子は親を選べない。「親ガチャに外れた」と嘆く人はどうすればいいのか。
獨協大学教授の和田一郎さんは「親の貧しさがそのまま次の世代にも引き継がれるアメリカやイギリスと比べて、日本は親の影響をそれほど強く受けない。個人の努力や才能で十分に逆転が可能だというデータがある」という――。
※本稿は、和田一郎『大人になっても消えない重荷を抱える人のための 生きづらさの手放し方』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■幼少期の辛い体験が学歴に与える影響
親のアルコール・薬物問題、極端な貧困、養育放棄といった小児期逆境体験(Adverse Childhood Experiences:ACEs)は、大人になってからの「社会的な立ち位置(社会経済的地位)」にまで深い影を落とします。
世界中の研究が示しているのは、「過去の傷が重いほど、社会的な成功の道のりを歩むのが難しくなる」という現実です。ここでは、その「不利の連鎖」がどのように起きるのか、3つのドミノ(学歴・雇用・所得)に分けて解説します。
学歴のドミノ
現代社会において、人生の選択肢を広げる最初の鍵は「学歴」です。
しかし、ACEsサバイバー(親の貧困や養育放棄などに直面する子どもたち)にとって、学校生活を全うすることは想像以上に困難なミッションとなります。多くの研究が、ACEsスコアが高い子どもほど高校を中退したり、大学進学をあきらめたりする確率が高いことを示しています。
これは決して「勉強ができないから」でも「やる気がないから」でもありません。
繰り返しますが、原因は「リソース不足」にあります。
家庭内で常に暴力や暴言にさらされている子どもは、生き延びるために「警戒モード」に全エネルギーを注ぎます。
安心して眠ることもできない状態で、教室で先生の話に集中し、大切なことを覚えることができるでしょうか?
彼らは生存本能として、「学習」よりも「防御」を優先しているのです。その結果、学業成績が低迷し、進学の道が狭くなってしまうのです。これは本人の怠慢ではありません。
■良い条件で働けない、働き続けられない
雇用のドミノ
学歴の壁はそのまま就職の壁になりがちです。特に日本社会において顕著なのが、非正規雇用率の高さです。
日本の研究でも、小児期に逆境を経験した大人は、そうでない人に比べて、不安定な雇用形態(派遣社員、アルバイト、あるいは失業状態)に留まるリスクが有意に高いことが明らかになっています。
さらに、就職できたとしても、「働き続けること」自体に困難を抱えがちです。
ACEsの後遺症である「対人関係への過剰な警戒心」や「感情コントロールの難しさ」は、職場での人間関係トラブルを引き起こしやすくします。
上司の何気ない注意でパニックになったり、同僚の視線が怖くて出勤できなくなったりして、早期離職を繰り返してしまう。その結果、キャリアを積み上げることができず、不安定な立場から抜け出せなくなってしまうのです。
■貧困家庭の子が持つ「ハンディキャップ」
所得のドミノ
低い学歴と不安定な雇用。この2つのドミノが倒れた先にあるのは、「低所得(貧困)」という現実です。
特に、ACEsスコアが4点以上の人は、0点の人に比べて、生活に必要なものを購入できる収入を得られない貧困線以下の生活を送るリスクが数倍に跳ね上がります。
日本においても、ACEsサバイバーは経済的に苦しい地域に住む割合が高く、十分な収入を得られていない傾向が確認されています。
親の貧困や虐待によって子どもの成長発達が阻害され、学力をはじめとする能力や才能が伸び悩む。その結果、学歴が低いだけでなく、自分にあった適切な仕事に就けず、貧困に陥る。そして、そのストレスが自分の子どもへの不適切な関わりにつながっていく……。
これこそが、「貧困の世代間連鎖」の正体であり、その中心にはACEsというメカニズムが存在しているのです。
以上のことからわかるのは、ACEsサバイバーは、人生というマラソンにおいて、単にスタート地点が後ろだっただけではないということです。走っているコースそのものに、「集中力を削ぐ障害物」や「崩れやすい道路」などが次々と現れるような、構造的なハンディキャップを背負わされているのです。
■貧困と虐待が複雑に絡み合う「蟻地獄」
「貧困家庭だから虐待が起きるのか」、それとも「虐待を受けたから将来貧困になるのか」。この議論はよくなされますが、最新のデータが示すのはより複雑な状況です。それは「両方が同時に起き、互いに悪化させ合う(負の相乗効果)」です。
ACEsと社会的困難は、別々の問題ではありません。
これらは複雑に絡み合い、一度絡み合ってしまうと解きほぐすのが極めて困難な蟻地獄を形成します。
ここでは、それが起きるメカニズムを3つの段階で解き明かします。
まず、経済的な困窮は、それ自体がACEs発生の強力な温床です。
貧困家庭の子どもは、そうでない家庭の子どもに比べて、複数のACEsにさらされるリスクが圧倒的に高いのです。どうしてでしょうか。
それは親の愛情不足ではなく、「認知リソースの枯渇」と言われています。
「明日の家賃が払えない」「食費がない」という極限のストレス状態は、親の脳の処理能力を奪います。心の余裕が物理的に奪われた状態では、子どもの泣き声や小さな失敗に対する許容度が極端に低下し、衝動的な暴力や、子どもに関心を向けられず、ネグレクトが引き起こされやすくなるのです。つまり、貧困という環境が、親から不適切な養育を引き出す「トリガー」になっています。
■幼稚園の段階ですでに言語・計算スキルが低い
さらに、ACEsを経験した子どもが大人になったとき、そのトラウマが貧困からの脱出を阻みます。貧困から脱出するためには、長期的な計画を立て、感情をコントロールし、粘り強く努力する力が必要です。
しかし、ACEsはこの実行機能の発達を阻害します。

