※本稿は、楊海英『未完の中国文化大革命』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■習近平「中国の夢」の完成
毛沢東は、『毛語録』のなかで「中国こそが地球を管理する」と述べ、紅衛兵はそれを信じていた。北京が世界革命のセンターだ、とも強調していた。それまではモスクワがセンターだった。
現在、習近平も毛沢東に倣(なら)ってそう考えているのかもしれない。国内の諸民族を弾圧し、周辺地域に中国人すなわち漢人を送り込んで民族浄化(エスニック・クレンジング)を図る様は、毛沢東が夢見て未完に終わった文化大革命の「継続」といってよい。
じつは、習近平にとって毛沢東は父親を粛清した人物である。父親の習仲勲(しゅうちゅうくん)は中国共産党の中央政治局委員など歴任した幹部だが、文化大革命期の早い段階で毛によって劉少奇一派と批判され、粛清された。毛の死から2年後の1978年まで1年間も拘束されるほどの迫害を受けた。
粛清後、当然ながら息子の習近平も中南海の高級住宅から追放されて紅衛兵にもなれず、ただの都市青年として陝西(せんせい)省に下放された。
私の研究と分析によれば、習仲勲が倒されたのは決して彼が劉少奇一派だったからではない。
1935年秋、彼らが国民党軍に敗れて陝西省延安にたどり着いたとき、陝西省にはすでに別の共産党があった。そのリーダーの1人が習仲勲である。
■北方共産党幹部たちの謎の死に触れた小説
北方共産党と南方共産党の2つの派閥は3年まであまり接点がなかった。加えて、中国の地域差は大きく、陝西省と湖南省の方言はほとんど通じないほどだ。
それでも、みな共産革命を信じていたので、北方共産党は逃亡してきた毛沢東ら南方共産党のメンバーを受け入れたのである。
しかし、しばらく経つと習仲勲だけを残して、劉志丹など他の北方共産党幹部たちが相次いで偉の死を遂げた。やはり、北方共産党のトップだから習仲勲だけは生き残らせたのだろう。中華人民共和国成立後も習仲勲は国務院副総理まで昇格した。
1960年代初期に、小説『劉志丹』が出版された。それは陝西省共産党がいかに革命を成し遂げたかという内容だった。出版直後、毛沢東の下で情報部長を務め、党内のスパイ摘発で工作を数多く仕掛けた康生(こうせい)らが、毛に「この小説が広まるのはまずい」と会議中にメモを渡した。
メモを見た毛は即座に「小説を利用して党に反対する人間が新たに現れた」と発言した。その直後に習仲勲は失脚した。
というのも、その小説『劉志丹』の中で北方共産党幹部たちの謎の死に触れていたのだ。要するに、北方共産党が受け入れたにもかかわらず、権力を握りたい南方共産党が暗殺を仕掛けたという物語だ。全員を殺すと地元の反発も強まるから、習仲勲だけは残したというわけだ。
■毛沢東から文化大革命を引き継ぐ習近平
父の故郷に下放された習近平は、陝西省の地元農民から温かく見守られて成長した。下放先で共産党党員となり、党支部書記を務めるなど出世をしていく。私は陝西省北部で農村調査をしたことがあるが、中国でも極貧の地域である。
地元の人びとは皆「劉志丹」という民謡を歌い、「毛沢東はこの地で反攻のきっかけを得たのに、『皇帝』の座に就いたら見向きもしない恩知らずだ」と証言していた。そのため、習近平を強力に支えたのだ。
文化大革命の終息後、習仲勲が名誉回復し、刑務所から出たとき、習近平も陝西省から戻り、親子ともども政界に復帰した。
習仲勲は共産党の中でも開明的な人物だったので、「二度と文化大革命を起こしてはいけない」「文化大革命的な政治手法を取ってはいけない」と繰り返し言っていたのに、息子の習近平は今、文化大革命的な政治を進めようとしている。
やはり、毛が述べた「中国こそが地球を管理する」という考え方に共鳴し、革命の継続を決意しているのではないだろうか。
