「M-1グランプリ」全15回審査基準の変遷から考える

「M-1グランプリ」全15回審査基準の変遷から考える
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高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]

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この文章は、『M-1グランプリ』の審査基準に、吉本興業所属かどうかは、入っていないとして稿を進める。
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『M-1グランプリ』は、2001年に島田紳助が「漫才への恩返し」と「漫才師を辞めるきっかけを与える」ことを目標に企画し吉本興業の主催で始まった。だがこれは、紳助さん特有の格好を付けた言い方で、もっとストレートに言えば目標は「新しい形のマンザイ師」を探すこと出会ったと思う。

1982年にフジテレビTHE MANZAI』が終了して以来、ビートたけし、島田紳助という面々は残ったものの、漫才ブームは終わり、冬の時代に再び突入した。紳助さんは、その理由が「新しい形のマンザイ師」ガ存在しないことだと考えた。少々売れるコンビは存在したものの、みな「かつてあった」もの、人まねであった。紳助さんは新しさの不在が歯がゆくてならなかった。

笑いを目指していた素人・長谷川公彦(島田紳助)は、衝撃的な2つの笑いに出会った。ひとつは1970~80年代に東京小劇場の笑いを引っ張っていた佐藤B作の劇団東京ヴォードヴィルショーと、のちに吉本をやめて東京に進出する島田洋七と洋八のB&Bである。紳助は芝居でこれだけ笑えるものを作れる劇団を見たことがなかったし、洋七のしゃべりのスピードには驚愕した。

紳助はじっくり2つを比べてみた。芝居はひとりでは出来ない。一方、洋七のスピードとネタなら自分にも出来る。しかも、新しくすれば良いのだ。だが、
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