かつて月170時間の残業に耐え、組織ヒエラルキーの底辺にいた窓際SEのぶっくまさんは、読書をきっかけに人生を好転させた。
彼がどん底で気づいた「読書の方法」から、今の環境を打破し、自分の人生を取り戻すためのヒントを探る。働き方に悩むすべてのビジネスパーソンに贈る、泥臭い再起の記録である。
喋れない少年がたどり着いた、虚無のオフィス
中学校初日の自己紹介で言葉に詰まってしまった経験から、学校で一言も喋れなくなる「場面緘黙(かんもく)」のような状態に陥った。周囲の目を過剰に恐れる少年が選んだのは、目的のない進学だった。
漠然と「車の整備士」への憧れを抱き、その思いだけで工業高校から工業大学へと進学する。ぶっくまさんにとって、優秀な成績を維持することは「話さずにいられる居場所」を確保するための手段だった。彼にとって勉強とは、あくまで生存戦略の一つに過ぎなかったのだ。
大学卒業後、畑違いのSE職として就職したのはプライム市場(旧:東証一部上場企業)の子会社。
新人に対する具体的な教育体制はなく、指示もざっくりとしたものばかり。ぶっくまさんに与えられた最初の仕事は、社内用の簡素なツール作成のみであった。数ヶ月の作業を数週間で終えてしまい、膨大な「空白の時間」が残された。
やるべき仕事を見つけられず、デスクで上司の目を盗んでは「マインスイーパー」や「ソリティア」で時間を潰す日々。一方、別の現場では親会社の同期たちが華々しいプロジェクトに携わっていた。
所属する会社が違うだけで、機会も給与も明確に差別化される残酷なヒエラルキー。窓際部署の静寂の中で、彼は組織の使い捨ての歯車である現実を、痛いほどに突きつけられることとなる。
念願の仕事での大失敗とコミュニケーションの壁
あるとき念願の設計業務に携わるチャンスが巡ってきた。先輩の補佐役とはいえ、ついにシステム開発者としてクライアントの元へ足を運ぶことになったのだ。しかし、そこでぶっくまさんは「コミュニケーション」の壁にぶつかる。顧客の要望を汲み取り、システムに落とし込む高度な対話が求められる現場で、自らの無力さを痛感することになる。
決定的な事件は、システムの稼働初日に起きた。
この失態により、再び黙々とコードを書くだけの部署へと異動を命じられる。最も直視したくなかった自らの弱点を、残酷な形で突きつけられた瞬間であった。
「過労死ライン」の日常と歪んだ連帯感
ぶっくまさんの日常は、月170時間の残業が常態化する過酷なものだった。朝9時に出勤し、退勤は連日23時過ぎ。終電ギリギリまで働き、睡眠時間は5時間程度。翌朝は前夜の疲れで起きられず、滑り込むように出社しては夜中まで働くというサイクルを繰り返していた。社内には、現代の感覚では理解しがたい特異な文化が存在した。残業時間がかさむと管理職が注意を受けるため、実態よりも残業時間を少なく申告して「課長を助けよう」という謎のノリが蔓延していたのだ。サービス残業が「上司への応援」として肯定される空気があったという。
職場は定時退社を許さない同調圧力に満ちていた。
定時に帰ることが「イレギュラーな早退」と同義に扱われる土壌があり、かつてぶっくまさんが空気を読まずに定時で帰った際には、実際に叱責された。
さらに、周囲の極端な事例が危機感を麻痺させた。一週間会社に泊まり込む同僚や、月500時間労働という信じがたい話を耳にすると「自分はまだマシだ」と誤った比較を続けていた。心身の限界を削り、ただ働くためだけに生きているようなループの中に、ぶっくまさんは身を置いていた。
訪れた転機と危機感!きっかけは本との出合い
現状を疑うきっかけは、同じ現場にいた他社の知人だった。彼は社交的で要領が良く、内向的なぶっくまさんとは対照的なタイプだったが、なぜか気が合った。ある日の昼休み、彼に誘われて立ち寄った書店で、ぶっくまさんは衝撃的な出会いを果たす。それまでまったく縁がなかった「自己啓発本」の存在を知ったのだ。
私生活においても、結婚した妻との間に新しい命を授かるという大きな変化があった。残業が常態化する働き方で、果たして子どもを育てていけるのかという猛烈な危機感に襲われる。
