■トランプ、プーチンと立て続けに会談
2026年5月の北京は、「世界の中心」をみごとに演出した。5月13日から15日にかけて、トランプ大統領が9年ぶりに訪中し、習近平国家主席との首脳会談に臨んだ。同時期にイーロン・マスク氏、エヌビディアCEOのジェンスン・フアン氏、アップルCEOのティム・クック氏ら17人の企業幹部も北京入りし、世界経済の地殻変動が北京で起きていることを強く印象づけた。
5日後の20日には、プーチン大統領が人民大会堂に姿を現した。習近平氏は「中露関係は過去最高レベルにある」と誇示し、中露善隣友好協力条約の延長で一致した。米中接近と中露結束。相反する二つの極を同時期に北京へ呼び寄せ、「盤石な指導者」として世界に向けて強烈にアピールした。中国メディアは「万邦来朝(ばんぽうらいちょう)の時代がきた」と書き立てた。過去の王朝が夢みたような「世界中の国々が中国皇帝のもとに集まる」が実現するというのだ。
しかも習近平氏は、トランプ氏相手に一歩も引かない振る舞いを見せた。台湾への武器輸出停止を「核心的利益の中の核心」として要求。
■北京を離れられない習近平の事情
もちろん、2つの首脳会議が開かれたといって、トランプ氏とプーチン氏が朝貢に訪れたわけではない。むしろ「習近平氏が動けないから、遠路はるばるきてもらった」というほうがしっくりくる。
習近平氏は、2025年10~11月の韓国訪問を最後に外遊していない。いや、出られないのだ。「万邦来朝」の演出から受ける違和感が、北京の淀んだ空気のようにじわりと私の胸に沈殿した。
中国の政治で、最高指導者が長期にわたって首都を離れないときは、しばしば表に出せない事情がある。トランプ氏たちが歩いた赤い絨毯の下に何が埋まっているかを疑わねばならない。
強大な権力を誇示する一方で、実は北京を離れられない習近平氏。
華やかな外交ショーの裏側で進行するのは、彼の時代が迎えた“終わりのはじまり”かもしれない。
■国防相経験者への「死刑判決」が意味するもの
世界最強を演じる指導者が、北京を離れられない理由はいくつかある。最大のものは、習近平氏が権力の拠り所である人民解放軍を完全に掌握できていないことだ。
象徴的なのが、2026年5月7日に下された元国防相2人への判決である。中国の軍事法院は、元国防相の魏鳳和氏(収賄罪)と、後任の李尚福氏(収賄罪および贈賄罪)に対し、執行猶予2年付きの死刑判決を言い渡した。政治的権利の永久剥奪、全財産の没収を伴う。魏鳳和は核ミサイル部隊を統括するロケット軍の初代司令官として巨大な軍予算を握り、李尚福は装備発展部長として兵器調達の利権を掌握した人物だ。いずれも習近平氏自身がみずから抜擢した腹心中の腹心である。
執行猶予つき死刑は、2年後に無期懲役へ減刑されるのが通例。だが、今回は減刑後の仮釈放が一切認められない条件がついた。実質的な終身刑である。
注目すべきは、彼らの汚職が国防相時代ではなく、司令官や装備発展部長として軍の中枢で権限を握っていた時代に起きたとされる点だ。軍の兵器調達と核戦力の核心部分が長年にわたって腐敗していた事実を政権が暴いたのである。
■そして「皇帝と処刑人」だけが残った
ここ数年の粛清がもたらした軍中枢の空洞化は、現代中国で前例がない。
軍の最高意思決定機関である中央軍事委員会(CMC)は、本来7人体制で運営される。しかし2023年以降、李尚福氏、何衛東氏、苗華氏の3人が失脚。さらに2026年1月には、CMC副主席であり習近平氏の幼馴染といわれる張又侠氏、そして劉振立氏の2人が粛清の波にのまれた。「習近平の“毛沢東化”が止まらない…中国最後の“ブレーキ役”粛清で、これから起きる『対台湾』3つのシナリオ」で解説した通りだ。
現在のCMCメンバーは、習近平氏と張昇民のわずか2名。張昇民は軍の規律検査担当トップ、すなわち「処刑人役」だ。プロの作戦指揮官が一人残らず消え去り、最高指導部が「皇帝と懲罰機関だけ」になっている。実際の戦争を指揮するには心もとない異常な空洞状態に陥っている。
腐敗はさらに深い層に及ぶ。ロケット軍では、ミサイル燃料が闇市場へ流出し、代わりに水が注入されていたという話もあるのだから驚く。国家の核抑止力を支えるべき部隊が内部から腐食していた。
中国産兵器の脆弱さも露呈した。ベネズエラで米軍がマドゥロ大統領を拘束した際、配備されていた中国製の最新鋭防空レーダーは米軍の動きを一切検知できなかったと報じられた。
いまや中国は、台湾侵攻に不可欠なリソースをいくつか失っている。米国のベネズエラ・イランへの軍事行動により、原油調達ルートの一部が遮断された。台湾への大がかりな侵攻作戦は当面遠のいたと見られている。
しかし予断は許されない。窮地に立つ独裁者ほど、自分の失政から目をそらすために制御を失う危険性がある。国内問題は山積みだ。
