デビュー50周年を迎えた今年、1975年~1999年に日本で発売されたシングルをまとめた編集盤『ジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ-』がリリースされたブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)。日本独自企画のベスト・アルバムというだけで貴重だが、本作は2枚のCDにボーナストラックが追加されたほか、初期から近年までの主なビデオクリップ(計62曲!)をたっぷり収録したDVD2枚も含む超豪華4枚組になっている。
本稿では、このアルバムに収録された初期から90年代までの代表的なシングル曲を見渡しながら、彼の魅力を改めて紐解いていこう。

ブルース・スプリングスティーンは1949年9月23日、ニュージャージー州で生まれた。オランダ系とアイルランド系の血を引く父は運転手など数種の職を経験するも失業を繰り返したため、イタリア系の母が秘書として働き、もっぱら家計を支えたという。地元のフリーホールドでカトリック系の学校に通っていたブルースは56年、7歳のときに『エド・サリヴァン・ショー』でエルヴィス・プレスリーのパフォーマンスを見て、ミュージシャンに憧れを抱いた。母が借りてきてくれたアコースティックギターに初めて触れ、スターの真似事をしたのもこの頃のことだ。

決定的だったのが64年、『エド・サリヴァン・ショー』でビートルズを見たこと。
これがきっかけとなり、ローリング・ストーンズ、アニマルズなど、アメリカに進出してきたブリティッシュ・ビート・バンドに魅了されていく。64年のクリスマスに母がローンを組み、最初のエレキギターを買ってくれたときの想いを、ブルースは後年「ザ・ウィッシュ」という曲に綴った。

バンドを組んでライブ活動を開始したのは65年から。ロックとソウル・ミュージックが革命期を迎えていた60年代の音楽シーンをリアルタイムで体験しながら、ミュージシャンとして腕を磨くことができた幸せな世代だ。このディケイドに全身で浴びた音楽こそがブルースの血肉を作り、創作の源泉にもなった。そこは同い年のビリー・ジョエル(ニューヨーク出身)や、少し年上のダリル・ホール(フィラデルフィア出身)とも通じるところだが、彼らのグループが60年代後半からレコードを何枚もリリースしていたのに対し、ブルースが在籍したいくつかのバンドはレコードを発表するところまでなかなか到達できなかった。


「ロザリータ」 from 『青春の叫び』

長い下積み時代を経てソロ・アーティストに転じたブルースが、コロムビア・レコードと長期契約を果たしたのは72年のこと。73年に1stアルバム『アズベリー・パークからの挨拶』(Greetings from Asbury Park, N.J.)と『青春の叫び』(The Wild, the Innocent & the E Street Shuffle)を続けて発表。人種混成のEストリート・バンドを従えた熱狂的なライブも評判となり、徐々に音楽メディアからの注目度が増していく。そして75年の傑作『明日なき暴走』(Born to Run)が全米3位まで上昇、アメリカン・ロックの未来を担う存在へと一気に躍進した。日本デビューは74年にリリースされた『青春の叫び』で大きな反響を呼ばずに終わったが、『明日なき暴走』は日本でも好セールスを記録、スターの仲間入りを果たしている

「涙のサンダーロード」「ジャングルランド」など、名曲揃いの『明日なき暴走』だが、初めて全米シングルチャートのトップ30に食い込んだタイトル曲(23位)抜きでこのアルバムは語れない。ドラムスの連打で始まる鮮烈なオープニング、デュアン・エディを思わせるギターのドライヴ感、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを意識した分厚いサウンドはインパクト十分。
そしてブルーカラーの閉塞した日常を打ち破ろうともがく主人公の心情を、ブルースが切々と歌い上げる。心の機微を伝える歌唱はロイ・オービソンが念頭にあったそう。初期の楽曲から詩的センスは証明済みだったが、ボブ・ディランとたびたび比較された抽象的な表現から脱却、普遍的なポップ・ソングとして広く受け入れられる詞世界を早くも確立している。4分半に凝縮されたこのオペラティックな名曲が、2020年にローリング・ストーン誌が選出した「ブルース・スプリングスティーンの名曲40選」で1位に選ばれたのも至極当然だ。

