ワールドカップにおいて背番号「1」は、チームの最後の砦である守護神に与えられる特別な番号だ。日本代表においても、その時代を象徴するゴールキーパーたちがこの番号を背負ってきた。
ここでは、日本が出場した歴代ワールドカップで「1番」を託された守護神たちを振り返る。
小島伸幸(1998)
日本代表が初めてワールドカップに出場した1998年フランス大会。この歴史的な大会で背番号1を託されたのが小島伸幸だった。ただし、この大会において小島に出場機会はなかった。実際にゴールマウスを守ったのは川口能活であり、小島はベンチからチームを支える役割を担っていた。
それでも、初出場という特別な大会で背番号1を背負った意味は決して小さくない。当時の日本代表は、まだ世界との経験値に大きな差があり、チームとしても手探りの状態だった。その中でGK陣の一員として大会を戦い抜いたことは、後の日本サッカーにとって重要な財産となっている。
ピッチに立つことはなかったが、チームの一員として大会を経験したこと、そして“日本代表初の背番号1”として名を刻んだことは、彼のキャリアにおいて大きな意味を持つ出来事だった。
川口能活(2002)
日本サッカー史に残るワールドカップ、母国開催の2002年大会。この大会で背番号1を背負ったのは川口能活だった。
ただ、この大会で監督を務めたフィリップ・トルシエは楢崎正剛をレギュラーとして起用したことから、川口には一度も出場機会が回ってくることはなかった。
それでも、川口がこの大会の重要人物であったことに変わりはない。1998年フランス大会で実際にW杯のピッチを経験していた数少ない存在であり、初の自国開催大会に臨む日本代表にとって、その経験値は非常に大きかったはずである。
そして、彼はその後ジーコ体制で正GKの座を取り戻し、2006年のドイツW杯では守護神として全試合でゴールマウスを守っている。
楢崎正剛(2006、2010)
2006、2010年大会で背番号1を背負ったのは楢崎正剛だった。2002年はレギュラーとして出場したものの、4年後のドイツでは川口能活にポジションを奪われており、一試合も出場していない。
さらに2010年大会でも、開幕直前まで正ゴールキーパーを務めていたものの、岡田武史監督による土壇場の変更で川島永嗣にポジションを奪われた。
それでもワールドカップにおける楢崎正剛の貢献度は高く評価しなければならないものだ。2002年大会では初の決勝トーナメント進出に貢献し、その後の2大会でもベンチからチームを支えてベテランとしての役割を果たした。
川島永嗣(2014、2018、2022)
(C)Getty Images
2014年ブラジル大会、2018年ロシア大会、そして2022年カタール大会と、3大会連続で背番号1を背負ったのが川島永嗣だ。長期間にわたって日本代表の守護神として君臨した存在である。
岡田武史監督が本大会直前で守備的な戦術に変更した大改造により、2010年大会直前にレギュラーの座を任され、決勝トーナメント進出に貢献。その際は背番号「21」を着用していた。
そして次回の2014年大会では「1」を任されてプレー。その際にはグループステージ敗退に終わったが、次の2018年大会ではリベンジを果たす決勝トーナメント進出に成功している。
2022年大会は1番を着用したもののゴールマウスを権田修一に譲る形となり、再びの決勝トーナメント進出を果たしたチームをベンチから支える役割を担った。
なお、ワールドカップ4大会出場は川口能活と並ぶ記録であるが、3大会でレギュラーを務めたのは川島永嗣のみである。
日本代表、歴代のワールドカップで「背番号10」を付けた7名の選手
※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。
筆者:石井彰(編集部)

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