トランプ大統領と習近平国家主席による米中首脳会談の結果、両国は休戦状態となったとの指摘の一方で、「距離が縮まった」という声も少なくなかった。国際基督教大学 政治学・国際関係学教授のスティーブン・R・ナギさんは「もし、トランプと習近平が“手打ち”したら、日本国民は致命的な大打撃を食らうことになる」という――。

■トランプと習近平が“手打ち”したら
「米国第一主義」を再び掲げ、ビジネス取引(ディール)の価値観で動いているドナルド・トランプ大統領。一方、中国の習近平国家主席も、台湾統一とインド太平洋における覇権確立に向けた歴史的な布石を着々と打っている。
この両者が、もし「グランド・バーゲン(大きな取引)」を結んだらどうなるか。
米中がインド太平洋を事実上、勢力圏を分割し、米国は同盟国である日本の安全保障よりも、中国との二国間の貿易協定や技術覇権を巡る一時的な“休戦”を優先するシナリオである。
先日の首脳会談で「両国関係の距離が縮まった」との指摘もあり、「手打ち」は必ずしも荒唐無稽な話とはいえない。なぜなら、トランプには側近や専門家に相談することなく独断で行動してきた過去の実績があるからだ。これまでにも、突如として北朝鮮に足を踏み入れて金正恩氏と握手を交わしたり、在韓米軍の撤退をちらつかせたり、ウクライナのゼレンスキー大統領を公然と非難したり、(実際には解決していないにもかかわらず)自らが解決した戦争の功績でノーベル賞に値すると主張したりしてきた。
習近平との間でも、これと同じことが起こる可能性はある。短期的な貿易協定のために台湾を見捨てたり、日本の防衛力強化を「再軍備」だと批判したり、あるいは中間選挙に向けて原油価格を早急に引き下げるべくウクライナをプーチン大統領の犠牲に供したりといった事態を、「トランプならやりかねない」とみる専門家や識者は少なくない。
■シーレーン(海上交通路)は中国支配下に
圧倒的な民意と保守層の熱狂的な支持を得て誕生した高市早苗政権は、今、この米中両大国の思惑が交錯する巨大な断層の上に立たされている。
高市政権が今後数カ月で直面すると筆者が考える「落とし穴(罠)」は、単なる外交上の課題ではなく、日本という国家の存亡、そして私たちの日常生活の根幹を揺るがす致命的な危機をはらんでいる。
もし米国がこの地域から一歩引くとどうなるか。
ひとつには、日本経済の動脈である台湾周辺や南シナ海のシーレーン(海上交通路)が事実上、中国の軍事的・経済的支配下に置かれることになるだろう。
石油、天然ガス、鉱物資源、そして食料。これらの海域を通過する商業貿易は、資源小国である日本の文字通りの生命線である。それがわずかでも滞れば、世界屈指の経済大国は瞬く間に機能停止になる。その状況は、すでに日々の物価高に苦しむ日本の市民や、サプライチェーンの維持に奔走する企業をさらに苦境へと陥れるに違いない。
では、筆者が考える高市政権が陥る可能性のある罠とは何か。それを徹底的に解剖し、日本が取るべき生存戦略を提示したい。
■第1の罠
日本が食べてはいけない「北京の餌」
中国共産党にとって、台湾は絶対に譲れない「核心的利益」でありレッドラインである。一方の日本も、「台湾有事は日本有事である」という認識を継承しており、自国の安全保障が台湾のそれと不可分であることを深く理解している。防衛費の増額と反撃能力の保有へと舵を切りつつある日本に対し、中国は極めて強い警戒感を抱いている。
高市首相は先の選挙で歴史的な圧勝を収めたが、北京は彼女の勝利を「日本の危険な右傾化と軍国主義の復活」の証拠として国際社会に宣伝し、彼女の指導者としての真価を試す口実を虎視眈々と探している。2026年の現在、中国は純粋な軍事的威圧(例えばミサイルの発射など)を直接行うのではなく、高市氏の過去の保守的な発言や、靖国神社参拝問題などのナショナリズム的な傾向を「武器化(ウェポナイズ)」する高度な認知戦(コグニティブ・ウォーフェア)を展開している。

