アマチュア野球界の指導者が持つ育成論、指導論に迫るインタビュー「野球導」。第2回は青鳥(せいちょう)特別支援(西東京)の久保田浩司監督(60)。

知的障害のある生徒が通う同校に「ベースボール部」を発足させ、24年夏の西東京大会で特別支援学校では全国で初めて夏の大会への単独出場を果たした。高校野球の新たな歴史を築いた指揮官に、教員人生を変えた転機や指導で重視する考え方、選手との接し方などを聞いた。(取材・構成=小島 和之)

 特別支援学校の歴史を変えた久保田監督は、今年で教員生活39年目を迎えた。

 「指導を重ねてきて、今は生徒一人一人の特徴に応じて、どういう指導をしていけばよいかをいかに見極めるのか―という考え方に、ようやくたどり着きました。ただし、いろんな障害や性格もあり、育ってきた環境などが複合されるので、何年たっても難しい。完成形はないと思います」

 挫折から始まった教員人生だった。日体大野球部でプレー後、東京都の教員試験に合格して配属されたのは養護学校(現在の特別支援学校)だった。

 「都立高校に赴任して、高校野球の監督になりたかったので大ショックでした」

 赴任3年目に1度目の転機が訪れる。当時は特別支援学校のソフトボール大会への参加を目指す「野球クラブ」の顧問を担当。ある時、ダウン症の男子生徒が「キャッチボールを教えて」と声をかけてきた。

 「本当に真剣なまなざしでした。夢中になって1時間半ほど教えると少しずつできるようになり、最後には20~30メートルの距離でいい球を投げることができた。

『ナイスボール!』と伝えると跳び上がって、満面の笑みで『やった!』と喜ぶんです。それを見て『この子たちはできるんだ』と、心の中に稲妻が走りました。障害の有無は関係なく、できた時に喜ぶ姿はみんな一緒なんだと教えてもらい、スイッチが入ったんです」

 その後は都立の特別支援学校を異動しながらソフトボールを計17年間指導し、都大会で14度優勝。指導最終年は健常者相手に勝利するなど実績を上げた。

 2度目の転機は21年。知的障害のある中高生の硬式野球挑戦を支援する「甲子園夢プロジェクト」を発足させた。同年3月に都内で行った初練習。選手の動きを見て驚いた。「こんなに野球がうまいのか」。この時期、前任校から青鳥特別支援への異動の内示を受けており、胸に秘めた夢もあった。「教員生活の最後には、特別支援の子供たちと甲子園大会を目指したい」―。迷いは消えていた。

 「これだけうまいのに、特別支援学校というだけで高校野球ができない。そういった子供たちに機会を与えるためにも、青鳥では硬式野球部を作ろうと決意を新たにしました」

 21年4月に赴任後「球技部」の顧問になり、硬式球で練習を始めた。一時、学校側から危険性を指摘され練習が止まったが、安全対策マニュアルを作って再開にこぎ着けた。着々と東京都高野連の加盟へと準備を進めたが、「まだレベル的に硬式野球は厳しいのではないか」と不安を拭いきれなかった22年夏頃、3度目の転機が訪れる。後押ししたのは、当時の主将・白子悠樹さんの言葉だった。

 「彼は下半身の筋肉が衰退し、弱くなってしまう病気でした。夏のある時、グラウンドに行くと白子が新しいグラブを持っていて、『小遣いを貯(た)めて買いました。だって俺、高校野球をやりたいんです』と言ったんです。『自分は何を迷っていたんだろう。この思いに応えられないなら、もう教員じゃない』と思って、またスイッチが入った。脇目も振らず、希望をかなえるために加盟申請しようと」

