都内の戸建てに住む60代の夫婦はとても勤勉で、幸せな家庭を築いたはずだった。だが、平均寿命までの残り20数年の人生には暗雲が垂れ込めている。
FPの村井英一さんが、その原因を取り除ける家計維持の戦略を提案したが、計画はすぐに暗礁に乗り上げてしまった――。
■コロナ禍がきっかけだった
各地の保健所や家族会などに呼ばれ、「働けない子どもの生活設計について」というテーマで講演をしています。ひきこもりや障害などで働けないお子さんを持つご家族向けに、生活設計や資金計画などについてお話しています。それを聞いた人が後になってご相談に来られることもあります。今回ご相談に来た父親もそんな一人でした。
ご相談者の鈴木勝さん(仮名、61)のひとり息子の隼人さん(仮名、28)は、大学入学後にコロナ禍となり、授業のほとんどがリモートになってしまいました。将来への不安から部屋に閉じこもることが多くなり、コロナ禍が落ち着いてからも、外出を避けるようになりました。
もともと人づきあいが苦手で、高校の頃には不登校になったこともあるぐらいで、積極的に外に出るほうではありませんでしたが、コロナ禍をきっかけにひきこもり気味になってしまったようです。そのまま就職活動をすることもなく、何とか大学は卒業できましたが、フリーターのまま月日が経過してしまいました。
■父親は定年を迎え、再雇用で収入減少
けっして外出できないわけではなく、精神疾患を患っているわけではないので、障害年金を受給することはできません。幸い、父親の収入が比較的多かったため、生活に困る心配はありません。しかし、すでに父親も定年を迎え、再雇用で収入は減少しています。

両親は極めて勤勉で、現状、妻(60)のパート収入を含めた世帯の手取り年収は550万円で、支出は年約330万円ですが、両親はいずれ仕事をやめ、年金暮らしとなり、他界する……と考えると、一刻も早く自立してほしいのが本音でしょう。
◆相談者の家族構成

相談者:鈴木 勝さん(仮名)61歳(会社員)当事者の父親

家族:母親 容子さん(仮名)60歳(パート主婦)

長男 隼人さん(仮名)28歳(無職)兄弟姉妹はなし
◆資産

・貯蓄額:約3400万円(退職金を含む)

・自宅は持ち家(戸建て)
◆収入

・父親の給与収入(正社員勤務先で再雇用:手取り額):概算450万円/年

・母親の給与収入(パート:手取り額):概算100万円/年
◆支出

・生活費:年額約284万円

・住居費:年額約44万円

■「マンションを買って自立させたい」
子どもが部屋に閉じこもるようになり、父親は私の講演会に参加したそうです。講演の中で、「可能であれば、親が子のためにマンションを購入して、早めに別居するのもよい」との話を聞いたのを思い出して、具体的に検討してみようと、私のもとに相談に来たのです。父親は開口一番、こう言いました。
「先生の講演を聞いて感銘を受けました。退職金が入ったので(退職金を含む資産は3400万円)、その資金で息子にマンションを購入して、自立させたいと思います」
私が話した趣旨は、別居したほうが子は自立しやすいということではありません。別居をきっかけに自立できるケースもありますが、必ずしも自立につながるというわけではありません。
ただ、別居にチャレンジするのは悪いことではありません。なぜなら、親との同居がずっと続くと、子の自立のきっかけを逸するだけでなく、別のデメリットもあるからです。
それは、親亡き後にも、庭付きの戸建てや、3~4人向けのファミリー向けマンションといった親所有の広めの自宅に、残された子どもがたった一人で住み続けるパターンが多くなること。そうなると広さがもったいないため、子が早めに一人暮らし用のマンションに移り住み、親亡き後は自宅を売却するなどしたほうが、資産の有効活用になるケースもある、とご紹介しています。
■計画はすぐに暗礁に乗り上げた
父親の言葉を受けて、私はこう後押しをしました。

「一人暮らしをしたからといっても、働くことができなければ自立することはできませんが、それでも今のご自宅に一人で住み続ける事態を避けるには有効な策だと思います」
私の講演を聞いて、実行に移したいとご相談に来てくれたわけですから、私としてはぜひとも力になりたいと協力を申し出ました。そこで、物件のご希望を伺い、物件探しをするとともに、資金シミュレーションの作成を手掛けました。
しかし、この計画は残念ながらすぐに暗礁に乗り上げることになってしまいました。なぜでしょうか。
30歳手前という隼人さんの年齢を考えると、長く住み続けられるように、できれば新築がよい。また、両親の自宅から近いところだと安心。といった条件で物件を探しましたが、昨今は一人暮らし用のワンルームマンションであっても、かなり価格が高騰しています。
そこで、中古でも、少し不便な場所でも……と条件を落としていきましたが、それでも都内だと3000万円前後もしてしまいます。
父親はすでに退職金を受け取っており、ローンを組まずに購入することも可能ですが、それだけの資金を投じると、かなり貯蓄が減ってしまうことになります。
親としては、マンションを購入することでひきこもりの「子どもとの同居」から解放されるものの、隼人さんが一人暮らしを始めると、そのための生活費も出さねばなりません。子どもと親自身の別々の生活費を合わせると、同居より割高になってしまいます。
■シミュレーション①マンション購入編
<設定条件>

