国民的アイドルグループ「」が、5月末をもって活動を終了する。スポーツ報知では、グループのラストステージとなる「We are ARASHI」の東京ドーム公演(5月31日)まで原則毎週水曜に連載「嵐メモリアル」を掲載。

歴代担当記者の取材や、グループとゆかりのある人らの話をもとに嵐の約26年の軌跡を振り返る。

 私は2004年から07年にかけて担当した中で、印象深いのは06年のタイ、台湾、韓国を一日で巡るプロモーションツアー。5人は分刻みのスケジュールでも疲れを見せず、各地のファンに手を振った。同行した記者、スタッフとの食事の席では5人が率先して場を盛り上げた。取材を終え、解散する頃にはメンバーと打ち解け、松本は「仲良くなれてうれしい」と握手してくれた。関わる人を楽しませ、良い思い出を作ってくれる。エンターテイナーという呼び名がふさわしいグループだと思う。

 19年の活動休止発表の会見では、大野が「一度、何事にも縛られず、自由に生活してみたい」とメンバー4人に打ち明けたことが明かされたが、大野から「自由」という言葉を聞いたのは06年頃のこと。イベントの取材が一段落し、話題は仕事以外の楽しみに移った。大野は「休日は外出せず、家で粘土をこねています」と言った。粘土で何を作るかについては語らず、「自由に、作りたいものを作っている」という。詳細を知りたくて質問を重ねると、代わりに答えたのは二宮だった。

リーダーの好きなようにさせてあげてよ~」

 大野がアート作品の個展を都内で開いたのは2年後のこと。絵画やオブジェなど150点あまりを展示し、その中にはユーモラスな表情をした人間の顔のフィギュアがあった。粘土で型取りした樹脂で作ったもの。アイドルとして多忙な日々に、感性の赴くまま、創作に打ち込むことで、アートという新たな才能が花開いた。

 しかしそれ以前から、大野は自由を大切にし、他の4人も互いの自由を尊重していた。二宮の「好きなようにさせてあげてよ~」は柔らかい口調の一方で、“僕らの自由に立ち入らないで”というような、毅然(きぜん)とした響きがあった。大野も真剣な表情で二宮を見つめ、ウンウンとうなずいていた。(関野 亨)

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