※本稿は、松永正訓『性別違和に生まれて 父と子で綴った23年』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
■家に帰るまでトイレはがまんしていた
小学校卒業を控えたある日曜日、妻が私の書斎にやってきた。
「ちょっと相談があるんだけど、いいかな」
見ると、妻の後ろに光(仮名)が隠れるように立っている。
「何? どうした?」
私は尋ねた。答えられない光に妻が助け舟を出す。
「光……中学校に学ランで行きたいんだよね」
「なんで、また?」
さすがに驚いた。そして、光が小さな声で言う。
「スカート、穿けないの」
私は、光がスカート嫌いなのは知っていたので、相槌(あいづち)を打った。
「うん、光はスカート、嫌いだよね。でも制服だからしかたないよね」
妻はワンテンポ置いてから、ゆっくりと言った。
「そうじゃないの。
「え……まあ、男の子っぽいとは思っていたけど、そうなの?」
「光は、学校でも男子の列と女子の列の中間に並んでいるのよ。トイレには行かない。朝、学校に行って、家に帰ってくるまでトイレはがまんしてるの」
「そうなのか? 知らなかった」
私はショックを受けた……というより、どうすればいいのかと必死に考えた。性同一性障害って治療の対象だっけ? トランスジェンダーという言葉もあるけど、どう違うんだっけ?
■「男の子として学校に行きたい」
私は妻に、いつからそのことに気づいていたのと尋ねた。
「まあ、4、5年生頃からは分かってたよ。光、スカートは絶対ムリだから、学校にお願いしてみようと思う」
「大丈夫かな?」
私にはちょっと疑問だった。
「大丈夫だと思う。だって、受験前に私、電話したもん」
「そうなの!?」
「最初の2校に電話したら、学年主任の先生が電話に出て、身体が女子、心が男子、そういう生徒は受け入れていませんと言われたの。それで私ちょっとめげて、その日は3校目に電話しなかった。翌日気を取り直して最後の学校に電話したら副校長が出て、どんな子でも受け入れますって。それが光の受かった学校」
「そうなんだ」
光はもともと、3校を見学に行ったとき、まさに合格した学校を一番気に入っていた。
私は、光に尋ねた。
「光。スカートはムリ?」
こくりとうなずく。
「詰襟の学ランがいい?」
また、こくり。
「ジャージで学校に通うというのは?」
光は首を振って、小声で言う。
「男の子として学校に行きたい」
「……分かった。いろいろ調べるからちょっと時間をくれる?」
■「自認する性」で生きることが最善
私は二つのことをすぐにやった。一つはAmazonで『性同一性障害って何? 増補改訂版』(緑風出版)という本を買い求めたことだ。もう一つはやはりネットである。
いくつかの大学病院精神科のホームページを検索して、すぐに答えは分かった。だいぶ昔にはカウンセリングで心身の性を一致させるような試みもなされたようだが、それらはすべて無効だったという。つまり精神医学的には治療の対象ではない。自認する性で生きていくことが本人にとって最善ということが分かった。
それはそうかもしれない。私が大学病院小児外科に勤務していたとき、総排泄腔外反(そうはいせつくうがいはん)という非常に複雑な先天性疾患の子を治療したことがあった。詳しくは説明しないが、生まれつき、直腸・肛門や生殖器がきちんと形成されていない疾患だ。この疾患の赤ちゃんは染色体が男児であっても、男性としての外性器を欠く。そこで、腹腔内にある精巣を摘出して女児として育てることが当時は標準だった。ところが、幼稚園児くらいまでに育っていくと、その子は男の子の振る舞いを始める。
医学的には胎生期に男性ホルモン(アンドロゲン)の血中濃度が上昇し、脳が男になるからだと、その後の研究で分かってきた。
■苦しいのは本人だ
となると、光に対してやってやることは、児童精神科を受診させることではない。受診させても何も解決しないだろう。この子の人生を男として生きやすくしてやることが最重要だ。
『性同一性障害って何? 増補改訂版』を精読してみる。そこには性別適合手術のことや、戸籍の性別変更の話もけっこう詳しく書かれていて、さすがにそれらをすぐには受け入れる気持ちにはなれなかった。だが、そんなことは言っていられない。苦しいのは本人だ。私は、光を自室に呼んだ。
「光は、自分が男だと思っているの?」
「思ってる」
「自分の身体がイヤ?」
「うん。イヤ」
「女だからって、いじめられたり、嫌がらせを受けたりしたことはある?」
これは性同一性障害の診断をつける上で大切な質問だ。
「そんなことはない。みんなよくしてくれる」
「……じゃあ、おちんちん、あった方がいい?」
「あった方がいい」
「分かった」
■医学用語では「性別違和」
中学校入学まであまり時間がない。まずは診断書だ。私は先輩の開業小児科医にメールを書き、詳しく事情を説明した。その先生は私より10歳年上で、広い分野に知識が豊富で知恵のかたまりのような人だった。返事は数時間後に届いた。
メールには、光は性同一性障害で間違いないと思われること、今は性同一性障害という言葉は使わず性別違和という呼称が使われていること、学校に可能な限り配慮してもらった方がいいことが書かれていた。また、受診してくれれば診断書も書いてくれるという。
診断書というものは重みがある。これで光の性別違和が確定することになる。小学3年のとき、月経前に精神状態が不安定になったのは性別違和が原因だったのだろう。
ここで、トランスジェンダーという言葉についても触れておく。
■2015年当時の今とは異なる状況
だが、この頃(2015年当時)、性別違和とトランスジェンダーは区別されていた。トランスとは超えるという意味である。反対側の性へ超えていった人、それによって満足やプライドを得ている人をトランスジェンダーと呼んでいた。そういう意味では、光は性別違和で苦しんでいたので、この当時でいうトランスジェンダーではない。
なお、この頃はまだLGBT(Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender)という言葉は一般的ではなかったし、私も聞いたことがなかった。2015年に東京都渋谷区で「同性パートナーシップ条例」が作られてからしばらくすると、LGBTという名称が新聞などで少しずつ使われるようになる。つまり、光が中学校生活をするようになってから、私はLGBTという名称を知るようになった。LGBTQ(Queer/Questioning)という呼称はさらにそのあとに生まれてくる。
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松永 正訓(まつなが・ただし)
医師
1961年、東京都生まれ。87年、千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰など受賞歴多数。2006年より、「松永クリニック小児科・小児外科」院長。13年、『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館)で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。19年、『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中央公論新社)で第8回日本医学ジャーナリスト協会賞・大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)、『いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』(中央公論新社)、『どんじり医』(CCCメディアハウス)などがある。
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(医師 松永 正訓)

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