■「なぜ全部タダで見られないの?」
人気スポーツイベントの視聴スタイルが、大きく変わっている。6月11日に開幕するサッカーワールドカップ(W杯)北中米大会の全104試合の日本国内独占配信権を、動画配信サービスの「DAZN」(ダゾーン)が獲得している。ある大学の授業の後、サッカーファンの学生から素朴な疑問を投げかけられた。「なぜ、タダでぜんぶ、ワールドカップの試合を見られないのですか?」と。
一言でいえば、そういうメディア環境の時代なのだ。「市場原理です」と、スポーツビジネスに詳しい半田裕さん(大阪経済大学客員教授)は説明する。
「放送権、配信権を持っている大元は、FIFA(国際サッカー連盟)です。できるだけFIFAはカネが欲しい。だから、ワールドカップの放送権料は高騰の一途をたどりました。で、テレビ局はもう、高額な放映権料を自分たちだけで払えなくなった。
いわば、映画と似ている。どうしても見たければ、レンタルビデオを借りる、いや定額制動画配信サービス(動画サブスク)の「ネットフリックス(ネトフリ)」などと契約する。音楽を聴きたければ、「Apple Music」などの定額制音楽配信サービス(音楽サブスク)と契約するだろう。スポーツイベントもしかり、なのだ。
そういえば、1997年に創業したネトフリは当初、レンタルビデオ(DVDやBlu-ray)の郵送レンタル事業を行っていた。1999年に月額料金で好きなだけ映画が借りられる定額制(サブスクリプション)を導入し、2007年、インターネットを通じた動画ストリーミング配信を開始したのだった。
■かつてW杯放送権は推定6億円だった
かつては、テレビ全盛の時代だった。1998年のフランス大会、日本代表が初めてW杯に出場した時、多くの人々はテレビの前に陣取った。
その頃、テレビ放送に加え、人工衛星(BS放送やCS放送)を経由して、テレビなどの電波を各家庭へ直接送信する放送システム「衛星放送」が登場した。母国開催となった2002年のW杯日本・韓国大会では、メディア界に激震が走った。CS放送のスカイパーフェクTV!(現・スカパー!)が放送権獲得争いに参入したからだった。
結局、スカイパーフェクTV!とジャパン・コンソーシアム(JC=NHKと民放連による共同放送機構)が放送権を獲得した。FIFA側に支払った金額は一気に跳ね上がり、いずれも放送権料は公表していないが、スカイパーフェクTV!が120億円、JCは66億円程度と推定された(2)。
そのあと、2006年のW杯ドイツ大会では日本の放送権料は一旦落ち着いたが、2010年の南アフリカ大会から再び、上がっていった。
スポーツメガイベントの三大収入源は、スポンサー収入、チケット収入、そして放送権料である。前者2つは限りがある、でも放送権料には天井がないのである。ほとんどビディングシステム(入札システム)のような形で金額が決まっていくため、数字がどんどん上がっていくのだった。
■DAZNがテレビ局に勝てる理由
インターネットの普及に合わせ、OTT(Over The Top=ネット配信型テレビ)が台頭してきた。
例えると、インターネットが世界中を縦横無尽につなぐ高速道路とすれば、OTTはその道路を走る配送事業者みたいなものか。前出のDAZNやネトフリ、ABEMA、Amazon、Prime Video、Disney+などがこれにあたる。
ついでに言えば、VOD(Video On Demand)は、好きな時に動画を見る「オンデマンド視聴」の仕組みを指す。SVODとは「Subscription Video On Demand(定額制ビデオ・オン・デマンド)」の略称で、毎月(または毎年)の定額料金を支払うことで、動画コンテンツを期間中何度でも自由に視聴できるサービスモデルのことだ。これが広がった。
OTTの存在がとりわけ話題になったのは、2021年、DAZNがW杯アジア予選の日本国内の独占配信権を主催者のアジア・サッカー連盟(AFC)の放送権を管理する代理店と契約した時だった。
