着実に世界的な評価を積み上げる挾間。彼女の音楽活動における柱の一つが、デンマークの名門デンマークラジオ・ビッグバンド(以下、DRBB)の首席指揮者という役割だ。これはサド・ジョーンズやボブ・ブルックマイヤー、ジム・マクニーリーといったジャズ・ビッグバンド史の巨星たちが歴任してきた大役であり、彼女がジャズの伝統を継承し、その正統な延長線上に立つ存在であることを名門も認めていることの表れだ。
上述のグラミー賞ノミネート楽曲を含む、昨年リリースの『Live Life This Day: Celebrating Thad Jones』に続き、DRBBを率いての3作目となる『Frames』が発表された。前作はサド・ジョーンズへのトリビュートであったが、今作では歴代のDRBB首席指揮者たちから得たインスピレーションをもとに作曲し、この偉大なビッグバンドが歩んできた歴史にオマージュを捧げている。その制作背景ゆえか、全曲書き下ろしのオリジナル曲でありながら、これまでの挾間の作品にはなかったようなサウンドも聞こえてくる。そんな意欲作について、本人に話を聞いた。
グラミー賞の最優秀インストゥルメンタル作曲賞にノミネートされた「 Live Life This Day (Movement 1)」。指揮は挾間、演奏はデンマーク・レディオ・ビッグバンド
DRBBの録音を時系列順にまとめたプレイリスト(筆者の柳樂光隆が選曲)。イヴ・グリンデマン(1964–68)、レイ・ピッツ(1971–73)、パレ・ミッケルボルグ(1975-77)、サド・ジョーンズ(1977-78)、オーレ・コック・ハンセン(1986-1995)、ボブ・ブルックマイヤー(1996~1998)、ジム・マクニーリー(1998~2002)のあと17年の空白期間を経て、2019年から挾間が首席指揮者を務めている
イヴ・グリンデマン(1964–68)
―今回のアルバムを作り始めたきっかけから教えてもらえますか。
挾間:2024年と2025年のシーズンがDRBBの創立60周年にあたる年で、2024年10月に記念コンサートが予定されていました。そのコンサートに向けて、新曲を複数書いてほしいと依頼されたのが最初です。
何曲も書く必要があったので、ゼロから新しい楽曲群をどう作るか悩んでいたんです。そのとき、バンドメンバーのハンス・ウルリクが「過去の音楽監督の作品を改めて勉強してみたらどうか」と提案してくれました。それまで自分の先生でもあるジム・マクニーリーや、 サド・ジョーンズ、ボブ・ブルックマイヤーの作品は好きで勉強していたけど、DRBBと関わってきた他の音楽監督の作品は、あまり深く掘っていなかったなと気づいたんです。
そこで過去の資料を調べていく中で、何かインスピレーションになるものが見つかるんじゃないかと思って取り組み始めました。最初に4曲を書いてコンサートで初演して、その後さらに2曲を加えて、計6曲を2025年11月に録音した、という流れです。
挾間美帆と門デンマークラジオ・ビッグバンド(Photo by Christian Larsen)
―DRBBの音楽監督と言えば、サド・ジョーンズ、ボブ・ブルックマイヤー、ジム・マクニーリーの貢献がいつも語られます。彼ら以外の音楽監督について、それぞれどういう人物だったのか教えてもらえますか。
挾間:このアルバムの収録曲とも関係してくるので、それと絡めてお話しします。まず初代音楽監督はイヴ・グリンデマン(Ib Glindemann) というデンマーク人で、1960年代にDRBBを創設した人物です。彼はサード・ストリーム(1950年代末、ジャズとクラシックを融合させようとしたムーブメント)に強い関心を持っていて、クラシックとジャズの融合のような音楽にも積極的に取り組んでいました。
当時のラジオ・ビッグバンドとしてはかなり野心的だったと思います。彼が指揮している映像の中で、アメリカの作曲家ジョージ・ラッセルの曲を演奏しているドキュメンタリーを見たのですが、その一瞬がすごくかっこよくて。
そこから書いたのが「The Pioneers Quest」です。タイトル通り「開拓者の冒険」という意味で、イヴ・グリンデマンとジョージ・ラッセルが実際に出会ってコラボしたら、どんな音楽が生まれただろう、という想像から作りました。
「The Pioneers Quest」