「明日なき暴走」 from 『明日なき暴走』

マネージャーとの訴訟による活動停滞期間を経て、パティ・スミスに提供した「ビコーズ・ザ・ナイト」がヒットした直後にリリースされた『闇に吠える街』(Darkness on the Edge of Town、78年:米5位)は、前作より陰影に富んだアルバムになった。同作からのシングルを見ると、ここにも60sロックを参照した痕跡が確認できる。
「暗闇へ突走れ」(米33位)のイントロはマンフレッド・マンの「シャ・ラ・ラ」を彷彿させるし、「バッドランド」(米42位)も、やはりアニマルズがヒットさせた「悲しき願い」をマイナーからメジャーに置き換えたようなリフが印象的。事あるごとに自身のルーツに立ち戻って換骨奪胎する技は、ブルースならではの妙味だ。ある意味オールディーズに取り憑かれたソングライターという側面も、彼には一貫してあるように思う。

「バッドランド」 from 『闇に吠える街』

セールス的ピークを迎えた80年代

ブルースは70年代後半~80年代前半にかけて、日本の音楽シーンにも絶大な影響を与えている。従来のフォーク/ニューミュージックの文脈からはみ出る作風の新しいシンガー・ソングライターたち……浜田省吾佐野元春尾崎豊といったアーティストたちにインスピレーションを与えたのは『明日なき暴走』以降のブルース。詞・曲のみでなく、バンド編成からライブパフォーマンス、立ち居振る舞いやアティチュードにいたるまで、ブルース&Eストリート・バンドのあり方が参考にされ、ロールモデルのひとつになったことは疑いようがない。


ブルースにとって初めての全米トップ10入りシングルになった曲が「ハングリー・ハート」(米5位)。ストーリーテラーとしての深さを見せつけた大作『ザ・リバー』(80年:米1位)が高く評価される一方で、同作からこの曲をポップマーケットに送り込み、新たなファン層を開拓した。実はラモーンズに提供するつもりだった曲であることも、今ではよく知られている。60s R&Bへの愛が色濃くにじむこの曲と、ルーツとしてのR&Bを掘り下げた現時点での最新スタジオ・アルバム『オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ』(2022年)を並べて見ると、ブルースにとっての「R&Bのツボ」がどの辺にあるのかつかみやすそうだ。デトロイトのモータウンからフィラデルフィア、シカゴ、サザン・ソウルまで、ラジオで熱心にR&Bヒットを聴いてきた人ならではの感性が「ハングリー・ハート」には満ちている。

『ザ・リバー』の制作中に萌芽したカントリーミュージックや物語歌への興味は、次作『ネブラスカ』(82年:米3位)に結実した。
デモのつもりで自宅録音した弾き語り中心の音源を、試行錯誤の末そのままの形でリリースすることに。アメリカ社会の暗部に踏み込んだ極めてリアリスティックな筆致の楽曲が並ぶ本作は、バンド編成のアルバムとは異なる視点をブルースに与え、のちの『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』(95年)や『デビルズ・アンド・ダスト』(05年)へと繋がっていく。日本やヨーロッパ、オーストラリアなどでシングルが発売された「アトランティック・シティ」は、本人が出演しないモノクロのビデオクリップが、陰鬱な詞世界とリンクして重い余韻を残す。

「ハングリー・ハート」 from 『ザ・リバー』

「アトランティック・シティ」 from 『ネブラスカ』

その『ネブラスカ』と制作期間が重なっている『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』(84年:米1位)は、実に7曲がシングルカットされて全て全米トップ10入り、全世界で3千万枚以上を売るモンスターアルバムとなった。ブルースが”ヒットする曲”を狙って作ったダンサブルな第1弾シングル「ダンシン・イン・ザ・ダーク」(2位)は、ライブで取り上げたジュリアン・カサブランカス(ザ・ストロークス)をはじめ多くのアーティストがカバーしている。ディスコ・ロック味がある「カヴァー・ミー」(7位)は、もともとドナ・サマーに提供するつもりだった曲を温存しておいたもの。ジョニー・キャッシュを思わせるテイストの「アイム・オン・ファイア」(6位)は、日本では全ファン待望の初来日公演(85年 4月)に先駆けて「来日期待記念盤」という触れ込みでシングルが発売されたことが懐かしい。