■軍の空洞化よりも深刻なこと
軍の中枢が空洞化したこと以上に深刻なのは、習近平氏が耳を傾けるべきブレーンを次々と失っていることである。
「台湾侵攻は無謀だ」「軍拡より経済を優先すべきだ」と直言できる軍人や側近を習近平氏は排除してきた。周囲にはイエスマンだけが残っている。軍内部では「やりすぎだ」と不満が高まっていると伝えられている。
独裁者の疑心暗鬼は、自らを守るための行動に見える。しかし実際には、自らを孤立させる過程でもある。
経済問題も大きい。
16~24歳の若者失業率は、2026年3月時点で16.9%。中国の不動産市場はなお調整局面にあり、約145兆元規模の下落が見られた。2026年5月の為替レートで計算すれば、2900兆円前後が失われたことになる。不動産が家計資産の大部分を占める中国では、この影響は庶民生活に直結する。2026年の成長率予測は4.4%(伊藤忠総研)と、2025年の5.0%から減速する見通し。物価も安定しておらず、CPIは月ごとに上下している。数字を並べるだけで、中国経済が重い停滞に沈んでいることが浮かびあがる。
■中国はどこで着火するかわからない状態
中国国内の抗議行動やデモを集計するサイト「昨天」プロジェクトによると、中国国内の抗議活動件数は2026年1月50件、2月43件、3月76件、4月74件と高水準で推移している。内容は、民主化を求めるなどの政治運動ではない。
注目すべきは、少数民族が多い地域ではなく、漢民族の地域で多発している点である。
現在の中国は「乾ききった薪の山」で、どこで着火するかわからない。
疑心暗鬼に陥り、側近を粛清し、孤立を深めて制御を失った指導者――ちょうど60年前にも同じ構図が見られた。文化大革命がはじまる時期である。
■疑心暗鬼が疑心暗鬼を呼ぶ
トランプ大統領との首脳会談が終わった翌日は5月16日。中国の近現代史に詳しい読者はピンときただろう。1966年5月16日、毛沢東が文化大革命を発動した「五・一六通告」からちょうど60年、暦が一巡する還暦にあたる。
単なる日付の一致で思いだされるのではない。現在の中国政治を観察していると、60年前の状況が彷彿とよみがえるのだ。
五・一六通告とは、共産党・人民解放軍・政府・文化界に潜む「反革命分子」と闘争せよと呼びかけた共産党中央の文書である。10年に及ぶ文化大革命の出発点ともいえる。
重要な点は、五・一六通告が「疑心暗鬼に陥った指導者が、内側の敵を探しはじめた瞬間」を象徴していることだ。
文化大革命はある日突然、はじまったわけではない。助走期間がある。
毛沢東が指揮した大躍進政策(1958~1961年)が失敗に終わり、彼の権威は大きく傷ついた。責任をとるかたちで国家主席を辞任したあと、彼は周囲への不信感を深めていった。まず、大躍進の問題点を率直に指摘した彭徳懐(ほう・とくかい)を政敵と見なし、失脚させた。次に、歴史家・呉晗(ご・がん)が執筆した京劇『海瑞罷官』に自分への政治的批判が隠されていると読み取った。
彭徳懐と呉晗の間に直接の関係はなかった。しかし毛沢東は両者を結びつけ、自らを取り巻く「敵」の存在を確信していった。疑心暗鬼が疑心暗鬼を呼んだ果てに文化大革命が幕を開けた。
習近平氏と毛沢東の類似については、前回の記事で詳しく解説した通りだ。
■皇帝の孤立のなかで王朝は崩壊へ
2026年5月の習近平を見て、私の脳裏に浮かんだ人物は毛沢東だけではない。
さらに古い時代に生きたひとりの皇帝の姿。権力を握りながらも周囲を信じられず、忠臣を遠ざけ、最後には孤立のなかで王朝の崩壊を迎えた人物だ。
習近平氏を理解するうえで、いまや毛沢東以上に重要な存在かもしれない。
■失政→粛清→孤立→自滅の一本道
もうひとりの先例とは、明朝のラストエンペラー・崇禎帝(すうていてい)である。
崇禎帝は1627年即位の第17代皇帝。彼は在位中、将軍たちを次々と処罰していった。財政難を訴える文官も遠ざけた。
1644年、農民反乱軍を率いる李自成(り・じせい)が北京へ迫る。弱体化した軍では、十分な抵抗体制を築くことができない。首都は陥落し、彼は宮殿の裏手にある景山で槐(えんじゅ)の木に縄をかけて自ら命を絶ち、明朝は滅びた。
自らの失政で窮地に陥り、疑心暗鬼から周りがみんな政敵に見えてくる。腐敗を正す名目で、側近たちをも次々と粛清する。ますます孤立して、暴走が止まらなくなり、最後は破滅する。中国の皇帝が歩むひとつのパターンだといえる。
■崇禎帝が自害した場所
私だけでなく、習近平氏と崇禎帝の類似を指摘する研究者は中国にもいる。人間のタイプが似ているというより、歴史の構図として重なる部分があるのだ。
