ここへ来て、世界の主要自動車メーカーの業績が出そろった。それによると、トランプ政権の関税政策が、多くの自動車メーカーに重大な打撃を与えつつあることは浮き彫りになった。
自動車産業は、欧米諸国にとって経済を支える屋台骨といってもいいだろう。トランプ関税は、その屋台骨に大きなマイナスの影響を与えている。その影響は見逃がすことはできない。
来年3月期、わが国の自動車大手7社は、トランプ関税により営業損益が2.7兆円程度下振れすると試算される。その打撃は、経済産業省が自動車の購入時にかかる税金の廃止を検討するほど大きい。中でも、業況の悪化に苦しむ日産自動車は深刻だ。裾野の広い自動車メーカーの苦戦は、下請け企業や雇用などの問題を引き起こす懸念がある。
■盛り上がってきた賃上げムードに冷や水
現在のわが国の経済を見ると、自動車産業に代わる経済の牽引役はない。1990年以降、景気を支えたのは自動関連の企業群だった。1997年に、ハイブリッド車がヒットすると、高付加価値のエンジン部品製造に商機を見出す精密機械メーカーも増えた。
ところが、トランプ氏は“国家の緊急事態”を理由に、自動車や関連部品の関税の追加引き上げを行った。そうした措置は、日本や欧州メーカーに加えて、輸入比率の高い米国の自動車メーカーにとっても厳しい状況になった。
わが国の来年の春闘にも、マイナスの影響が出るだろう。賃金の上昇期待が盛り上がりづらくなると、勢いのない個人消費はさらに低迷するかもしれない。トランプ大統領の政策は、わたしたちの生活にも無視できない影響を与えることが懸念される。
■日産は上位陥落、ホンダ・スズキも苦境
1~6月期の世界の大手自動車メーカーの業績を見ると、主要メーカーにはかなり大きな影響が出ている。
まず、欧州勢は総崩れの状況だ。独フォルクスワーゲンの業績は悪化した。ドイツメーカーにとって、主力市場の中国経済の減速と競争激化に、トランプ関税が重なったインパクトは重大だ。2024年、同社の米国販売台数(105万7000台)のうち米国生産は20%だった。関税によるコスト増は深刻である。
かつて米ビッグスリーの一角を成した、ステランティス(旧クライスラー)はさらに厳しい。近年、需要が伸びた米国市場で売れる車を創出できなかった。
わが国では、一部のメーカーを除いて健闘しているといえるかもしれない。1~6月期、トヨタの販売台数は前年同期比7%増加した。トヨタと提携するスバルは同2%増だ。ただ、それ以外のメーカーは厳しい。日産の販売台数は同6%減の161万台だった。
グローバルベースの売り上げランキングでは、日産は初めてベストテンから脱落し、中国のBYDや浙江吉利(ジーリー)、ホンダ、スズキに次ぐ11位になった。米国市場で人気の高いハイブリッド車を投入できないなど、需要の高い車種を創出できなかったことが響いた。ホンダやスズキの販売台数も減少した。
■ライバル企業と手を組む「生き残り策」
中国では、SDV(ソフトウエア・デファインド・ビークル=ソフトウエアと結び付けた車)の開発を含む競争が激化している。現地メーカーが電動車を矢継ぎ早に投入している。政府のEV購入補助金政策で販売も増えた。
中国では、ファーウェイやシャオミなどIT先端企業も自動車分野に参入した。トランプ関税で主要先進国メーカーの業況が厳しい中、中国勢は世紀に一度と呼ばれる自動車業界の変革・競争を激化させている。
米国では、GM、フォード、テスラが苦戦した。4~6月期、関税の影響でフォードは最終赤字、GMの利益は前年同期比35%減だ。収益立て直しに、GMは韓国の現代自動車と大規模な共同開発に踏み切った。韓国からの輸出を増やし、業績改善につなげる方針である。
トランプ関税をきっかけに、生き残りをかけた自動車企業の合従連衡は急増中だ。ドイツでは、メルセデス・ベンツグループとBMWがエンジン分野での提携を協議中のようだ。スウェーデンのボルボは、いすゞと大型トラックの車体共同開発で合意した。乗用車事業の立て直し加速が狙いだろう。
■アメリカ国内でも警戒感が強まっている
「トランプ大統領の政策リスクはさらに上昇する」との経営者の警戒感は強い。