他にも、歌詞を踏まえて野球にちなんだビデオクリップが作られたポップなロックチューン「グローリィ・デイズ」(5位)、軽快な曲調とは裏腹にビターなつぶやきが歌われる「アイム・ゴーイン・ダウン」(9位)、シンセサイザーを敷いた叙情的な「マイ・ホームタウン」(6位)と、曲のバリエーションが豊富。ソングライターとしての引き出しの多さを見せつけたアルバムとも言えるが、そんな本作において、ベトナム戦争の帰還兵が社会復帰できない状況に言及したタイトル曲「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」(9位)が、『ネブラスカ』の余韻を感じさせる。歌詞の意図を汲み取らずに単純な愛国ソングと思い込まれることもあり、ブルースにとっては最も誤解された曲になった。

「ダンシン・イン・ザ・ダーク」 from 『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』

「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」 from 『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』

社会的なテーマとの向き合い方

LP5枚組という常識破りのボリュームで発売されたライブ盤『THE ”LIVE” 1975-1985』(86年:米1位)からのシングルも忘れがたい。戦争を全否定したエドウィン・スターの名曲「ウォー」のカバー(米8位)は、当時の大統領、ロナルド・レーガンの中米などへの外交政策に”ノー”を突きつける鋭いステートメントとなった。このシングルでも、冒頭にブルースのこんなMCが前置きされている。

”60年代、ぼくたちは、毎晩テレビで戦争のニュースを見ながら大きくなった。友だちの多くがその戦争に行った。次の歌を、会場にいるすべての若者のために歌いたい。もし君が10代なら……、というのは、戦争に行った友だちの多くは17か18だったんだ。あの頃は、いろんなことに対して自分がどう感じているか考える機会がなかった。次に戦争が起これば、戦争に行くのは君たちなんだ。その時、自分が本当にどうしたいかを知るためには、多くの情報が必要だ。というのは、1985年の今、この国の指導者なんかを盲目的に信じていたら、殺されてしまうよ”

かれこれ20年近くセットリストから外れている「ウォー」だが、この曲が再び歌われるタイミングがあるとしたら、消化性潰瘍を治療するため来年に延期されたツアーが再開されたときになるのかも……今の世界情勢を見ていて、そう考えるファンは少なくないのでは。そういうアクションを実際にできてしまう数少ないロックシンガーだし、ファンから求められる役割に対して、彼はいつも自覚的で誠実だった。

「ウォー(Live)」 from 『Live 1975-85』

しかし『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』のメガヒット以降、自身のイメージがすっかり固まってしまったことに対する反動は少なからずあったようで、ブルースは社会的なテーマから少し距離を置き、自宅に設置したスタジオで『トンネル・オブ・ラヴ』(87年:米1位)に取り組んだ。ブルースの姿勢が軟化したと批判する声もあったが、今では私小説風で告白的な内容がリリース当時よりずっとポジティブに評価されているアルバムだ。本作から先行シングルに選ばれた「ブリリアント・ディスガイズ」(米5位)を、ザ・ルーツのクエストラヴは2020年にこう評した。

”筆者がアルバム『トンネル・オブ・ラヴ』を買ったのは16歳の時だった。大ヒットアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』に続く本作について、特に批評家をはじめとする多くの人たちは全く期待していなかったと思う。しかし批評家の言うことには、いつでも騙されてきた。(中略)「ブリリアント・ディスガイズ」でスプリングスティーンは、あからさまに夫婦生活の終わりを宣言している。セレブがもてはやされる今の時代にあっても、有名人のほとんどは私生活を必死で隠そうとする。しかし彼は「僕らは精一杯やった。でもだめだった」という感じだった。問題は解決しなかったのだ。音楽からこのような率直さや弱さを感じられることは、めったにない”

「ブリリアント・ディスガイズ」 from 『トンネル・オブ・ラヴ』

「トンネル・オブ・ラヴ」 from 『トンネル・オブ・ラヴ』

当時の妻、ジュリアンヌ・フィリップスと離婚が成立したのは88年だが、本作に収められた曲のあちこちに、結婚生活が破綻しかけていることを示唆する箇所がある。タイトル曲「トンネル・オブ・ラヴ」(米9位)はパートナーに対する不安をジェットコースターになぞらえて暗喩的に描いているように聞こえたし、「ワン・ステップ・アップ」(米13位)でも日々同じような衝突を繰り返すことの徒労感が窺えた。クエストラヴは前述のテキストでマーヴィン・ゲイの『離婚伝説』などを例に挙げて語っているが、ブルースにとっても深刻な時期の産物だったことは間違いない。

