「打倒・大谷翔平」に挑んだ盛岡大附の執念の全記録(後編)

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 2012年7月19日の午後。大谷翔平が夏の岩手県大会準決勝の一関学院戦でマークした当時の高校生最速となる160キロを、盛岡大附の関口清治は一塁側の控室で目撃した。

「『スピードガン、壊れてんじゃねぇか?』と衝撃を受けました。160キロを目の前で見せられたので、さすがに焦りましたけど」

 監督の関口よりひと足先に球場を出発していた選手たちは、大谷の"伝説"をバスのなかで流していたラジオ中継で知った。

「160とか、いくもんなの!?」

 自分たちの想像よりも常に一歩先の領域へと足を踏み入れる巨人との対戦に、体が震える。だがそれは恐れでなく、武者震いの類だった。160キロを打ったら絶対に面白い、と。

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【異例の準備期間が生んだ自信】

 盛岡大附にとって幸運だったのは、7月23日に県大会の決勝会場でもある岩手県営野球場で、プロ野球のオールスターゲームが開催されることに伴い、(決勝まで)準備期間が設けられていたことだ。これもチームの機運を高める大きな要因となった。

「大谷は絶対にプロに行ってスターになる。これは決まっていることなんだから、甲子園だけは絶対に譲るなよ」

 前年の秋に「打倒・大谷」を誓ってから口癖のようにそう鼓舞してきた関口が、165キロまで設定できるマシンに"オータニ君"と書いた紙を貼り付ける。この「仮想大谷」を、通常の18.44メートルより4メートル手前に設置し、選手たちはバットを振りまくった。

 最初は空振りが多く、バットにボールが当たったとしても打球に力がない。それが、1日1時間以上もオータニ君と向き合うことで、2、3日もすると空振りが少なくなる。5日目を迎える頃には、ヒット性の当たりを飛ばせるようになっていた。

さらにこの間、天候不良などで決勝の日程が延びたことも奏功し、より準備を重ねられたのである。

 172センチと小柄ながら、高校通算ホームランを21本まで伸ばすほどの長打力を身につけていた千田新平が自信を蘇らせる。

「実際の大谷をイメージしていたら打てないんで。『大谷以上を打とう』ってみんな意識していたし、木のバットで打っていたから『金属になったら怖くない』とも思っていました。対戦が楽しみでしたね」

 26日に迎えた決勝戦。1番バッターの千田が、1回表のまっさらな打席に立つ。

 ボール球を見極められるほど、目がストレートについていけている。確信をもって振り抜いた打球は、気負い過ぎたあまり力が入り内野フライとなったが、手に残った感触が「大谷を打てる」と訴え続けていた。

「ちょっとしくった、わりぃ......。でも、集中したら絶対に大谷、打てっから!」

 嬉々としてベンチに伝える千田の手応えは、関口も異論はなかった。初回のピッチングを見ていると、いつもと違う大谷がいたからだ。

【流れを引き寄せた疑惑の3ラン】

 ストレートがホームベース上でワンバウンドする。変化球もストライクとボールの違いがはっきりするなど、不安定に映った。

「こっちの勝手な想像ですけど、準決勝であんなボールを投げたもんですから『160キロを投げないといけない』と力んでいるように見えました。うちにとっては1週間の準備期間はありがたかったですが、大谷くんからすればちょっと長すぎたのかもしれませんね」

 大谷が立ち上がりに苦心していると判断し、「審判のストライクゾーンが甘い」と判定の傾向も察知した関口が、選手に明確な指示を下す。

「三振はいくらでもしていいから、低めは捨ててベルトから胸元付近のボールだけを狙え」

 2回表、二死一、三塁から8番の千葉俊が、シーズンオフに千田から「それだけは狙え」と伝えられていた大谷のカーブをレフト前に運んで先取点をもぎ取った。勢いと流れを掌握した盛岡大附は、3回にも千田が154キロ、つづく2番の望月直也が152キロと大谷のストレートを捉えてチャンスを広げ、一死一、二塁で4番の二橋大地につなげた。

 胸元をえぐる148キロのストレートを強振した二橋の打球が、レフトに舞う。二塁ランナーの千田は「あいつ、いつもポール際にデカいの打つんだよなぁ......けっこうギリだな」と、目でボールを追いながら走っていた。

 千田が「ファウルか」と落胆しながら三塁塁審を確認すると、腕がぐるぐると回っていた。「マジか!」と心で叫びながらホームへ向かう三本間で、大谷とキャッチャーの佐々木隆貴が両手を広げながら「ファウルじゃないの?」といったジェスチャーを見せていたが、千田は構わずホームインした。

