南海(現ソフトバンク)で内野手として活躍し、近鉄で監督も務めた岡本伊三美(おかもと・いさみ)さんが死去していたことが20日までに分かった。95歳だった。

スポーツ報知評論家の金村義明氏にとっては、プロ入り当時の打撃コーチで、レギュラー定着を後押ししてくれた恩師。監督、選手の間柄でも接した故人を悼んだ。

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 岡本さんは私が近鉄に入団した頃の打撃コーチで、明るく厳しく鍛えてもらった。1軍で出場機会をもらい始めたプロ2年目も、必ず2軍戦に出場してからナイターに向かう親子ゲームばかり。アンダーシャツを着ずに休みなしで一日中、ユニホームを着ているから、銭湯で鏡を見たら、背中が背番号28の型のまま日焼けしていた。

 忘れられないのは、ロッテ戦の博多遠征だ。夜遅くにホテルのエレベーターホールでパンツ一丁になって素振りをしていると、岡本監督が食事から帰ってこられて「おお、練習しとるんか」と感心された。さらに当時のロッテの主力投手でアンダースローだった仁科時成さんをまねたシャドーピッチングまでしてくれて「ここ(のタイミング)で足を上げろ!」と助言をもらった。

 練習が熱を帯びて長引いたから、次々と門限破りの選手たちが帰ってくる。ベテランはおとがめなしだったが、若手で遊撃のレギュラー候補だった谷真一さんは雷を落とされて、2軍落ちの憂き目に遭った。なぜか私が先輩たちに「お前があんなところでバットを振るから谷が2軍に落とされた」と叱られたのも、今となってはいい思い出だ。

 激情家のこわもてで、カーネル・サンダース像の雰囲気から選手の間では「ケンタッキー」と呼ばれていた。

特に西武の広岡達朗監督をライバル視し、汚い言葉で乱闘をけしかけていたのも覚えている。でも、テニス選手だった次女の久美子さんが球場に来ると「お前ら、アホがうつるから娘に近寄るな!」とデレデレされていた。

 お酒が大好きでとにかく情に厚かった。仰木彬監督が選手に一気飲みをさせてオーダーを決めていた有名なエピソードがあるが、これも岡本監督時代の名残りと言える。監督を退任されてから、ゆっくりとお会いする機会に恵まれなかったのが唯一の心残り。謹んでご冥福(めいふく)をお祈りします。(スポーツ報知評論家)

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