌:iScience
タイトル:Role of dopamine signaling in male courtship suppression induced by confinement stress in Drosophila
著者:Tomohito Sato, Rana Toyama, Toshihiro Kitamoto, Takaomi Sakai
DOI:10.1016/j.isci.2026.115906
URL:https://www.cell.com/iscience/fulltext/S2589-0042(26)01281-2