イヴ・グリンデマン『Talk Of The Town』ジャケット写真
―イヴ・グリンデマンは1964年から5年くらい在籍していた方ですが、録音はあまり残っていないですよね。
挾間:そうなんです。スタン・ケントンとの録音などはいくつか残っていて、そこから彼の嗜好は感じ取れるんですけど。
スタン・ケントンとイヴ・グリンデマンの録音
―サード・ストリーム的な志向があったということは、かなり先進的な方だったと。
挾間:そうですね。ラジオ・ビッグバンドだからといって、単にスイングだけをやればいい、という発想ではなかった人です。スタン・ケントン的な作品をやっていたり、アメリカ人のレイ・ピッツとのコラボレーションをやっていたりとか。
―DRBBは創設当初から今に繋がる方向性を見せていたと。
挾間:はい。ただ、彼の指揮を見ると、クラシックっぽい指揮をするので、スイング感はあまり強くない。そこはヨーロッパ的というか。実際、後にサド・ジョーンズと共演したメンバーの話を聞くと、「サドが来るまでは本当の意味でのスイングを体感していなかった」と言っていて。サドが来てからの2年間で、(在任こそ)短い期間でしたけど、バンドのスイングは劇的に変わったという話をよく聞きます。
―さっきジョージ・ラッセルの話が挙がりましたが、彼とDRBBの関係は?
挾間:ジョージ・ラッセル自身が設立当初のDRBBを指揮する映像は残っていますが、イブ・グリンデマンとジョージ・ラッセルが直接コラボレーションした記録は見つからなくて。楽譜は残っているのでラッセルの曲が演奏されていたことは確かなのですが、実際にどういう関わりだったのかは不明なんです。
―初期からレパートリーとして取り上げられていたことだけは判明していると。
挾間:65年の時点で彼の曲を演奏している映像が残っているので、かなり初期の段階だと思います。
―ジョージ・ラッセルは1973年に『At Beethoven Hall』というアルバムを発表していて、そこでは当時のDRBB首席指揮者だったレイ・ピッツが参加しています。
挾間:私は直接は聞いたことがないですね。その時代を知っている人が、もうバンドにはほとんどいないので。一番長く在籍している人でもサド・ジョーンズ以降(1977~78年)の時代からなので、それ以前の話はなかなか直接聞けないんです。
―それは残念ですね。ジョージ・ラッセルはヤン・ガルバレクなどのノルウェー勢との共演も多くて、北欧ジャズのキーマンでもあるんですよね。
挾間:そうなんですよね。ただ面白いのが、デンマークでよく言われるのですが、ノルウェーとスウェーデンの人は一緒にツアーすることが多いのに、なぜかデンマークは外されることが多いらしくて。ノルウェー語とスウェーデン語はある程度通じるけど、デンマーク語は全然わからない、っていう理由で、ちょっと仲間外れにされることもあって。地理的にはそこまで違わないのに、そういう文化的な距離感があるのは面白いですよね。
―イヴ・グリンデマンとジョージ・ラッセルに着想を得た「The Pioneers Quest」に話を戻すと、グリンデマン的なサード・ストリーム感や、ジョージ・ラッセル的な要素は、曲のどのあたりに表れていますか。
挾間:すごくマニアックですが、ピアノの伴奏があったところに音を重ねていくことで、最初はすごく綺麗だった和音が、だんだん複雑化していくところですね。
レイ・ピッツ(1971–73)
―では、次はレイ・ピッツ(Ray Pitts)について。
挾間:彼はアメリカ人のサックス奏者ですが、当時のデンマークは人種差別が比較的少なく、多くのミュージシャンを受け入れていた背景があって、レイ・ピッツもデンマークに住んで活躍しました。彼が使っていたソプラノサックスを、現在のDRBBのメンバーが受け継いでいるんです。その楽器を活かした作品を書きたいとずっと思っていたので、それが今回の制作の中で実現しました。
また、レイ・ピッツは30分にも及ぶロンド形式の曲をDRBBのために書き残しました。そんな大作を書いていたことに興味を持ち、そのロンド形式の作品を分析して、自分なりに再構築したのが「Rondo」です。だからソプラノサックスをフィーチャーしています。
DRBBを指揮するレイ・ピッツ
―レイ・ピッツは1971年から2年ほど音楽監督を務めたわけですが、彼の個性を解説すると?
