■名店での修業を経て産声を上げたラーメン店
千葉県野田市。東武アーバンパークラインの愛宕駅から少し歩いた先に、2025年12月21日、一軒のラーメン店が産声を上げた。
店の名は「RUSTIC NOODLES」。オープンからわずか数カ月、すでに遠方からの来客も絶えない注目店だ。しかし、そのカウンターの内側には、華やかな評判とは裏腹の、壮絶で不器用な夫婦の物語がある。
店主の田中貴志さんは、もともとラーメン一筋の人間ではなかった。茨城・坂東の出身。会社員として働きながら、将来への漠然とした焦りを抱えていた。「何かやらなければいけない」。その思いの先にあったのが、仕事の合間によく食べていたラーメンだった。
27歳でラーメンの世界へ飛び込み、「もっとちゃんとラーメンを覚えたい」と29歳で辿り着いたのが名店「Kiriya」だった。
ここでの2年4カ月は、単なる「修業」という言葉では到底足りない。修業に選んだ店はラーメンに決して妥協を許さない店として有名だった。
「怒られない日はなかったですね」
貴志さんはそう言うが、その中身は想像以上に細部に及ぶ。
例えば洗い物。皿を重ねる時にわずかでも音を立てれば、「食器が傷つくだろ」と叱責が飛ぶ。シンクの隅に汚れが残っていればやり直し。掃除は綺麗に見えるかではなく、隅々まで完璧かが基準だった。
■「感覚」の指導に何度も心が折れた
スープ作りに至っては、さらに苛烈だ。
鶏や豚の炊き方は職人の魂だ。しかしその指摘は「ここが違う」と明確なマニュアルで示されるものではない。「今のは違う」という一言。火加減、骨の状態、気温、湿度――すべてが絡み合う感覚の世界。当時の貴志さんにとっては、「それは再現できない」と思える領域だった。
それでも、やり直すしかない。同じ作業を何度も繰り返し、少しずつ感覚を体に染み込ませていく。
その過程で、何度も心が折れた。
半年に一度のペースで訪れる限界。積み重なった指摘がある日突然爆発し、「もう無理です」と口にする。だが、そのたびに返ってくるのは決まっていた。
「お前、やり切るって言ったよな」
突き放すのではなく、逃げ道を塞ぐ言葉。そして話し合いの末、また翌日から現場に立つ。その繰り返しだった。
■「辞めます」と店を飛び出しても「戻ってこい」
象徴的なのが、独立直前の出来事だ。
オープン1カ月前、4度目の限界が訪れる。ついに「辞めます」と告げ、そのまま店を去った。
「辞めると出ていったは良いものの、お店のオープン日は決まっていたので、重圧で焦りを感じていました。Kiriyaのようなラーメンはもう出せないし、製麺機もいただく予定だったので、手打ちでやるしかないか……そんなことを考えていました。
戻ってこいって電話が来るかもしれない、でもさすがに4回目だからもう来ないか……どうしよう……そんなことを考えていたらマスターから電話がありました」
師匠の言葉は「最後までやりきれ、俺は見捨てない、戻ってこい」だった。貴志さんはほっとして「はい、戻ります」と伝えたという。厳しくも人一倍愛情をもって接してくれた師匠だった。
店をオープンして間もない頃。仕込みや営業で余裕のない中、師匠は自らの店の営業があるにもかかわらず、わざわざ30分以上かけて様子を見に来る。差し入れを持って顔を出し、「どうだ」と声をかける。SNSに上がる写真を細かくチェックし、「最近の盛り付け雑じゃないか」と指摘が飛ぶこともある。
厳しさは、独立しても終わらない。だがそれは、見放さないという意思の裏返しでもある。
「人一倍優しいから、人一倍厳しいんだと思います」
貴志さんはそう振り返る。
この修業で身に付けたのは、技術だけではない。仕事への向き合い方、細部への執着、そしてやり切る覚悟。
そのすべてが、今の一杯に宿っている。
■ラーメン屋の忙しさを知る妻に「ラーメン屋をやりたい」
一方、その裏で家族は揺れていた。
妻の有香さんは、水戸にあるラーメン屋の娘だった。幼い頃、両親が営む店の忙しさの中で育ち、やがて両親を早くに亡くす。ラーメン屋という仕事の過酷さも、家族が犠牲になる現実も、誰よりも知っていた。
「ラーメン屋だけは絶対にやりたくなかった」
その言葉には、経験に裏打ちされた重みがある。
にもかかわらず、結婚後に貴志さんは「ラーメン屋をやりたい」と言い出す。しかもタイミングは最悪だった。3人の子どもを抱え、4000万円の一戸建てを建てた直後。ローンはこれから、という時期だ。
「今じゃないでしょ」
当然の反対だった。しかし貴志さんは止まらない。
「今やらなきゃダメなんだ」。その一点張りで、家族の事情も現実も押し切った。
有香さんは「この人は一度言い出したら人の話を聞かない」ことを知っていた。結局、彼女は半ば押し切られる形で、貴志さんの夢に「相乗り」することになった。