■習近平が待っている日本の「過剰反応」
習近平の最大の狙いは、高市氏に無謀な発言や行動を「させる」ことだ。例えば、尖閣諸島周辺の接続水域に、中国が武装した漁船民兵(海上民兵)の大群や海警局(CCG)の大型船を執拗に派遣する。あるいは、日本の政府機関や重要インフラに対する大規模なサイバー攻撃を仕掛け、偽情報(ディープフェイク動画など)をSNSで拡散させる。これらはすべて、日本側が感情的になり、過剰反応するのを待つための罠である。
もし高市氏がこの「北京の餌」に食いつき、激しいレトリックで応酬したり、自衛隊の運用において性急な行動に出たりすれば、中国は直ちに「日本こそが地域の平和を乱す修正主義者であり、挑発者である」というナラティブを国際社会に向けて完成させることができる。
日本の防衛力強化を「再軍備」と非難し、台湾への関与を「かつての帝国主義による再植民地化」と決めつける。それが事実かどうか、世界が信じるかどうかは関係ない。目的はあくまで、「日本は過去の侵略を謝罪していない」と教え込まれている中国国内に向けたアピールだからだ。
加えて、日本が外交的に孤立し、米国や欧州からの支持を失えば、台湾の現状維持を求める最強の擁護者を無力化できる。高市氏に今求められているのは、支持層を喜ばせる熱狂的なナショナリズムの誇示ではない。領土・領海を譲歩しない断固たる姿勢を示しつつも、相手に先制攻撃や非難の口実を与えない、氷のように冷徹な「抑止力」の行使である。
■第2の罠
南シナ海の封鎖で日本経済の崩壊
台湾がイデオロギー的・地政学的なレッドラインであるとすれば、南シナ海は極めて実利的な戦術的劇場である。
南シナ海に面する国は、台湾、中国、フィリピン、ベトナム、マレーシアなど数多い。ご存じのように中国はこのエリアでも他国に圧力を強めている。こうした状況下で、取引重視のトランプ政権が「南シナ海の岩礁など米国の国益に関係ない」として、この国際水域の自由航行の維持に無関心な姿勢を示した場合、中国は全面戦争を引き起こすことなく、得意の「閾値以下(サブ・スレッショルド)」の作戦、すなわちグレーゾーン戦術で日本の首を真綿で絞めるように締め上げるだろう。
想定される具体的なシナリオはこうだ。
中国は南シナ海の主要な航路において、偽装された原油流出事故や海難事故をでっち上げる。そして「海洋環境の保護」や「海難救助活動」を口実に、広大な海域に一時的な立ち入り禁止区域(事実上の封鎖海域)を一方的に宣言する。
あるいは、中国海警局が国内法である「海警法」を拡大解釈し、「密輸」や「環境破壊」の容疑で、中東から日本へ向かう日本の商業船舶やタンカーを不当に拿捕・臨検する。さらには、マラッカ海峡から南シナ海へ抜ける戦略的なチョークポイントに、所属不明の機雷を密かに敷設し、航行の安全を根底から脅かす。
■南シナ海は日本の生命線
南シナ海のリスクが高まれば、ロイズなどの国際保険市場における海上保険料は一夜にして天文学的に高騰する。日本へ向かうタンカーは、フィリピン東方沖やオーストラリア近海を迂回するルートへの変更を余儀なくされ、輸送コストと日数は劇的に跳ね上がる。
エネルギー(原油やLNG=液化天然ガスなど)や、自動車・電子機器産業用部品の輸送ルートが寸断されれば、日本の全家庭の光熱費や物価はたちまち高騰する。さらに、小麦、大豆、トウモロコシといった穀物輸入の遅延や国内漁業の制限が重なることで、パンや肉類、魚などの日常的な食料も深刻な品不足に陥る。

結果として、この海上物流の危機は、極端な物価高と食料・エネルギー不足を引き起こし、国民の生活と家計に甚大なダメージを与えるのだ。
つまり、日本人の「当たり前」の生活ができなくなってしまう恐れがあるのだ。
■一気に「高市不況」への転落も
2026年現在、日本経済は長年のデフレから脱却し、ようやく持続的な賃上げのサイクルに入ろうとしている。しかし、シーレーンの混乱によってエネルギー価格と輸入食料品、日用品の価格が再び異常な高騰を見せれば、企業がどれほど賃上げ努力をしても、実質賃金は深いマイナスに沈み込む。
国民の生活苦は頂点に達し、「高市ブーム」はあっという間に「高市不況」へと転落する。地政学的な敗北は、そのまま国内経済の崩壊を意味し、それは政権の即座の終焉を意味する。外交と内政は、かつてないほど密接に連動しているのである。
海に囲まれた日本にとって、シーレーンは国家の血液を運ぶ静脈であり動脈である。米中の密室の手打ちによって、そのアクセスが左右されるのを許せば、それは国家の主権を放棄することに等しい。
高市首相の今後数カ月間の決断が、数十年の日本の行く末を決める。歴史は、高市政権がこの未曾有の危機において国家の未来と繁栄を守り抜いたか、それとも大国のパワーゲームに翻弄され、そのポテンシャルを浪費しただけか、を冷酷に記憶するだろう。

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スティーブン・R・ナギ
国際基督教大学 政治学・国際関係学教授

東京の国際基督教大学(ICU)で政治・国際関係学教授を務め、日本国際問題研究所(JIIA)客員研究員を兼任。
近刊予定の著書は『米中戦略的競争を乗り切る:適応型ミドルパワーとしての日本』(仮題)。

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(国際基督教大学 政治学・国際関係学教授 スティーブン・R・ナギ)
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