挾間:彼自身はアレンジャーとしても多くの譜面をDRBBのために書きました。例えば、ベン・ウェブスターのためにアレンジを書いたり。演奏家としてだけでなく、アレンジャーとしてもその時代のバンドの中心にいたような存在なんです。
だから私たちにとっては、「音源」というよりも「譜面」で繋がっている人という感覚が強くて、彼の書き方には自然と慣れているんです。
実際、バンドのメンバーに「好きなDRBBのレパートリーを挙げて」と聞くと、彼の曲を挙げる人もいます。ジム・マクニーリーもそうで、「We Came To Play」という曲がお気に入りとのことでした。底抜けに明るくハッピーで、単純明快なあの曲を含めて、彼の譜面はずっと演奏され続けてきています。彼の譜面はシンプルなんですよ。ただその分、現場でアレンジを書いたり、演奏しやすいように調整したりといった、その時代のラジオ・ビッグバンドのあり方にはすごく合っていたんじゃないかな、と思います。
パレ・ミッケルボルグ(1975-77)
―次はパレ・ミッケルボルグ(Palle Mikkelborg)。彼は1975年から2年間ほど音楽監督だった人ですよね。
挾間:パレはデンマークを代表するトランペット奏者で、マイルス・デイヴィスのために全曲書いた『Aura』が有名ですよね。あの作品は、マイルス・デイヴィスの名前の綴り、つまり「M・I・L・E・S・D・A・V・I・S」のアルファベットを暗号化して、それぞれに音に当てはめて音列を作るという手法で書かれていて。今回それと同じように、「Palle Mikkelborg」という名前を使って私が作ったのが「Aura II」です。
DRBBを従えてトランペットを演奏するパレ・ミッケルボルグ
―パレ・ミッケルボルグと、彼が手掛けたマイルス・デイヴィスの『Aura』についても聞かせてもらえますか?
挾間:パレはDRBBで演奏していた当事者なんです。ただ、やっぱりビッグバンド奏者というよりは、かなりアンビエントだったりフリージャズだったり、そういうスタイルを確立したトランペット奏者として、今日のデンマーク・ジャズ史に名を残している人だと思います。本当は2024年のガラ・コンサートのときにゲストで演奏してくださる予定だったのですが、その年の初めに「演奏活動は引退する」と宣言されてしまって、それ以来一緒に演奏はできていないのが残念です。
それ以前に共演していたときも、かなりエフェクターを持ち込んで、ビッグバンドが周りを取り囲むような形で演奏したりとか、彼のアンビエントやフリージャズ的な演奏法に合わせて、こちらも共演の仕方をアジャストしてきた感覚はありました。そういう意味では、彼はもともとビッグバンドの一員としてスタートして、そこから完全にソリストとして進化していったキャリアを持つ人だと思います。
『Aura』を制作した当時、パレはエレクトロニクスやコンセプチュアル音楽の制作においてライジングスター的存在で、マイルスの目に留まったのかもしれません。『AURA』をレコーディングしているときの様子がドキュメンタリーに残っていて、そこで本人が「スタジオに入るのは物凄く緊張したけど、スタジオで職人として徹していたら、マイルスがすごくクリエイティブなアイデアをくれて、与えられた仕事をしっかりこなす姿に感銘を受けた」というような話をしていました。パレはそこからさらに完全なソリストとして活動していくようになっていった、という流れですよね。DRBBにとっても長い関係があるアーティストです。
『Aura』制作のドキュメンタリー映像
―その後の彼は、いわゆる北欧ジャズの人として、ECMでもたびたび録音しています。彼がちょうどECMと関わり始めた頃が『Aura』と重なっていて、まさに自身のスタイルを確立していた時期ですね。パレはデンマークを代表するトランペット奏者ですが、彼のフォロワー的な奏者はいたりするものですか?