ホームでの日本代表戦は、地上波のテレビ朝日が、DAZNから放映権(サブライセンス)を購入して放送したが、W杯出場が決まる2022年3月、アウェイ(敵地シドニー)でのオーストラリア戦は地上波がその権利を購入できず、結局、地上波テレビではW杯出場決定の瞬間が放送されなかった。確か、ちょっとした騒ぎになった。日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長(当時)らが「地上波へのサブライセンス提供」をDAZNにお願いしたが、事態は好転しなかった。
■配信権・放送権料は300~350億円規模に
前回の2022年のW杯カタール大会では、インターネットテレビの「ABEMA」が全64試合を無料で生中継し、日本戦など41試合をNHKなど地上波3局が中継した。金額は公表されていないが、推定で200億円程度(3)といわれた。
そして、今大会は、参加チーム数が「32」から「48」に拡大したことで、試合数が「64」から「104」に大幅に増えた。DAZNがネット配信では全試合をライブ配信し、地上波ではNHKが34試合、日本テレビが15試合、フジテレビが10試合を生中継する。このため、地上波で放送されない45試合はDAZNのみで視聴できる。日本戦については、地上波はもちろん、DAZNでも無料で視聴できる。
配信権・放送権料は、公表されていないが、複数のメディアによると、DAZNと地上波テレビ局で合わせて、300億~350億円規模とみられている(4)。
半田さんは、ネット配信で「視聴する側の利便性は間違いなく上がった」と言う。
「視聴スタイルは多様化しました。テレビ一辺倒から個別視聴へと変化しています。テレビでなくても、スマホで見ることができます。自分の部屋でも、電車でも、好きな場所で、日本の試合を見ることができる。見逃しても、後から見てもいい。これは視聴者にとってはラクでしょ」
ちなみに、筆者は、迷った挙げ句、ネトフリに続き、今回、DAZNとも契約した。
■大谷翔平のWBCもW杯も「課金」の時代へ
そうはいっても、スポーツファンにとっては、地上波テレビで試合をライブで見られないのはつらいだろう。ことし3月の野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、ネトフリが約150億円(推定)(5)もの大金を出して、前回大会(2023年)で視聴率40%超えを記録した大会の全47試合を日本で独占ライブ配信した。
日本の国際スポーツイベントとしては異例の「テレビ中継ゼロ」大会となった。日本代表(侍ジャパン)の大谷翔平や山本由伸のプレーをみたければ、“お金を払ってください”というわけだ。
繰り返すけれど、「スポーツ中継は新しいフェーズに入った」のだ。もはやインターネット全盛の時代。ネトフリなどのネット動画配信サービス会社は、地上波テレビ会社とは桁違いの規模のビジネスを展開している。収益構造が違う。ネトフリの場合、収益源はサブスクで会員契約料を直接支払うすべての視聴者であるのに対し、テレビ会社は視聴率目的のCMスポンサー企業(NHKは受信料)となる。
■コアファンは増えるが、新規ファンは減る
前回2023年WBCにおける日本の放送権料は30億円程度といわれていたから、今年のWBCで、テレビ会社がその5倍もの放送権料をねん出するのは無理だったに違いない。
ネトフリの投資対効果はどうだったのか。侍ジャパンは準々決勝敗退で期待外れに終わったが、新規契約者による収益に加え、知名度、普及度アップで、「成功」といえるだろう。
ただ、スポーツの普及、発展という視点でみた場合、この傾向はネガティブである。有料のネット配信会社の独占だと、熱狂的な野球ファンだけが囲い込まれることになる。スポーツの広がりでいえば、たまたまスポーツ中継を見るとか、ダイジェストではなく、大谷翔平の前後の選手のプレーも見るとか、そういうことが野球の発展につながっていくのだろう。テレビ中継で大リーガーに憧れて、野球をやりたくなるような子どもたちが少なくなるんじゃないかと危機感を抱く。