崇禎帝が自害した景山は中南海の北側、故宮のすぐ裏に位置している。現在は景山公園があり、「崇禎皇帝自縊処」として槐の木がある。崇禎帝が自害した当時の木ではなく、1996年に移植されたもの。斜めに傾いた太い幹が特徴的だ。
習近平氏は写真や映像で見ると、いつも首が傾いている。中国のネット空間では、「斜めの首」は検索すると危険なワードとして知られている。関連して、景山公園の「斜めの木」まで危ないと警戒されている。習近平の首にこじつけたという意味だけでなく、皇帝自害の強調が最近はよろしくないというのだ。
権力の絶頂に立つ人物ほど、失脚の歴史に敏感になる。とりわけ中南海の近くに、皇帝自害の歴史が残っているのだからなおさらだ。習近平氏が日々執務する場所から目と鼻の先。彼が崇禎帝の末路に自らを重ね、過剰に防衛本能を働かせてもおかしくない。
■消えた本と消えた銅像
崇禎帝への警戒は、出版の世界にも及んでいる。中国の明史専門家が著した崇禎帝に関する書籍が、新装版として刊行されたのち、回収となった。歴史研究そのものが、政治的リスクになる現実は、かえって「統治の脆さ」を感じさせる。
明朝を倒した李自成は、これまでの官製史観では「正義の農民蜂起軍」を率いた英雄として語られてきた。しかも李自成は、習近平氏と同郷――陝西省の出身である。おそらく習近平氏は、幼少期から郷土の英雄が果たした明朝打倒の故事を聞かされていたに違いない。
ところが数年前、不可思議なことが起きた。北京郊外にあった李自成の銅像が撤去されたのである。李自成もまた、タブーのひとつになったと見られている。かつて「農民革命の英雄」として称賛された李自成の名は、現在の中国では別の意味をもちつつある。王朝を倒したのは外敵ではなく、内側から蜂起した民衆だったからだ。
■支配者が抱える「逆説」
1644年に李自成の軍は北京を陥落し、彼は「大順」を国号として皇帝の座に就いた。崇禎帝の明はそれまで満州軍と戦っていたから、李自成は戦争を引き継ぐことになる。
しかし入城後、李自成軍の内部で腐敗が広がった。酒宴が繰り返された。当時、中国北方では女真族(後の満州族)が清を建国し、明朝の残存勢力と組んで南下しつつあった。その脅威に対応しなければならない局面で、李自成軍は決戦を後まわしにした。李自成の部下が、対満州戦線を支えていた将軍の愛妾を奪い、将軍は満州側へ投降。結果として満蒙連合軍に敗れ、李自成政権は短命に終わった。腐敗が政権を滅ぼすという歴史の教訓だけが残った。
この教訓をみごとな文章で表したのが、毛沢東の前期ブレーンだった郭沫若だ。彼は1944年、明朝滅亡300周年にあたる甲申年に『甲申三百年祭』を執筆。主題は「李自成のようになるな。勝利後の腐敗が政権を滅ぼす」という警告である。1949年、毛沢東が北京入城前夜に全党を戒めるために語り、のちに教科書にも掲載された名文だ。
習近平氏が『甲申三百年祭』の警告を知らないはずはない。彼が反腐敗に熱心なのも、政権が内部から崩壊することを恐れてのことだろう。
しかし反腐敗を掲げ、有能な将軍たちを粛清したことで、軍内部では不満が高まっている。皮肉なことに、李自成に倒された崇禎帝の道と重なる。習近平氏が李自成を恐れれば恐れるほど、崇禎帝に近づくように見える。
不満分子をあぶり出す現代の「五・一六通告」がいつ出てもおかしくない状況だ。表向きは強権化しながら内部は弱体化する――現在の中国は、文革の論理と王朝末期の論理を同時に体現している。文革は終わっていない。
崇禎帝を追い詰めたのは、北から攻めてきた清軍ではなく、国内で蜂起した李自成の農民反乱軍だった。この一点だけを押さえておけば十分だろう。
中国政府が最も警戒するのは、外側より内側の火種だ。漢民族地域で相次ぐ抗議活動、経済の停滞、軍内部の「やりすぎだ」という声……これらは互いに無関係ではない。どこで結びつき、燃え上がるかはわからない。
歴史を知る者として、現在の北京に既視感を覚える。中国の未来だけでなく、日本の未来とも無関係ではない。
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楊 海英(よう・かいえい)
静岡大学教授/文化人類学者
1964年、南モンゴル(中国・内モンゴル自治区)出身。北京第二外国語学院大学日本語学科卒業。1989年に来日。国立民族学博物館、総合研究大学院大学で文学博士。2000年に帰化し、2006年から現職。司馬遼太郎賞や正論新風賞などを受賞。著書に『逆転の大中国史』『独裁の中国現代史』など。
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(静岡大学教授/文化人類学者 楊 海英)

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