挾間:いますね。DRBBにも、その系統をしっかり受け継いでいるマッズ・ラ・クールというトランペッターがいます。彼には「Aura II」でソロを取ってもらいました。長年、DRBBの看板ソリストとして活躍しているメンバーです。
それからチューバ奏者もすごく重要で、DRBBはトロンボーン・セクションが5人いるのですが、その一番低音を担当しながらチューバも演奏するヤコブ・モンクという奏者がいて、同じくフリーやアンビエントのプロジェクトを自分でやっているようなタイプなんです。なので、彼をフィーチャーした部分も入れたいと思って、チューバで始まるメロディを書いて、「Aura II」に組み込みました。その2人がミッケルボルグの系譜を受け継ぐタイプなので、彼ららしい形で演奏できるような構成にしています。
―その「Aura II」のインスピレーションになった『Aura』は、マイルス・デイヴィスの作品の中でもかなり特殊な位置付けにあると思いますが、挾間さんはどのように捉えていますか。
挾間:作曲法としてはかなりコンセプチュアルなアルバムで、そこからほとんど即興になっていく。そういう意味では、彼(パレ・ミッケルボルグ)が若い時期に、自分がこれからどういう方向性でやっていくのかを模索していた時期の作品だと思うんです。完全に定めきっている時期ではなくて、その途中の段階で、こういう実験的な音楽を、大きな名前、つまりマイルス・デイヴィスと一緒に録音したというのは、彼にとってすごく大きな経験だったと思いますし、それがその後のキャリアのスタートダッシュというか、背中を押したんじゃないかなと思います。
―マイルスが大編成とやるという意味では、ギル・エヴァンス以来ですよね。
挾間:そうですね。ただ、その大人数を使って「即興」をすることにすごく集中している作品だと思います。レコーディングの映像も残っていますが、誰がどうソロを取って、それを誰がどう支えるか、という流れが、楽譜というよりも、現場で決められていくんですよね。リードシート(メロディ、コード進行などの主要要素だけを簡潔にまとめた楽譜)のように、前に暗号化された音列が並んでいて、それをどう扱うかをその場で考えながら録音していく、という感じで、まさにその場で一緒に音楽を作っているようなシーンがドキュメンタリーではたくさん見受けられます。そういう意味では、彼のその後の音楽性を支える、すごく大きなきっかけになっている作品だと思います。
―パレはもともと現代音楽がすごく好きな人ですよね。メシアン、アイヴス、シュトックハウゼンとか。
挾間:そうですね。ギル・エヴァンスはベース音までしっかり書いたり、緻密に全部を書き込んでいくタイプだったので、そういう意味ではかなり違いますね。
―『Aura』の曲を、DRBBが過去に演奏したことはあるんですか。
挾間:DRBB名義で1984年にマイルスと一緒にライブをした記録が残っています。そして1985年に行われたレコーディングメンバーの多くは当時のDRBBメンバーだったようです。それこそこのアルバム録音の翌年からは音楽監督となるオーレ・コック・ハンセンも参加していたようですし。ただ、録音以来のDRBBとしての再演は、少なくとも今いるメンバーの認識では「ない」そうです。