毛沢東によって父が長年の迫害を受けたにもかかわらず、その毛の政治路線を引き継ぐ習近平である。習近平にとって、習仲勲は生物学的父で、毛は精神上の父である。生物学上の父を裏切り、思想上の父に帰依することで、文化大革命を中国に蘇らせたのである。
そういう意味でも、文化大革命は終わったのではなく、現在も続いているということだけは知ってほしいと願う。
■自由で平和だった中華民国
中国の政治はいつの時代も歴史を引き合いに出し、「文化大革命的」改竄(かいざん)と操作を加える。ただし例外は、非漢族の王朝である。たとえば満洲人が率いた清朝はユニークで、文化大革命的な政治手法を必要としていない。
というのも、賢帝として知られる康熙(こうき)帝、乾隆(けんりゅう)帝は漢語、モンゴル語を使いこなし、漢人以上に漢籍に詳しく、漢文も見事だったので、漢人知識人も従わざるをえなかった。自ら古典、漢籍を自在に駆使して圧倒できたので、わざわざ歴史カードを持ち出すまでもなかったのだ。
そのためかどうか、清朝の後継国家である中華民国は短命だったが、自由で平和的だった。中央政府が独裁的にならず、法律を守り、言論の自由があって、暴力もあまり使われなかった。
清朝が倒れ、中国人の孫文が大統領として君臨したときは、革命に伴う血なまぐさい闘争が繰り広げられた。清朝の政治体制がよかったから、各地の満洲人を殺害したあとの権力移譲、中華民国成立もスムーズだったのだろう。現在の台湾の自由主義と民主化は、その血が流れていればこそだ。
モンゴル人の大元(だいげん)ウルス(国家)では、そもそも中国風の文化大革命的ゲームに興味がない。さまざまな国家や民族を傘下に入れた巨大政権であり、中国文化に取り込まれることもない。
民族固有の支配体制を守っていたので、漢人と文化抹消のゲームをする必要などなかったのである。
元朝時代の出版文化がそれ以前の宋と、それ以降の明以上に栄えていた事実がその真実を伝えている(宮紀子『モンゴル時代の出版文化』ほか)。
■「中国の夢」とは「文化大革命の完成」
いつの時代もどこの国でもジェノサイドは起こるが、その殺し方、殺す理由付けが、いかにも中国的で「文化大革命的」である。毛の個人的資質が影響している面もあろうが、その政治的手法は決して毛独自のものではない。
毛は事あるごとに秦の始皇帝や明朝の初代皇帝・朱元璋(しゅげんしょう)を持ち出して、粛清と弾圧を繰り返したこの皇帝のように敵を徹底的に粛清することを正当化する。それが文化大革命的である。
また、文化大革命を清算しようとしても徹底的にできないから、不十分な名誉回復しかかなわず、何かを隠させざるをえなくなる。
すると不満をもつ人が出てくるから、文化大革命的な粛清をする。その政治手法が繰り返されていくわけだ。これは中国の歴史の反復現象である。結局、徹底的な清算は王朝交替しかない。
したがって、共産党王朝が続くかぎり、文化大革命は繰り返される。習近平国家主席が掲げる「中国の夢」とは、すなわち「文化大革命の完成」であり、現代の中国もまた文化大革命の最中にある、といえるのだ。
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楊 海英(よう・かいえい)
静岡大学教授/文化人類学者
1964年、南モンゴル(中国・内モンゴル自治区)出身。北京第二外国語学院大学日本語学科卒業。1989年に来日。国立民族学博物館、総合研究大学院大学で文学博士。2000年に帰化し、2006年から現職。司馬遼太郎賞や正論新風賞などを受賞。
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(静岡大学教授/文化人類学者 楊 海英)

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