楊子晩報道によると、ジャッキー・チェン(成龍)はこのほど、広東観光文化祭の開幕式に出席し、取材に対して「自分の父は蒋介石のスパイだった」などと話した。自分の女性遍歴やかつての裏社会との関係も含めて自伝を書くつもりだが、「今は、その時期を言えない」という。


関連写真:そのほかの成龍(ジャッキー・チェン)の写真

 ジャッキーによると父の名は房道龍で本籍は山東。戦乱で故郷が荒れ果て、一家と共に安徽省に移り住んだので、本籍が安徽・蕪湖と紹介されていることもある。比較的若いうちに南京に出て、国民党に入党。軍の特務(スパイ)を務めたという。その後、銃の暴発事件を起こし、軍籍を解除された。

 ジャッキーの父親の房道龍さんについては、ジャッキーの息子のジェイシー・チャン(房祖名)も、「祖父は国民党の特務だったことがある」と語ったことがある。後に陳志平と名を変えたのは身分を隠すためで、特務だった時代には暗殺されかかったことが2回あったという。1回は銃弾を頭部に受け、2回目は足を撃たれたが、命は取りとめることができた。

 房道龍さんの両親は、南京で空爆のために死亡。一家は重慶に移り住み、南京陥落時の日本軍による殺戮を免れたという。

 ジャッキーによると、母親の陳麗麗さんは、「極道の姉御(黒道大姐)」と言うべき人物で、アヘンの運び人をしていたという。逮捕したのが、税関に警察官として勤務していた房道龍さん。
陳麗麗さんが背中に子を背負い、もうひとりの幼い子の手を引いていたので、気の毒に思い釈放することにした。結局ふたりは相思相愛の仲になり結婚。ジャッキー・チェンが生まれることになった。母親の連れ子は女の子ふたり、父親にも男の連れ子がふたりいた。

 国共内戦での国民党の敗北に伴い、一家は台湾に移り、後に香港に住むようになった。ジャッキーの母親は米国の駐香港総領事館で、洗濯など衣服の管理や清掃の仕事を得た。総領事に気に入られ、オーストラリアに転勤になったときには、キャンベラの米大使館に移って仕事を続けたという。その後は、一家で香港に住むようになった。享年86歳だった。

 ジャッキーさんは、母親の愛情が忘れられないという。7歳で香港の中国戯劇学院に入学した後も、大きな桶に熱い湯を入れ、ケーブルカーや渡し舟を乗り継いで、学院まで運んでくれた。到着のころは、ちょうど湯浴みに適した温度になっていたことなど、忘れられない思い出があるという。
(編集担当:如月隼人)

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