でも、メンバーに「なんで『Aura II』っていうタイトルなのかわかる?」って聞いたら、「最初の音列がパレ・ミッケルボルグになってるんでしょ?」ってすぐに返事が返ってきました。だから「その通り!」って。
―デンマークでは共有されてきた文脈なんですね。
挾間:そうですね。少なくともミュージシャン同士、特にDRBBのメンバー間では、『Aura』の存在やコンセプトはよく浸透していました。パレ本人と実際に繋がりがあった人も多いですし。
オーレ・コック・ハンセン(1986-1995)
―最後はオーレ・コック・ハンセン(Ole Kock Hansen)です。
挾間:80年代から90年代にかけて、ジャズがどんどん多様化していく中で、電子音楽やフュージョンなども含めて、バンドの方向性をフレキシブルに今の状態まで保ち続けた重要な人物だと思います。
オーレ・コック・ハンセン(Photo by Hreinn Gudlaugsson)CC BY-SA 4.0
―彼は1978年にサド・ジョーンズが辞めたあと、1996年にボブ・ブルックマイヤーが就任するまでの間にいた人ですよね。
挾間:それに彼は長年、音楽監督だけではなく、DRBBのピアニストも務めていました。その彼の役割を反映させて書いたのが「The First Notes」です。ピアノがキーパーソンになっていて、ピアノがないと成り立たなくなってしまうような構造にしてあって、その上でさまざまな音楽性を行き来しても成立するような設計にしています。
Photo by Dave Stapleton
DRBBの歴史そのものへのトリビュート
―アルバム全体を通じて、今回チャレンジしたことはありますか?
挾間:マニアックですが、サド・ジョーンズやボブ・ブルックマイヤーの和声の使い方の癖は、私にない作曲言語だったりする。それをどうやって自分のものとして使えるのだろうかってことを長年勉強してきたのですが、難しかった。それに改めて挑戦しました。
例えばメロディの構築のしかた、和音の積み重ね方やボイシングの癖など、自分にはない作曲言語をどう使えるかを意識していて、それは「And the Door Unsealed」もそうですし、「Rondo」の途中にも出てくるし、「LuLu」でもサドやボブの和音の使いかたを意識している部分があるし、「The First Notes」にはジム・マクニーリーの和音の組み立て方を意識していたりとか、アルバム全体のあちこちに散りばめられています。
―この作品はDRBBの歴史そのものへのトリビュートでもあるわけですね。
挾間:そうですね。だから、彼らのために書く以上、自分のやりたいことだけを押し通すことはしていません。自分のプロジェクトであるm_unitとは編成も違いますし、バンドには60年以上の歴史があって、長く在籍しているメンバーもいます。その積み重ねを無視して新しいものを作ることはできない。だからこそ、これまでの歴史やバンドの強みを踏まえたうえで、新しい音楽を作るという意識で書いています。
―DRBBには長い歴史がありますよね。その延長線上に立つ身としては、その歴史に新しい何かを付け足す、というのもミッションだと思います。それに関してはいかがですか?