ある研究では、ACEsを経験した子どもは、幼稚園の時点ですでに言語・計算スキルや注意力が平均より低く、その後の学業不振につながりやすいことが示されています。このように、教育の機会を逃し、大人になっても「計画が立てられない」「対人関係でトラブルを起こす」といったハンディキャップを抱えることで、安定した職に就くことが難しくなり、結果として貧困層に留まらざるを得なくなる。これがACEsによる「貧困の固定化」メカニズムです。
■「努力不足」だけでは片づけられない社会構造のエラー
さらに恐ろしいのは、この2つが組み合わさったときの「相乗効果」です。
ACEsと貧困の両方を経験すると、その悪影響は単なる足し算ではなく、掛け算・指数関数のように爆発的に増大します。
イギリスの大規模調査は、次のような衝撃的な事実を明らかにしました。
ACEsがなく、経済的に豊かな層の健康リスクを「低」とすると、ACEsだけ、あるいは貧困だけがある層のリスクは「中」、ACEsと貧困の両方がある層のリスクは、それらを遥かに上回る「極大」レベルに跳ね上がります。
この理由として、貧困は「トラウマからの回復に必要なリソース(安全な住居、栄養、専門的なケア)」を奪うからです。傷ついた心を癒やすための物資さえ買えない状況(貧困)で、傷口は拡大し続けます。そしてその痛みで動けなくなり、さらに貧困が悪化する。
この「リソースの欠如」と「ダメージの蓄積」の悪循環こそが、ACEsサバイバーを苦しめる生きづらさの正体だと思います。
ACEsサバイバーが困難に直面している原因は、個人の怠慢ではありません。