なお、2度目の来日となった88年9月、人権宣言40周年を記念して行われたアムネスティ主催のイベント『ヒューマン・ライツ・ナウ!』(ピーター・ガブリエル、ユッスー・ンドゥールらと共演)に先駆けて、日本ではこのアルバムから「タファー・ザン・ザ・レスト」と「スペア・パーツ」の8cmシングルCDが来日記念盤として同時発売されている。79年に反原発イベント、ノー・ニュークス・コンサートに出演して以降、ブルースは社会的な取り組みにも積極的になっていった。

「タファー・ザン・ザ・レスト」 from 『トンネル・オブ・ラヴ』

新たな方向性を見出した90年代

Eストリート・バンドとの活動に一旦区切りをつけ、90年にパティ・スキャルファと再婚、父親になったブルースは、家族を連れてLAへ拠点を移した。そしてスタジオ・ミュージシャンを起用した『ヒューマン・タッチ』(米2位)と『ラッキー・タウン』(米3位)、2枚のアルバムを92年に同時リリース。「危険と苦痛を避けて真の愛を見つけることはできない」と悟ったように歌われる「ヒューマン・タッチ」と、「今、新しいスーツと一本の赤いバラがある/それに友だちと呼べる女がいる」と噛みしめるように歌う「ベター・デイズ」の2曲が、両A面扱いのシングル(米16位)としてリリースされたのは象徴的だった。環境も仲間も刷新して、新たな方向性を見出そうと模索していたことを、ブルース自身も認めている。

「ヒューマン・タッチ」 from 『ヒューマン・タッチ』

「ベター・デイズ」 from 『ラッキー・タウン』

”個”としての表現に向かっていたこの時期に、ブルースはジョナサン・デミ監督の劇映画『フィラデルフィア』(93年)のテーマ曲に取り組む。監督からのリクエストはバラードだったが、ブルースはヒップホップ的なビートに乗せて歌うことを選んだ。オーバーダブしたベースとコーラス以外のほぼ全パートをブルースが演奏、多重録音したこの曲は、94年2月にシングルカットされて米9位、英2位まで上昇。ゲイやエイズ患者に対する偏見をテーマにした映画であることも踏まえながら、ブルースは過去に亡くした友人への想いを歌詞に反映したという。この曲はアカデミー賞で最優秀歌曲賞を獲得したほか、グラミー賞でもソング・オブ・ジ・イヤー他計4部門で受賞、彼にとって新たな代表曲となった。今よりもずっと同性愛が理解されていなかった30年前の話だ。

95年にはベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』用に再びEストリート・バンドと組んで録音した新曲のひとつ、「シークレット・ガーデン」(米63位)をシングルとして発表。この曲は別ミックスが映画『ザ・エージェント』(96年)で挿入歌として使用され、全米チャートでの順位を19位に更新した。今のところ、全米トップ20入りしたシングルはこれが最後となっている。

「ストリーツ・オブ・フィラデルフィア」 from 映画 『フィラデルフィア』 OST

「シークレット・ガーデン」(映画 『ザ・エージェント』 より)from 『Greatest Hits』

『ネブラスカ』以来久々にアコースティックギターの弾き語りに回帰したアルバム『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』(95年:11位)のタイトル曲は、アメリカではシングルカットされなかったが、イギリスではシングルチャートで26位まで上昇、日本でも12cmシングルCDが発売された。トム・ジョードとはスタインベックの小説『怒りの葡萄』の主人公。1930年代、ダスト・ボウルと呼ばれた大砂塵で耕作ができなくなり、故郷のオクラホマ州を追われた貧農のジョード一家は、新天地になるはずだったカリフォルニアで過酷な現実に直面する。同作はジョン・フォード監督によって映画化もされており、ブルースは小説と映画、両方を味わった上で、このキャラクターを用いて歌詞を書いた。ウディ・ガスリーの曲「トム・ジョード」からもインスパイアされたという。アメリカンドリームの裏に根強く残り続ける貧困、不平等という現実を浮き彫りにした会心の1曲だった。97年1月にはこのアルバムのツアーで3度目の来日が実現している。