挾間:それについては、あまり考えすぎないようにしています。すでに信頼して任せてもらっているわけだし、わざわざ意識して変えようとすると、俗っぽさが出てしまうので。ただ、自分が首席指揮者に選ばれたことを考えると、今言ってくださったような方向性を深めていきたい、という意図を感じているので、自分の音楽性を隠さずに書いても、彼らの方向性から大きく外れることはないんじゃないかな、とは思っています。本人たちにちゃんと聞いたことはないので、実際どう思っているかはわからないですけど(笑)。
―挾間さんの以前のアルバムは、自分のカラーをいろいろ入れていく感じだったと思いますが、最近はアルバム全体にコンセプトがある作品が続いていますよね。
挾間:そうですね。前作『Live Life This Day』はサド・ジョーンズにフォーカスした作品だったので、その人物に対してアレンジや作曲をするという性格が強かったのですが、今回は全曲が自分のオリジナルで、新作を書いて録音するという点が大きく違います。
新作のタイトル『Frames』は額縁という意味ですが、その額縁が歴代の首席指揮者たちであっても、その中にあたらしい絵を描くのは自分自身。そして、それを実際に音として具現化してくれるのがDRBB。そういう意味では、今回の方がオリジナル作品としての実感は強いです。
ただ、その前の『Imaginary Visions』と比べると、今回はお互いのことをよく理解した上で録音できているし、環境の使い方も違いますね。今回の録音は、いつものラジオスタジオではなく、郊外にある別のスタジオで行ったんです。これは偶然ですが、ラジオ局のスタジオが全部埋まっていて使えなかったんです。でも結果的にはすごく良くて、音がより温かく録れる環境でした。普段のスタジオだと反響が強いのですが、今回は空間が音を吸ってくれるので、リヴァーブも少なくて、より素朴で温かい音になった。そういう意味でも、これまでとは違うアルバムになったと思います。
―『Imaginary Visions』はもう少し「自分の音楽を作るぞ」という意志が強かった印象がありますけど、今作ではバンドに寄せる・委ねる感じも出てきた気がしました。
挾間:どうでしょうね。ただ、今のポジションには、良くも悪くも制約がありますから。自分のプロジェクト、例えばm_unitの場合は、演奏者も自分で選んでいるし、100%自分の美意識で書くことができる。だからすごく”自分の音楽”が詰まった作品になります。一方で、DRBBやメトロポール・オーケストラのように、自分が雇われる立場で書く場合は、アプローチがまったく違います。2017年以降、そういう「自分よりも遥かに長い歴史を持つバンド」と一緒に仕事をする機会が増えていて、彼らのために音楽を書くというのも、自分のキャリアの大きな一部になっていますね。
―今回のアルバムは、これまでの作品の中で最も、挾間さんが就任する前の「DRBBらしさ」に近いものを感じました。その意味では、バンド側から受けた影響というのもありそうですね。
挾間:それは大きいです。6年間一緒にやってきて、リハーサルやツアーの中でいろんな感情を共有してきているので、その積み重ねは確実に音に反映されています。「無償の愛」じゃないですけど、それがそのまま楽譜にも現れていると思います。
―最後に、グラミー賞で2度目のノミネートを果たした今、この先の目標を聞かせてください。
挾間:あまりそういうことは普段考えないのですが、DRBBのメンバーと話していると、「日本やアメリカでツアーをしたい」「グラミーで知名度を上げたい」みたいな話がよく出てきます。実際、今年の2月にアメリカツアーをやって、最後のニューヨーク公演だけ雪で中止になってしまいましたが、それ以外はすごく良いコンサートができました。ゲストとして参加してくれたセシル・マクロリン・サルヴァントとの関係も深まり、この先の3年、彼女をニューイヤーコンサートに呼ぶことも決まっています。
それに今年は、2度目の日本ツアーも決まっています。グラミーに関してはメンバーから「ノミネートされたい」と言われていたので、正直ホッとした、という気持ちの方が大きいですね(笑)。そういう意味では、今までもこれからも、彼らの目標を叶えてあげられるよう全力で取り組んでいます。
自分とDRBBとの契約は2028年3月までですが、その中で自分でやりたいこととしては、オーケストラとビッグバンドの共演で新しい作品を書くことです。誰かに献呈する作品ではなく完全オリジナルな作品を書いて、彼らと演奏したいですね。
挾間美帆
『Frames』
発売中
SHM-CD
再生・購入:https://miho-hazama.lnk.to/Frames
「FRAMES」発売記念 DRBB日本ツアー
2026年11月14日(土)大阪:Brillia HALL箕面(箕面市立文化芸能劇場)
2026年11月15日(日)兵庫:アクリエひめじ(姫路市文化コンベンションセンター)
2026年11月17日(火)大分:iichiko総合文化センター
2026年11月18日(水)東京:すみだトリフォニーホール
2026年11月21日(土)栃木:宇都宮市文化会館
2026年11月22日(日)新潟:長岡市立劇場
2026年11月23日(月・祝)埼玉:所沢市民文化センター ミューズ


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