千葉県流山市は全国の市のなかで人口増加率6年連続1位だ。特に30代のファミリー層が大幅に流入している。
2003年から市長を務める井崎義治さん(現在6期目)が全国の基礎自治体で初めて「マーケティング課」を設立したことが人気の背景にあるが、一体どんな戦略を立て、実行したのか――。
※本稿は、井崎義治『流山市はなぜ選ばれ続けるのか 共働き子育て世代が移住し、住民の93%が「住み続けたい」まち』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。
■なぜ流山市は共働き子育て世代に愛されるか
認知度の向上と情報発信のために、流山市として広告を出稿することにしました。当時、自治体が観光以外の「まち」の広告を出すというのは珍しいことでした。最初に出稿したのは、TX(つくばエクスプレス)の起点で乗り換え駅であるJR秋葉原駅での広告でした。
駅前送迎保育ステーションの広告で、王子様の格好をした子どもをビジュアルに、「僕は送迎つき」というコピーを掲げました。私は、インパクトのある広告になったのではと感じましたが、結果としてこの広告単体ではそれほど話題にはなりませんでした。
その後、子育て雑誌へ広告を掲載しました。
最初は「たまごクラブ」に1ページの記事広告を出し、1ページ分は編集部が取材してくれるという形を取りました。翌年は「ひよこクラブ」にも取材と記事広告をあわせて4ページ出稿しています。
当時はマーケティング課の広告費は極めて小さく、限られた予算の中でできることを、まさに「たまご」から取り組んだのでした。
■「母になるなら、流山市。」の誕生
そうした取り組みを続ける中で、流山市が2009年からDEWKS(Double Employed With Kids=子供を持つ共働き夫婦)層に向けて打ち出したメッセージが「母になるなら、流山市。」「父になるなら、流山市。」というコピーです。
このキャッチコピーで重視したのは、「子育てをするなら、流山市。」ではないという点です。
「母」「父」という役割を担う人自身が、子どもを産み、育てることだけにとどまらず、どう自分らしく生きるかが重要だという考えが根底にありました。
子育てに関わる役割と、ひとりの人間としての在り方との間で悩む方も多い中、多様な選択肢があるまちでありたいという願いも込められています。
この「都心から一番近い森のまち」や「母になるなら、流山市。」「父になるなら、流山市。」という一連のコピーは、単に子育てをしやすいだけでなく、緑の豊かな環境で子どもを育てながら、親自身も地域や社会の中で活躍できる、自己実現できるまちである、というメッセージを打ち出すことを意図していました。
ターゲットが求めていることをただ提供するというより、私たちが目指すまちの将来像に共感してくれる方に市民になっていただく、そういう広告戦略だったのです。
■ライバルは東急田園都市線や小田急線の沿線
広告掲出にあたっては、流山市に移住したいと考えるメインターゲットであるDEWKS層がどこに多く存在しているかについても分析しました。その結果、「流山市のライバルは東急田園都市線や小田急線の沿線だ」という結論に至りました。
ただ、当時こうした話をすると笑われることも少なくありませんでした。なぜなら、近隣市間との転入・転出が多かったからです。これはハフモデルによって移動量については周知の事実です。流山市は人の属性に重点を置き、広告のリーチモデルを東京西・南部に狙いを定めました。
マーケティング課設立(2004年)から10年目に、田園都市線および相互乗り入れしている東京メトロ半蔵門線の車内に、「母になるなら、流山市。」のキャッチコピーを掲げた広告を掲出しました。
そのモデルになったのは、実際に横浜市青葉区から流山市へ移住された家族です。
広告には、「私は横浜市青葉区から流山市に引っ越しました」という一文も添えました。当時の両線の利用者からすれば、無名の流山市のその内容に驚かれたかもしれません。
数年後、東急電鉄と横浜市の職員約二十名が、流山市に視察に来られました。
■メディアが取り上げる市のPR戦略
こうした取り組みを重ねた結果、次第に私たちが広告を出さずとも、メディアの側から取材依頼が来るようになっていきました。
最初に秋葉原に出した駅前送迎保育ステーションの広告は、メディアの注目を集めるまでには至りませんでした。ところが「母になるなら、流山市。」「父になるなら、流山市。」というコピーを使った広告を出した際には、新聞各社やマーケティング専門誌が取り上げ(図表3)、結果として1億数千万円分の広告効果を生むことになりました。
初期の頃は「『子育てをするなら、流山市。』って良いコピーですね」と言われることがあり、「いや、『母になるなら、流山市。』『父になるなら、流山市。』です」との都度訂正していたのを思い出します。やがて正確に記憶してくださる方も増え、認知度が着実に上がっていくのを感じました。

私が市長に就任した頃は、冗談で「流山市の名前は、事故か事件でしか報道されない」と言われたこともありましたが、今では、全国はもとより、海外からの取材や視察が増え、外国の政治家や行政関係者、研究者も訪れるまちになりました。
メディアが取り上げた理由のひとつには、自治体が広告を通じてメッセージを発信すること自体が珍しかったという背景もあると思います。
しかしそれ以上に、「誰に選ばれたいまちなのか」という根本から戦略を立てて、明確なマーケティングを実行し、人口増加、子どもの増加という成果に注目したからとのことでした。
■移住を決断させる自治体とは
マーケティング課をつくって10年目の2013年に取材された東洋経済オンラインでは、「流山市、“異端”の街づくり」というタイトルがついていました(https://toyokeizai.net/articles/-/16818)。確かに、あの段階で明確にマーケティング戦略を持ち込んでいた自治体は他にはありませんでした。
自治体発のコピーというと、ひと昔前まで「人と自然にやさしいまち」「緑と太陽のまち」など「温帯」地域ならどこにでも当てはまる表現が多くありました。このように漠然としていては「どこに住みたいか」を考える人の心には、ほとんど届きません。
しかし市としての意志が明確であれば、届けたい相手に向けて、具体的かつ共感を得られるメッセージを発信することが可能です。マーケティング戦略とは、経営戦略があってこそ成立するものです。

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井崎 義治(いざき・よしはる)

千葉県流山市長

1954年東京都杉並区生まれ。立正大学地理学科卒、サンフランシスコ州立大学大学院修士課程修了(地理学専攻)。米国で地域計画、交通計画、環境アセスメントコンサルティングに従事。
89年に帰国後、流山市民に。都市計画コンサルタントを経て、2003年から流山市長。現在6期目。全国市長会副会長、千葉県市長会長、健康都市連合日本支部支部長などを歴任。著書に、『ニッポンが流山になる日』(2010年・ぎょうせい)、『これから発展する街、衰退する街』(1998年・朝日ソノラマ)、『ラスベガスの挑戦』(1997年・朝日ソノラマ)、『大都市問題改善に向けた5つの挑戦』(1995年・ぎょうせい)、『東京白書 東京に住むということ』(1995年・第一書林)、『快適都市の創造』(1991年・ぎょうせい)。

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(千葉県流山市長 井崎 義治)
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