「正直、あれはファウルだと思います」

 千田が素直に自分の考えを述べたうえで、当時の気持ちを明かす。

高校野球は、敵の自分たちも『ファウルだと思います』と言ったところで判定は絶対に覆らないんで。だから、ベンチで『もう1回、ホームラン打とう。今度はバックスクリーンな!』みたいにみんなで話していました」

 レフトポールを真正面に近い位置で捉えられる一塁側ベンチで二橋の一発を見届けた関口は、今でも自分に言い聞かせている。

「あれは、レフトポールをかすってスタンドに入ったホームランだと信じたいです」

 ファウルかもしれないと思った打球がホームランとジャッジされた関口は、喜びをあらわにした。ただ、4対0と点差を広げたといっても試合は序盤であることを考慮し、すぐに冷静さを取り戻す。花巻東ベンチが審判団に判定を確認したことで中断していた最中も、「いったん、落ち着こう」と選手たちを諭した。

 結果的に二橋の"疑惑"とされる3ランが、試合の趨勢を分けた。5対1で迎えた9回裏、大谷のタイムリーヒットなど花巻東の猛追を受けるも5対3で逃げきり、盛岡大附は4年ぶりに夏の甲子園出場を決めたのである。

【歓喜の裏で渦巻いた異様な空気】

 本来ならば祝福されるべき試合後のグラウンドが、険悪なムードに包まれる。

 試合中から「外人部隊が!」などの野次を背負いながら戦っていたが、いよいよ「審判に助けられたな!」「実力で勝ったわけじゃない!」と、罵声は過激となっていく。

 千田が複雑な表情を見せる。

「花巻東が県内のメンバーだけだからよくて、うちは県外の選手もいるからダメみたいな。『そう言われるのは宿命なのかな』って、自分らは耐えていましたけどね」

 チームは閉会式や取材が終わっても、すぐ帰路につくことができなかった。花巻東の敗戦を不服とした観衆が、球場の入口周辺を取り囲むように群がっていたからである。

 怒声や奇声、ざわめきは選手たちが隔離された控室にも届いていた。

「オレらが今まで、どんな思いでやってきたか知らねぇくせによ!」

 血の気が多い世代だっただけに、次第に乱暴な口調になっていく者もいた。

怒りが沸点に達しそうになるなか、それでも一線を越えなかったのは、目指すべきものがあったからだと、千田は代弁する。

「モリフ(盛岡大附)は甲子園で勝ててなかったんで、『初勝利しよう』っていう目標もあって。あと、自分たちより監督とコーチがあの状況に対してすごく悲しそうにしていたんで、『オレたちのために我慢してくれてるんだ』と思えたのが一番でしたかね」

 1時間ほど経ち事態が鎮静の様相を見せた頃、チームはようやく人通りの少ない出口からバスに乗り込むことができた。

【学校に届いた脅迫ファックスや抗議電話】

 甲子園を決めた翌日以降も、世間の憤りは収まらなかった。盛岡大附には、関口宛に<おまえは教育者ならファウルだと言え>と直筆のファックスが届いたり、電話が殺到したりする抗議が続いたが、「こんなもんなんだろう」と、腹立たしさを覚えることはなかった。

 今になって思い返すと、「私も選手たちも気は張っていたかもしれない」と客観視できるが、相手チームの分析をはじめとする甲子園の準備は入念に行なえたと自負している。

 だが、盛岡大附は立正大淞南(島根)との初戦で、延長12回の末に敗れた。春夏合わせて9度目の挑戦。「結局は勝てないのか」と失望はあったが、今は「大谷くんを倒して勝ち運を使い果たしたんでしょうか」と関口はおどける。

 盛岡大附の、「打倒・大谷」の物語は終わった。しかしその余波は、まだ残っていた。

 甲子園の閉会式。

日本高野連の奥島孝康会長が、大会総評で「花巻東の大谷投手をこの甲子園で見られなくて残念」といった趣旨の見解を述べたことが物議を醸した。

 大谷を巡って再び世間がざわついたが、関口の回想はどちらかといえばうれしそうだった。

「テレビで観ていました。『決勝にも行ってないのに、うちの校名を出してくれている』と。ここまでの影響力があるんだと思いました」

 大谷の球友である千田も、高野連会長の発言に飛びついていた。当事者たちにとってすでに過去の出来事。いい思い出となっていた。

「"大谷翔平を甲子園で観たかった派"に賛同しますよ。でも、勝ったのはモリフなんで」

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