■睡眠は1~2時間、「店の雰囲気が悪い」という口コミも
そこからの生活は、想像以上に過酷だった。貴志さんは修業へ。有香さんは家計を支えるため、個人事業主として配送業に従事する。朝から夜まで働きながら、子どもたちを育てる日々。家族の時間はほとんどない。
それでも時は進み、独立へ。
開業資金は1300万円。7年ローン。
物件は元バーで、ほぼスケルトンからの改装。資金的にも、体力的にも、余裕はどこにもなかった。
そして迎えたオープン。現実はさらに厳しかった。
1~2時間睡眠で仕込みと営業を回す日々。こだわりのトリプルスープゆえに仕込みは複雑を極め、段取りのミスが即崩壊につながる。経験のない有香さんは接客に苦戦し、オペレーションは混乱。クレームも発生し、店内の空気は張り詰める。
「営業中に“もう帰る”と言ったことも何度もありました」
カウンター越しにぶつかる夫婦。口コミに「雰囲気が悪い」と書かれることもあった。
それでも店は進化する。
麺もスープも素材も変え続け、味のブラッシュアップを追求した。最初は自信が持てなかったラーメンも、少しずつ「美味しい」と胸を張れるようになってきた。SNSでの評価、ラーメン関係者の後押しもあり、客足は安定し始める。
■これだけ働いて行列ができても手元に残るのはわずか
だが、問題は残る。
「こんなに働いて、これだけしか残らないんだ」
有香さんの率直な実感だ。ラーメン屋の現実。高い原価率、重い労働、薄い利益。かつて見てきた光景と、今の自分が重なる。
それでも彼女は続けている。なぜか。
「すごいと思います。これだけ美味しいものを作っていろんな人に評価されて」
そう言って、貴志さんのラーメンを評価する。毎日食べているからこそわかる、本物の味。厳しい修業を乗り越えた技術と、愚直なまでの探究心。その積み重ねを、誰より近くで見てきたからこそ出る言葉だ。
一方の貴志さんも言う。
「とてもじゃないけど彼女がいなかったらオープンできていません」
ぶつかり合いながらも、互いを認めている。
■「未完成の店」だからこそ人が訪れる
店には3人の娘たちも顔を出す。学校帰りに立ち寄り、時にはテーブルを拭いたりラーメンをお客の元まで運んだりしてサポートする。店じまい後に家族そろってまかないを食べるのはお決まりの風景だ。かつてラーメン屋の娘として寂しさを抱えた有香さんの過去とどこか重なりながらも、今は確かに家族の店になりつつある。
喧嘩は絶えない。理想と現実のズレも大きい。それでも、二人は同じ場所に立ち続けている。
「妻を楽にするには、人を雇うしかない」
そんな現実的な解決策を語りながらも、まだ余裕はない。ただ走り続けるしかない段階だ。
「RUSTIC NOODLES」は、完成された店ではない。むしろ未完成で、常に揺れ動いている。だが、その不安定さこそが、この店の魅力でもある。ラーメンは確かに美味い。しかしそれ以上に、この店には人間の熱がある。
ぶつかり、壊れかけ、それでも続いていく夫婦の物語。その先にあるものは、まだ誰にもわからない。だが一つだけ確かなのは、この店がただの一杯では終わらないということだ。

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井手隊長(いでたいちょう)

ラーメンライター、ミュージシャン

全国47都道府県のラーメンを食べ歩くラーメンライター、株式会社フライヤー執行役員、flier公式チャンネル総合プロデューサー。「東洋経済オンライン」「プレジデントオンライン」「AERA DIGITAL」等の連載のほか、メディア出演、ラーメンの商品監修など多方面で活躍中。ラーメンの「1000円の壁」問題や「町中華の衰退事情」「個人店の事業承継」など、ラーメン業界をめぐる現状を精力的に取材。テレビ・ネット番組への出演は「羽鳥慎一モーニングショー」「ABEMA的ニュースショー」「熱狂マニアさん!」「5時に夢中!」「サクサクヒムヒム ☆推しの降る夜」など多数。東洋経済オンラインアワード2024にて「ソーシャルインパクト賞」を受賞。著書に『できる人だけが知っている「ここだけの話」を聞く技術』(秀和システム)、『ラーメン一杯いくらが正解なのか』(ハヤカワ新書)、『天下一品 無限の熱狂が生まれる仕掛け』(日本実業出版社)がある。

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(ラーメンライター、ミュージシャン 井手隊長)
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