全米自動車労組(UAW)も、トランプ関税の水準は脅威だと批判している。トランプ氏が鉄鋼やアルミ製品の関税を引き上げたことで、米自動車関連企業の収益には追加的な下押し圧力がかかった。UAWはトランプ政権にさらなる対策を求めている。
しかも、今後、米国の労働市場は、トランプ氏の移民政策や関税政策によるコストの増加により減速する恐れが高い。トランプ大統領が、自身に近いFRB理事を増やそうとしている背景にも、労働市場が悪化するという懸念が高まっている焦りがあるだろう。
■専門家不在のまま、独断で決まる政策
これから、米国の失業率上昇が鮮明化するようだと、米国の自動車販売台数は減少するかもしれない。トランプ氏が、労働環境悪化は経済安全保障体制の緊急事態だと一方的に主張し、追加の自動車関税や新たな対策を発動する展開も想定される。
最大の懸念は、米国の自動車輸入の数量制限だろう。トランプ大統領は英国に、10%の関税率で米国に年10万台を輸出できる枠を設定した。数量制限が発動されると、企業はその枠の中でしか米国に輸出できない。対抗策に自国産業の保護を重視する国は増える。
注意すべきポイントは、トランプ氏が政策運営の専門家を側近に置いていないことだ。文字通り独断で米国の政策を決めている。閣僚や事務方に必要な情報は伝わらず、米国政府・行政機関は混乱に陥った。8月28日、赤沢亮正経済財政・再生相の訪米が急遽中止になったのもそのためとみられる。
その中で、関税引き上げや数量制限、原産地確認の厳格化などが出されると、世界経済が一層混乱することは避けられない。
■自動車産業558万人の雇用はどうなる?
今後、トランプ氏が対日自動車輸入の数量規制を持ち出すと、わが国経済への影響は極めて厳しくなる。数量規制が導入されると、自動車メーカーが自助努力によって対米販売を増やすことができなくなる。
ここから、リスク分散のため、サプライチェーンについて地産地消体制を拡充する企業は増えるだろう。エンジン車からEV=電動車、さらにはSDVと全方位型戦略の重要性も高まる。
そうした流れにより、国内から海外へ、自動車の生産拠点、供給網の移転、再編は加速度的に進むだろう。それは結果として、わが国の雇用・所得機会が海外に染み出すことになる。
自動車産業の裾野は広い。一部の調査では、国内大手自動車10社のサプライヤーは6万8000社を超えるという。日本自動車工業会の資料によると、関連分野の従業員数は約558万人と推計され、わが国の雇用に占める割合は8.3%に達している。
■「基幹産業」の苦境は国民生活に直結する
しかも、過去30年以上、自動車関連分野がわが国を引っ張った。精密機械分野の国際競争力向上なども、自動車製造技術の向上に押された部分が多い。日本経済は“自動車一本足打法”と指摘する経済の専門家がいる。
トランプ大統領が関税引き上げや、数量自主規制などを要請すると、わが国の自動車業界の業績悪化は避けられない。中小の部品や金型メーカー、輸送業者への打撃も大きくなる。自力での事業運営に行き詰まる事業者は増えると懸念される。
足許で高値圏にある株価の調整も起きる可能性がある。大企業と中小企業の賃上げ余力の格差がなかなか縮まらない中、自動車業界の業況が悪化すれば、賃上げは難しくなりそうだ。雇用・所得の不安が高まるかもしれない。
一方、わが国の人手不足は深刻化する。物価に押し上げ圧力がかかりやすい状況は続く。そうした状況下、名目賃金の上昇ペースが鈍化すると、生活負担の高まりをこれまで以上に痛感する消費者は増えるはずだ。トランプ政策のリスクの高まりによる自動車業界の業況悪化は、わたしたちの日常生活に直結する問題であることは間違いない。
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真壁 昭夫(まかべ・あきお)
多摩大学特別招聘教授
1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学院教授などを経て、2022年から現職。
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(多摩大学特別招聘教授 真壁 昭夫)