どんな死に方が理想的か、考えたことはあるだろうか。大阪大学名誉教授で病理学者の仲野徹さんは「60代後半で胃がんの手術をした母は91歳まで生きたが、晩年は認知症で本人もつらそうだった。
がんで死ぬのは本当に不幸なのか、一度考えてみてほしい」という――。
※本稿は、仲野徹『がんは運である? 自分事として向き合うための手控え帖』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■がんは「治る」ようになったのか
新聞などでは、よく、がんは治るようになったと書かれることがある。確かに、「治る」がんは増えた。しかし、これは誤解を招く言い方だ。その理由は3つある。
まずは、がんが治る、というのは、感染症が治る、すなわち、病原体が体からなくなってしまうような「完治」を意味するのではない。あくまでも「寛解」なので、再発せずに長期間生存できることを指すにすぎない。がんの種類にもよるが、一般的には5年から10年を目安と考えればいいだろう。
もちろん、「治る」がんが増えたのは事実だ。これは、検査技術の向上、分子標的薬や免疫療法といった新しい薬物療法の開発、そして、手術や放射線療法の技術革新のおかげである。
しかし、すべてのがんが治るようになった訳ではない。
なかでも、膵臓がんや胆管がん、一部の脳腫瘍などは予後が悪いまま残されている。これがふたつめの理由だ。
部位別がん5年生存率が公表されていて、2016年にがんと診断された人のデータでは、甲状腺、皮膚、前立腺のがんでは90%を超えている。それに対して、胆嚢・胆管がんは20%台、膵臓がんにいたっては10%程度と非常に低いままである。
■“不治の病”の5年生存率は上昇した
ざっくりとした数字に意味があるかどうかは難しいところだが、全体として、がんの5年生存率は70%程度とされている。昔の正確なデータはないのだが、1950年代で2割程度、1970年代で3割程度だったと考えるのが妥当なようだ。
かつて白血病や悪性リンパ腫は不治の病の代表例だったが、いまでは5年生存率が4割から6割台にまで上昇している。ただ、この上昇機運がいつまでも続くかというと難しいかもしれない。がんの免疫療法が大きな進展を遂げたりすると別だが、そう簡単には進まない可能性もある。
三つめは、「がんは運である」ということだ。
がんは個性的なので、同じ種類のがんであっても遺伝子変異の種類がそれぞれに異なっている。また、必ずしも早い段階で見つけられる訳でもない。
少し冷たく聞こえるかもしれないが、治る人もいれば治らない人もいる、という言い方が正しい。ただし、昔に比べれば、ずいぶんと治るようになった人が多くなってきているのは間違いない。
がんは2人に1人、とよく言われる。推測値ではあるが、より正しくは女性で2人に1人、男性では3人に2人というレベルにまで達している。これも過去の正確なデータはないのだが、1950年代では10~15%くらい、1970年代で25%くらいだったとされている。この最大の理由、がんの罹患率の上昇は高齢化が主な原因、というのはこれまで述べてきたとおりだ。
昔は、がんになるのは運が悪くて、治りにくい、というイメージだった。しかし、いまは、がんになるのが当然で、けっこう治る、という状況になっている。サイコロで言うと、確率6分の1の賽の目博打が2分の1の丁半博打に変わったくらい、というと、ちょっと不謹慎の誹(そし)りを受けるかもしらんけど。
■「慢性疾患になった」も誤解を招く
がんは慢性疾患になったのか? これもときどき耳にする言葉である。しかし、やはり誤解を招くと言わざるをえない。
そもそも慢性疾患って何だろう? 広辞苑によるとえらく素っ気なくて、「徐々に発病し、または急性期から移行して長期間経過する病気」とある。
日本国語大辞典では、「病気の経過が、半年ないし一年以上にわたる疾患。結核、関節リウマチ、腎炎、高血圧などの類。慢性病」となっている。
「慢性」をひいてみると、「症状が激しくなく経過の長びくような病気の性質」(広辞苑)、「急激に悪化したりはしないが、治癒にも長期間を要する病気の性質。また、一般に、好ましくない状態が長く続くこと」(日本国語大辞典)である。
慢性の対比語は急性なので、しつこく調べてみると、「急に症状を発して病気の進み方が速いこと」(広辞苑)と「病気が、急に症状を呈して激しく進行すること。また、その病気。一般には二~三週間の経過をたどるものをいう」(日本国語大辞典)となっている。
■進行や再発に油断はできない
広辞苑には「急性疾患」の項目はないのだが、日本国語大辞典には「突然発病して急激な症状を呈し、急速に経過してなおるか、または死にいたる病気。病気の経過の長短によって分類した名称」とされている。
こうしてみると、「がんは慢性疾患になった」という言い方は、対比語である「急性疾患」から「慢性疾患」へと移行したというよりも、「死に到る病い」から「慢性疾患のようなマイルドな病気」になったという考えからきているようだ。しかし、どうもイメージとしてしっくりこない。