・ 父親も母親も65歳でリタイア。
(年金の手取り額は父親が230万円、母親は109万円)

・ 親は84歳、母親は89歳で他界。

・ 子ども本人の収入0円。老後は老齢基礎年金を受給する。

・ 1年後に子のワンルームマンションを購入する。購入費用は、購入時の諸費用も含めて2650万円。

・ 別居開始(2年後)から子の生活費(月額7万円)を計上し、自宅での生活費は3割減少する。

・ 24年後に父親が亡くなると自宅の生活費は5割減少し、30年後に母親が亡くなると自宅の生活費はなくなる。

・ 両親の他界後に、自宅を売却する。売却収入は諸費用を差し引いた手取り額で2700万円。

・ 上昇率は、収入は年1.5%、生活費年2.0%、住居費年1.0%。貯蓄はすべて預貯金で、利率0.5%。
鈴木家のケースで細かくシミュレーションをしてみると、隼人さん向けの生活費の出費が響いて家計は万年赤字で、隼人さんが40代前半で、両親の貯蓄が枯渇してしまう悲劇的な結果になってしまいました。
事実上の生活破綻です。
仮に、その苦境を乗り越えたとしても、母親が亡くなった後(隼人さん58歳の頃)に自宅を売却して貯金がいったん増えても、65歳から国民年金のみの収入に頼る隼人さんが60代後半には再び枯渇します(買い与えたワンルームマンションの費用は2600万円に設定。自宅の戸建てを2700万円で売却する設定)。
両親の立場とすれば、相談を受けた当初3400万円あった貯金はそのほとんどがワンルームマンション購入費用で消えるのに加え、住んでいた戸建ての自宅も隼人さんの生活費捻出のために売却を余儀なくされたにもかかわらず、子どもは結局、60代後半で生活破綻の危機に瀕する。まさに踏んだり蹴ったりです。
ただ、逆転シナリオもあります。現在28歳の隼人さんが途中で奮起し、働き始めることができた場合は別です。60代後半で破綻することなく生活を維持できるはずです。もちろん、そういう奇跡が起きるかどうかは、隼人さんの行動次第です。
■シミュレーション②マンション購入しない編
では、ワンルームマンションを購入せず、このまま親との同居を続けた場合はどうでしょうか。同居を続けた場合は、親亡き後は隼人さん一人でその自宅に住み続けることになります。
<設定条件>

・ 子どものために新規にマンション購入はしない。
現在の同居を続ける。

・ 両親の他界後も自宅は売却せずに、そのまま住み続ける。

・ その他の条件は、前のシミュレーションと同じ。
親亡き後には、親が遺した庭付き一戸建ての自宅に、一人で住み続けることになります。資産の活用という面では、あまり有効的な利用とは言えません。それでもワンルームマンションを購入した場合に比べて状況は改善します。
けっして経済的に余裕がある状況ではありませんが、隼人さんが80代になっても貯蓄が1000万円近く残り、生活破綻の心配をする必要はなさそうです。
ただ、親のお金と自由は奪われます。「ひきこもり」の隼人さんのための食事代の工面のみならず、生活上の世話などを生涯引き受ける可能性が高まります。老後に夫婦で旅行などを楽しむといった自由な行動ができなくなるかもしれません。
それでも、ワンルームマンションを購入したケース同様に、隼人さんが働き始めたら、事態は劇的に好転します。収入増により家計が安定化することで、両親は旅行や買い物など自分たちのために自由に使える可能性が出てきます。

■不動産高騰で「現状」脱出しづらく
昨今、不動産の状況は以前と大きく変わっています。都心に近いエリアでは、ワンルームマンションであったとしても、かなりの金額が必要になります。
さらに最初のシミュレーションでわかった通り、子が別居をした場合には、親と子の“二重生活”によって、生活費が上がります。それが長く続くと、貯蓄がどんどん減るのは必至です。
「今はマンションの価格が上がり過ぎていますので、お子様のために購入するのは得策ではありません」
私は、自分が紹介したプランがうまくいかず、観念して言いました。
「そうですか。当面は同居を続けながら、様子を見ていくしかありませんね」
父親も現状維持しかないことにちょっぴり残念そうです。
「いずれはご自宅の有効活用についても考えなければなりませんが、それはまだ先のことです。あわてる必要はありません。また状況も変わってくるかもしれません」

「マンション価格の上昇もさることながら、息子の状況が変わってくれればよいのですが……」
働けないお子さんのためにワンルームマンション購入によって自立・独立の機運を高めるという方法は悪くはありません。ひきこもりがちな「現状」を打破する可能性もあります。
ただ、必ず成功するとはいえませんし、新築・中古の不動産相場の高騰は、そうした戦略を無効化してしまうという意味で罪な存在だと言えるでしょう。

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村井 英一(むらい・えいいち)

ファイナンシャルプランナー

「働けない子どものお金を考える会」メンバー。
大手証券会社で個人顧客の投資相談業務を長年行い、ファイナンシャルプランナーとして独立後は、資産運用に限らず、家計の見直し、住宅購入、老後資金など幅広い相談を受ける。
特に、長期にわたる家計のシミュレーション分析を得意とし、ひきこもりや障害を持つお子さんとそのご家族の資金計画を行っている。

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(ファイナンシャルプランナー 村井 英一)
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