いわば、そのスポーツのコアファンはお金を払ってでもスポーツコンテンツにアクセスするけれど、ライトファンは増えにくい状況に陥ることになる。スポーツイベントを主催するスポーツ団体には莫大なお金が入るのだろうが、スポーツの未来を考えた場合、その新規ファンの開拓は難しくなる。
人気のメジャースポーツは課金のネット配信、それ以外のスポーツはテレビ放送か無料のSNS(Social Networking Service)というすみ分けが進むかもしれない。
■スポーツは誰のものなのか
最近、ちまたで耳にするのが、国民的関心の高いスポーツイベントを広く視聴できる「ユニバーサルアクセス権」である。これは、スポーツ文化が根付いている英国で1950年代に整備がはじまった。人気スポーツを「公共財」ととらえ、国民の関心の高いサッカーW杯やオリンピック、テニスのウィンブルドン決勝などをリスト化し、無料での放送が提供される必要があるとするものだ。
この権利は、ドイツやフランスなどのヨーロッパほか、韓国、台湾でも制度化されている。ただ、日本には、英国のように、「特別なスポーツは娯楽ではなく国民的な文化財」といった概念があるのかどうか。
ユニバーサルアクセス権や放送業界に詳しいスポーツプロデューサーの杉山茂さんは「現時点では、日本にはユニバーサルアクセス権は、ない」と言い切る。
「ようやく、論点整理などの議論が始まったところです。日本にスポーツ文化は公共財として、根付いているのかどうか。現状では、ユニバーサルアクセス権を保証すること自体、ナンセンスだと思います」
それでは、やはりスポーツ団体の社会的責任に頼るしかあるまい。競技を社会へ開くスポーツ団体には、タダでも人気イベントを視聴者に届ける使命があるはずだ。要は、収益とファン拡大のバランスだろう。
人気スポーツイベントは、どこまで有料化され、どこまで社会に開かれるべきか。ネット時代のスポーツ視聴方法は新たな岐路に立っている。普及を度外視してはなるまい、その権利を持つ国際スポーツ団体は一度、立ち止まるべきである。
【注】
(1)「サッカーとお金の話」『週刊サッカーダイジェスト』2014年5月13日号
(2)「サッカーワールドカップ放送権ビジネスの攻防」『スポーツ放送ビジネス最前線』2001年5月10日号 メディア総合研究所 花伝社
(3)「放映権料200億円の舞台裏」「AERA DIGITAL」(2022年12月1日付、2026年5月27日閲覧)
(4)【「見合うだけの投資だと判断」DAZNのW杯配信権獲得の裏側「環境を作ることは責務」笹本CEOの熱意】「スポーツ報知」(2026年5月12日付、5月27日閲覧)
(5)【WBC「視聴者3000万人超」は“成功”だった? 150億円で独占配信「ネトフリ」の収支決算】「デイリー新潮電子版」(2026年3月30日配信、5月27日閲覧)
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松瀬 学(まつせ・まなぶ)
ノンフィクションライター・日本大学客員教授
1960年長崎県生まれ、福岡・修猷館高校、早稲田大学ではラグビー部に所属。同大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。83年、共同通信社に入社。4年間、米NY支局勤務。02年に同社退社後、スポーツ・ジャーナリストに。多様なスポーツ競技やオリンピック、サッカー、ラグビーW杯などの国際大会を取材。2019年RWC組織委員会広報戦略長も務めた。元日本体育大学教授(ラグビー部部長)。現日本大学客員教授。専門が「スポーツ社会学」「スポーツジャーナリズム/メディア論」「スポーツマネジメント論」。日本文藝家協会会員。著書は『汚れた金メダル 中国ドーピング疑惑を追う』(文藝春秋社)『東京五輪とジャーナリズム』(共著・創文企画)など30数冊。モットーが「感謝」。
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(ノンフィクションライター・日本大学客員教授 松瀬 学)

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