疲弊しきった先輩たちの姿を「数年後の自分」として重ね合わせたとき、今の環境に居続けることへの疑問が生まれた。「このままでは家族を守れない、使い捨てられてしまう」現状を打破し、自分を変える方法として、彼は貪るように本を読み始めた。
読書はガソリン。注ぐだけでは蒸発していく
「『本から学べば、今とは違う人生を歩めるのではないか』という希望を初めて抱きました。ずっとネガティブだった自分にとって、これまで持っていなかった全く新しい視点を与えてくれた一冊です」
そこから読書に没頭する日々がはじまる。自由になる小遣いのすべてを本代に充て、通勤時間はすべて読書に。休日も欠かさず本を読み、とにかく自分の中に知識を詰め込もうとした。
しかし、知識が増えても現実は1ミリも変わらない。彼はこの空回りを、独自の言葉でこう振り返る。
「自己啓発本を読むのは『ガソリン』を注ぐようなものなんです。読んだ直後はやたらと高揚感があって『やるぞ!』という気持ちになる。でも、ガソリンをいくら注いでも、それを動力に変える『エンジン』が回らなければ、車が前に進むことはありません。
「読んで満足」から脱却できた読書の方法とは
停滞期に終止符を打ったのが、本田直之著『レバレッジ・リーディング』との出会いだった。「読書は投資である」という教えに触れ、彼は本の読み方を根本から変えた。ぶっくまさんが「読んで満足する読書」を脱したのは、本の内容を実際の仕事に結びつけ始めてからだ。彼は自己啓発本だけでなく、SEとしての技術書や、弱点であったコミュニケーションを改善するための「話し方」の本も読み込んだ。
本から得た知識を単なる情報のままで終わらせず、具体的な行動へと変えていった。
変化は決して劇的なものではなかった。本人も「一気にではなく徐々にだった」と語る通り、数年という年月をかけて少しずつコミュニケーションに慣れ、仕事の精度を上げていったのである。
主体的に学び、行動する姿勢は着実に周りからの評価を変えた。課長やプロジェクトリーダーからも信頼を得るようになる。かつて能力不足と見なされていた現場でサブリーダーを任されるまでになったのは、ぶっくまさんが20代後半の頃だ。
その後も経験を積み、キャリアアップを求めて何度か転職する。ついには、企業の根幹を支える基幹システム全体のPM(プロジェクトマネジメント)を任されるまでになった。
「与えられる仕事」から「自ら創る仕事」へ
独立して会社を立ち上げ、本をつなぐプロジェクト「ツナグ図書館」を運営する現在のぶっくまさん。かつての「組織の歯車」としての働き方から完全に脱却している。SNSの総フォロワー数は18万人を超え、多くの書籍の帯に推薦文を寄せるなど、出版業界において独自の地位を築いた。現在もSEとして責任ある立場で仕事を継続してはいるが、活動の軸足は読書や発信へと移りつつある。「近い将来、エンジニア職からは完全に身を引く」という明確な決断も下されている。受動的な姿勢から一変し、自らがやりたいことを形にする「創り手」としての生き方を選んだのだ。
「今は仕事とプライベートの境界線がなくなった」と語る通り、読書も発信も、趣味であり仕事でもある幸福な循環の中にいる。主体的な活動を通じて、彼はようやく「自分を認めることができた」という。
日々のルーティンも徹底している。1日に最低1冊以上、時間にして2~3時間は必ず本と向き合う。
彼の視線は、個人の成功を超えて業界全体の未来にも注がれている。書店が減少の一途をたどる現状を憂い、出版業界に新たな価値を提供したいという。
かつて一言も喋れなかった少年は、いま、18万人のフォロワーに自身の言葉を届ける存在となった。誰もが本に出会い、本から学ぶ機会を絶やさない社会を目指し、彼は今日も静かにページをめくり続ける。
<取材・文・撮影/中村和香>
【中村和香】
未経験の50代からキャリアをスタートしたフリーライター。SEO記事の執筆・校正をはじめ、人物インタビューや地域の取材記事などを手がける。読書で培った構成力を強みに生活者としての視点とビジネス目線を併せ持ち、読者に届く言葉を追求している。
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