 都高野連幹部の視察などを経て、加盟が認められたのは23年5月。申請の打診から約半年がたっていた。

同年夏には連合チームで西東京大会に初出場。24年には特別支援学校では全国で初めて夏の大会に単独出場した。チームを率いて4年目、指導の軸となる考え方とは。

 「とにかく野球を好きであってもらいたい。練習は大変だし、うまくいかなくて感情をあらわにしたり、途中でグラウンドから教室に戻ってしまう子もいます。だけど最終的には好きな野球を通して経験したことを、人生の肥やしにしてほしい。4年間、青鳥の子供たちを教えてきて、そういう子は確実に増えていると思っています」

 技術的に未熟な部員もいるからこそ、褒めることや成功体験を大切にする。

 「『何でできないんだろう』という視点で見ると、本当にできないことばかり。ですから私は『どうすればできるのか』という視点を常に大事にします。例えば10本フライを打って9本が捕れない。でも最後の1つを捕ったら徹底的に褒めて、その1を次につなげて2に、3にとしていく。うちの得点と一緒です。

1を2に、2を3に、そして1を1勝に変えるんです」

 同校は1947年に創立され、単独出場までには77年を要した。指揮官は特別支援学校の出場が当たり前になることを願う。

 「最初はたたきのめされますよ。77年かかって初めて単独出場しても結果は0対66。でもトライを続けていくことで、いずれは特別支援学校が高校野球に出ることが普通になってほしい。純粋に勝った負けたとか、記事をよく見たら『この子は特別支援学校なんだ』となってもらいたい。その時には定年を迎えているかもしれないけれど、いずれはそうなってもらえたら」

 かなえたい夢がある限り、野球と生徒を愛する熱い思いが衰えることはない。

 ◆青鳥特別支援 東京・世田谷区にある公立の特別支援学校。1947年に創設され、公立の知的障害特別支援学校としては日本でも最も長い歴史を有する。2021年度に八丈島の「八丈分教室」を開設、23年度に職業教育を主とする「職能開発科」を設置し、世田谷区を通学区域とする「普通科」と合わせ「2科1分教室」体制で教育活動を行っている。

  ◆青鳥特別支援の歩み

 ▽23年7月10日 松蔭大松蔭と深沢と  の連合チームで西東京大会初出場を  果たし、松原に19―23で敗戦。

 ▽24年7月7日 西東京大会2回戦 

  東村山西に0―66で敗戦。

 ▽同年9月7日 秋季都大会1次予選

  目白研心に0―66で敗戦。

 ▽25年3月20日 春季都大会1次予選

  産業技術高専に1―37で敗戦。

 ▽同年7月6日 西東京大会2回戦

  上水に1―22で敗戦。

 ▽同年9月20日 秋季都大会1次予選

  二松学舎大付に0―18で敗戦。

 ▽26年3月15日 春季都大会1次予選

  三鷹中教校に0―15で敗戦。

 ◆久保田 浩司(くぼた・ひろし)1966年1月15日、東京都生まれ。60歳。調布南、日体大を経て東京都の教員試験に合格。養護学校(現在の特別支援学校)に配属され、今年で39年目。2011~18年には社会人野球クラブチーム「YBC柏」の監督も務め、14年に全日本クラブ野球選手権大会4強。甲子園夢プロジェクト前代表で、NPO法人日本ティーボール協会常務理事も務める。座右の銘は「継続は力なり」。

 ◆取材後記 39年目を迎えた教員人生は「全部がつながって今に至る」と久保田監督は言う。節目での生徒との出会いや言葉が背中を押し、今の挑戦につながっている。「生徒からもらった刺激を肥やしにして、子供たちに返し、また次のステップを踏んでいく。教員冥利(みょうり)に尽きます」。生徒に寄り添い、熱く向き合ってきた。

 現在の部員数は女子を含めて15人。先月からは1年生の仮入部も始まった。指揮官が喜びを感じる瞬間とは―。「喜びを表現する表情や姿、それに尽きます。できなかったことができた時の表情も含め、喜んでいる姿が教員にとって一番の喜び」。青鳥ベースボール部には教育の原点がある。

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