森昌彦に代表される番号である「27」は、吉原正喜から始まる。
熊本工で川上哲治とバッテリーを組み、38年にともに入団。
「吉原君はファウルフライを追い、後楽園球場のベンチの屋根に頭をぶつけた。コンクリートの屋根は無残に吉原君の頭皮を削り取った。ベンチに転げ落ちた吉原君は、しかし、つかんだ球を離さす『アウトじゃ、アウトじゃ』と叫び続けた。(中略)鬼気迫るこの光景を私はいまだにはっきりと覚えている」
現在でこそ、コリジョンルールが導入され捕手のブロックは禁止されており、体を張ったプレーはお目にかかれないが、捕手にファイターぶりが求められた時代があったことも確かな歴史だろう。
森の後には、福王昭仁が14年背負った。その後は投手が4人続けてつけたが、市川友也以降は現在の岸田行倫まで5人連続で合計16年間、捕手がつけている「27」。ダイヤモンドの要にふさわしい数字と言えるだろう。