「トラウマが貧困を呼び、貧困がさらなるトラウマを生む」という、個人の努力だけでは断ち切れない構造的なシステムのエラーです。
だからこそ、個人の回復力に頼る精神論ではなく、この悪循環の鎖を外側から断ち切るための「具体的な介入(環境調整)」が必要なのです。
■英米と比べて日本は「人生大逆転」が可能な国
ここまでを読んで、もしかすると読者の皆さんは「もう手遅れだ」「こりゃダメだ」と落ち込んでいるかもしれません。
しかし、ここで私は、研究者として次のことを伝えたいと思います。
それは、これまでの経済データや教育統計を冷静に分析すれば、日本は先進諸国の中でも、「過去の逆境を跳ね返し、逆転することが可能な社会」としての稀有な特徴を維持しているということです。日本は、一度落ちたら這い上がれない社会ではありません。その科学的根拠を提示しましょう。
経済学には「グレート・ギャツビー・カーブ」と呼ばれる有名なグラフがあります。これは「親の所得が、子どもの所得にどれだけ強く影響するか(世代間所得弾力性)」を国別にプロットしたものです。この分析において、アメリカやイギリスは「親が貧しければ子も貧しい」という相関が極めて強い「階層固定化社会」に位置します。対して日本は、それら諸国と比較して、世代間の所得移動が起きやすい(親の影響が決定的ではない)グループに位置しています。
つまり、日本ではアメリカやイギリスほど「貧困が世襲」されていません。
これは、個人の努力や才能次第で、親の経済階層から脱出し、より高い社会的地位を獲得できるチャンスが、構造的に残されていることを意味します。
■高い教育の質が担保された公立学校、栄養満点の学校給食
なぜ、日本は格差の固定化を防げているのでしょうか。その最大の要因は、世界に誇る「公教育の質」にあります。
OECD(経済協力開発機構)が行う国際学習到達度調査(PISA)には、「社会的レジリエンス」という指標があります。これは、「社会経済的に不利な家庭環境にありながら、成績上位に入った生徒の割合」を示すものです。
日本のこの割合は、OECD加盟国平均を大きく上回り、世界トップクラスです。アメリカでは、家庭の貧富がそのまま学力差に直結しますが、日本ではどの地域の公立学校に通っても、一定水準以上の質の高い授業が保証されています。さらに、安価で栄養バランスの取れた学校給食制度は、貧困家庭の子どもの脳の発達と健康を物理的に支える、世界でも稀なセーフティネットとして機能しています。
日本の学校システムは、家庭のACEsがもたらすダメージを、社会の力で「中和」し、逆転のチャンスを与える巨大な防波堤なのです。ただし、それが揺らいでいるのも現状です。
■最強の「社会インフラ」が逆境を乗り越えさせてくれる
さらに、健康面での「逆転可能性」も見逃せません。
ACEsは体を蝕みますが、日本には国民皆保険制度があります。アメリカでは貧困層が無保険のために軽症を重症化させてしまうのに対し、日本では所得にかかわらず高度な医療にアクセス可能です。
実際、日本の健康格差は他の先進国に比べて比較的小さいことが、多くの公衆衛生研究で示されています。ACEsサバイバーであっても、適切な医療につながることで、病気の発症や重症化を食い止めることができる。
この「生存の保障」が、人生を立て直すための強固な土台となります。
もちろん、日本にも格差はあり、生きづらさは存在します。しかし、日本は生まれた環境ですべてが決まってしまう「決定論的」な社会ではまだありません。
「高い教育的流動性」「国民皆保険」「治安の良さ」。これらの社会インフラは、ACEsサバイバーが逆境を乗り越えるために先人たちが築き上げた、強力な武器です。これは私たちが戦争を経験して復活をしてきた証拠でもあります。ですから私は希望を持っているのです。
あなたが今、この本を手に取り、学んでいるという事実そのものが、日本の教育システムが機能し、あなたが逆境を跳ね返す力を発揮している何よりの証拠です(あなたが字を読める、本書を理解できるというのは教育の成果です)。

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和田 一郎(わだ・いちろう)

獨協大学教授

社会福祉士、精神保健福祉士。筑波大学大学院人間総合科学研究科修了。博士(ヒューマン・ケア科学)。茨城県職員として福祉事務所や児童相談所等に勤務。2013年度より社会福祉法人恩賜財団母子愛育会日本子ども家庭総合研究所主任研究員として研究活動を始め、2022年より獨協大学国際教養学部教授。専門はデータサイエンス、子ども論、社会福祉マクロ政策など多岐にわたる。

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(獨協大学教授 和田 一郎)
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