長く付き合う病気になった――より正しくは、長く付き合うことができる場合もある病気になった、であるが――は事実だ。しかし、慢性という言葉には、辞書にもあるように「症状が激しくなく」とか「急激に悪化したりはしない」というイメージがこびりついている。
そのあたりが、がんに対してしっくりこない最大の理由だ。一般的な慢性疾患では、病状をなだめすかせるといった治療になるのに対し、がんの場合は、がん細胞を抑え込んでおく必要があるというのも大きな違いだ。
かつては不治の病だったのが、長く付き合うことができる病気になった。それって、ちょっと慢性疾患に似てるという気がしないでもない。しかし、どこかイメージが違う。がんは、慢性疾患のように長く付き合えることもあるが、進行や再発については油断できない。そう考えるのが妥当ではないだろうか。
■ポックリ死ぬ想像を繰り返してきた理由
主な死因の順位は、現在、1位:悪性新生物、2位:心疾患、3位:老衰、4位:脳血管疾患、5位:肺炎、6位:誤嚥性肺炎、7位:不慮の事故、となっている。
老衰と悪性新生物≒がんはゆっくりと進行する。心疾患や脳血管障害は急死する場合もあるが、治療により回復することや慢性化することもある。
肺炎と誤嚥性肺炎は高齢者の問題で、難しい倫理問題をはらんでいるが、あまり積極的な治療はしない方がいいのではないかという考えもある。不慮の事故はもちろん急死だ。
もっと昔、抗生物質のなかったような時代は、急性肺炎のような感染症で急死する人も多かった。救急医学の進歩などにより、昔に比べると心筋梗塞や脳卒中によるポックリ死は少なくなってきている。とはいえ、まずはポックリ死について考えてみよう。
まだ生後10カ月だったので何も記憶はないけれど、銀行員だった父親は35歳の時に元気に出勤して突然の心停止で亡くなっている。
そんな生い立ちだったので、小さな頃から、ポックリ死んでしまったらと想像してみることがよくあった。そのために、やりたいことは後回しにせず、できるだけ後悔しないように生きることを心がけてきた。65歳の定年で隠居生活に入ったのも、それが大きな理由である。
■死ねばリン酸カルシウムが残るだけ
では、ポックリ死んだらどうなるか。
以前、お坊さんとノンフィクション作家さんとで鼎談をしたことがある。その時、死生観の話になった。
どうお考えですかと尋ねられて「いやぁ、死んで焼かれたら、骨の成分であるリン酸カルシウムが残るだけですから」と答えてドン引きされてしまった。「死ねばリン酸カルシウム」、本当にそう思っているのだから、いたしかたなし。
そんな考えだから、基本的にはポックリいってもしゃぁないわなぁと考えている。
確かに残された人は大変かもしれない。幸いなことに、すでに隠居しているので、仕事の引き継ぎなどはない。やり残したこともほとんどない。まだ行きたいところはいくつか残っているけれど、どれだけ行ってもキリのないことだろう。
孫の将来とか、世界がどうなっていくか、とか知りたい気はするが、決して明るいことばかりではないのだから、プラスマイナスでどうなるかは微妙だ。残して恥ずかしいようなことはほとんどないように思うし、もしもコンピューターから見つかったりしても、もう死んでしまっているのだから、どうということもない。こんな人やったんかと呆れられたところで恥ずかしさを感じることもないやんか。
なので、個人的には、がんとポックリはどちらがいいとも言いがたい状況と考えている。
老衰については難しい。すでに69歳、海外トレッキングに出かけたりはしているものの、体の衰えは如実である。物忘れなど、認知能力にもかなり陰りが出てきているような気がするし。これがどれくらいの速度で進むのか、どこまでいくのか……。どの病気になるかは予測不可能だけれども、老化が進んでいくことだけは確実である。
■「死んだほうがマシ」と繰り返した母
がんで死ぬかどうかを考えると、どうしても母親のことを思い出してしまう。91歳で亡くなったのだが、最期は認知症がひどくて、見ていられないほど可哀想だった。
中途半端な時期には認知症であることぐらいは認識できていて、亡くなる1年くらい前からは、こんなになるのなら死んだ方がましと、ひとり縁側で寂しそうに座って毎日何度も繰り返していた。
そういった状況よりは、認知症がひどくなる前にがんで死ぬ方がましかという気もする。その母親、進行胃がんの手術をしている。以後、再発せずに23年生きて老衰で死んだのだから、完治と言ってもいい。
しかし、胃がんで術後5年くらいで死んでいたらどうだっただろう。それと最期の認知症の悲惨さを天秤にかけることは難しすぎる。曾孫の顔を見るまで長生きできたことはとても喜んでいたし。がんで死にたいかどうかについては、年齢の要素や、がんの治療でどうなるかも勘案する必要があるということだ。
さて、あなたはがんで死にたい派だろうか? 現在の日本では統計的に、男性の4人に1人、女性の6人に1人はがんで亡くなるのだ。縁起が悪いなどと思わずに、がんで死にたいかどうか、一度考えてみる、あるいは、家族や友人と話してみられてはどうだろう。

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仲野 徹(なかの・とおる)

大阪大学名誉教授、病理学者

1957年大阪・千林生まれ。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学医学部講師、大阪大学微生物病研究所教授を経て、2004年から大阪大学大学院医学系研究科病理学の教授。2022年に退官し、隠居の道へ。2012年日本医師会医学賞を受賞。著書に『エピジェネティクス 新しい生命像をえがく』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)など多数。

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(大阪大学名誉教授、病理学者 仲野 徹)
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