『ジャパニーズ・シングル・コレクション』には、ビデオ作品『ブラッド・ブラザーズ』(96年)に封入されていたEストリート・バンドとの同題曲、レア音源集『トラックス』及び『18トラックス』(98年)に収められていた渾身の1曲「アイ・ウォナ・ビー・ウィズ・ユー」、88年のアムネスティ・ツアーに参加した際の音源「自由の鐘」(99年)を収録。90年代の終わりまでに日本でリリースされたシングルがまとめて聴けるほか、ボーナス・トラックとしてチャリティ・アルバムに提供したクリスマス・ソング「サンタが街へやってくる」(81年)や、映画『デッドマン・ウォーキング』(95年)の主題歌、2014年4月のレコード・ストア・デイでシングルが発売された「アメリカン・ビューティー」、映画『カセットテープ・ダイアリーズ』(2019年)で挿入歌として使われた「アイル・スタンド・バイ・ユー」も収録されている。

「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード」 from 『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』

「アイル・スタンド・バイ・ユー」 from 映画 『カセットテープ・ダイアリーズ』 OST

『ジャパニーズ・シングル・コレクション』の括りは99年までということになっているが、DVDには9.11同時多発テロの後に製作された『ザ・ライジング』(2002年)以降~現在までのビデオクリップもまるっと収録された。シングルチャートは縁遠くなったが、2000年代以降はアルバム・アーティストとしての地位を確立。全米アルバムチャートで『明日なき暴走』以降、70年代、80年代、90年代、2000年代、2010年代、2020年代と6つの年代でトップ5入りを果たしたアーティストはブルースが史上初だ。

いつの時代も社会の暗部に目を向け、弱き者の立場に寄り添って歌い続けてきたブルースの詞世界は、アメリカンのためだけにあるものではもちろんなく、むしろ今の日本で聴くと痛いほど響くはず。どん詰まりの状況や絶望に直面しても、生き抜いていくためのヒントと希望を彼の曲は与えてくれる。だからこそ彼の楽曲が重要な位置を占める『カセットテープ・ダイアリーズ』のような映画も生まれるし、世代を越えて聴き継がれるアーティストであり続けているのだろう。

そして本稿を執筆している間に、驚きの新曲が公開された。ブルース・スプリングスティーン&パティ・スキャルファ夫妻名義で映画『She Came To Me』に提供した「Addicted To Romance」は、近年常連のロン・アニエッロと共同で、ザ・ナショナルのブライス・デスナーがプロデュース! 今回はブライス側からブルースにアプローチしたそうで、「生涯のブルースファン」だというブライスは、「ブルースと一緒にこの曲に取り組むのは夢だったし、彼は信じられないほど寛大で、僕のアイデアや貢献を受け入れてくれた」と熱っぽくコメントしている。近年はジャック・アントノフのプロジェクト、ブリーチャーズや、キラーズ、ガスライト・アンセムなど、後輩たちとのコラボに積極的なブルース。74歳になった今も、変わらぬ音楽愛と探究心で我々を楽しませてくれる彼を、人々は敬愛の念を込めて”ボス”と呼ぶ。

ブルース・スプリングスティーンのデビュー50周年、「ボス」が生んだ永遠の名曲を振り返る

ブルース・スプリングスティーン
『ジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ-』
発売中
●日本独自企画
●DISC1&2|CD|高品質Blu-spec CD2仕様×2023年デジタル・リマスター(全35曲)
●DISC3&4|DVD|ミュージック・ビデオ完全網羅(全62曲)
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ブルース・スプリングスティーンのデビュー50周年、「ボス」が生んだ永遠の名曲を振り返る

デビュー50周年記念
Blu-spec CD2紙ジャケット仕様 全25タイトル一挙リリース
●第一弾 2023年10月25日発売(8タイトル)
●第二弾 2023年11月22日発売(9タイトル)
●第三弾 2023年12月20日発売(8タイトル)
詳細:https://www.110107.com/s/oto/page/bruce_BSCD2?ima=1231