サッカー日本代表が初出場した1998年のフランス大会から今回の北中米大会まで、唯一8大会連続でW杯に参加するスタッフがいる。日本代表キットマネジャーの麻生英雄氏(50)だ。

用具担当として、試合や練習のウェアの用意から、ボールを始め練習道具の管理などを行う。日本代表の森保一監督(57)も「縁の下の力持ち」と全幅の信頼を寄せる麻生氏が、自らの役割やこれまでの経験、本大会に向けた思いなどを語った。(取材・構成=後藤 亮太)

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 97年から代表チームを支えて30年目となる麻生氏は、森保ジャパンの究極の縁の下の力持ちと言える存在だ。タッグを組む、高校の同級生で30年以上の付き合いがある山根威信(たけのぶ)氏(50)とともに、選手のユニホームやウェアの用意から練習で使う用具の準備と片付け、洗濯、練習補助まで業務は多岐にわたる。

 「僕らの仕事はチームが試合に勝つためにやっている。そのためにはいい練習が必要で、いい準備が必要。その意識を常に持ち、シチュエーションも想定しながら、いい雰囲気になるように心がけています」

 練習日は開始2、3時間前から準備を始め、練習後も代表が主に活動を行う「夢フィールド」に常設されている洗濯機4台と乾燥機5台をフル稼働させて、「大家族」と表現する選手、スタッフ総勢約60人分の衣類の洗濯と乾燥を行う。海外遠征では荷物の運搬もあり、3月の英国遠征では国内から持参した270個の荷物一つ一つにタグ付けし、代表が普段通りプレーするための準備を整える。

 「海外では依頼したサイズより小さいトラックが来たり、あまり雨が降らない中東ではトラックに屋根がないこともある。遠征のたびに何か起きますが、それが普通。イレギュラーも想定内です」

 試合日は約4時間前に会場入り。14年ブラジル大会で指揮を執ったザッケローニ監督からの「試合の日はスタッフからも試合に入っていく、スイッチが入るような空気感をつくってほしい」という言葉を意識しながら、用具やウェア計100枚以上を整え、選手をサポートする。

試合後にはコインランドリーで洗濯を行い、深夜2、3時までかかることも。試合中も作業に追われ「ほとんど試合は見られない」というめまぐるしい日々だが、特別な瞬間が全ての疲労を吹き飛ばす。

 「本当に試合に勝った時は一番の喜びですね。あとは試合が始まると『忘れ物なく試合を始められた』と一瞬ホッとします」

 今回で唯一の8大会連続W杯参加となる麻生氏が一番記憶に残っている試合は、日本サッカー界に新たな歴史が刻まれた日だった。

 「やっぱり(W杯初出場を決めたマレーシアの)ジョホールバルの試合ですね。選手たちとベンチの前で見ていて、決まった瞬間にみんなでワーッと走り出して。本当に感動しました。『11月16日』。日付もずっと覚えています。あの強烈な思い出はいまだに残っています」

 最終予選中にはチームバスを取り囲んだサポーターがパイプいすや生卵を投げつける暴動も起き、麻生氏も用具車に荷物を積んでいる時「いい道具使ったって、勝てなかったら意味ねえよな」とのヤジを飛ばされるなどの極限状態を味わったからこそ、98年フランスW杯アジア第3代表決定戦でイランに延長Vゴールで勝利した「ジョホールバルの歓喜」が今なお色濃く残っている。

 当時の日本代表は全員が国内組だったが、現在はほぼ全員が欧州主要リーグでプレー。スタッフの数も約15人から倍増し、世界で戦う力を着実に付けてきた。

今大会は麻生氏にとっても初の国境またぎの移動が発生するが「移動は常にある」と意に介さない。普段と変わらず、北中米W杯「優勝」のために森保監督、選手らと一緒に戦う。

 「W杯のような長期大会では常に最後までいる想定で荷物を持っていきます。『最高の景色を』ですよね。どんな相手であろうと僕らは勝とうと思って準備をしている。身近にいる人間がそういう気持ちでいることが大事だと思います」

 ◆指揮官も信頼「私の相談役」

 森保監督も麻生氏と山根氏のコンビには感謝の思いが尽きない。間近で献身的な仕事ぶりを見ているからこそ「必要不可欠な方々ですし、チームを本当に支えてくれている。行く先々で我々が快適に活動できるような環境づくりや選手たちが安心して、思い切ってチャレンジできるように準備をしてくれる。本当に縁の下の力持ちで頑張ってくれています」と言う。

 日本サッカー界で唯一全8大会のW杯を経験している麻生氏は、指揮官にとってはキットマネジャー以上の存在でもある。ことあるごとに過去の経験を聞き、チームづくりの参考にしているという。「百戦錬磨、修羅場をくぐりまくってきているので、コミュニケーションを取ることですごく自分自身も安心と落ち着きをいただいています。

実は私自身の相談役になってくれています」と明かすほど。その存在が日本代表に大きな力を与えている。

 ◆麻生 英雄(あそう・ひでお)1975年8月1日、神奈川・小田原市生まれ、50歳。足柄高時代はバドミントン部に所属し、就職求人誌で横浜フリューゲルス(後に横浜Mに合併)のアシスタントマネジャー募集を見て応募し、1995年から用具係に。97年のW杯アジア最終予選から日本代表の活動に帯同する。2007年にスポーツチームの用具管理などを請け負う「株式会社BOTTOM UP」を設立し、副社長に就任。現在は日本協会運営のJFAサッカー文化創造拠点「blue―ing!」でスタッフも務める。

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