連載:NEXT STAGE~トップアスリートのセカンドキャリア
都築龍太インタビュー(前編)

「議員の仕事のひとつは人前で話すことですが、現役時代はマスコミ相手に話すのも嫌いで、周囲とコミュニケーションを取るほうでもなかった。そんな僕が、市議会議員とはいえ政治家になるとは、誰も思っていなかったんじゃないですか」

 そう話すのは、現役時代にガンバ大阪浦和レッズなどでプレーした元日本代表GK都築龍太だ。

2015年にさいたま市議会議員として初当選を果たすと、その後も2度当選を重ね、現在は3期目。市議として約11年を過ごしている。

 現役時代、やや長めの髪をなびかせ、ワイルドな風貌で闘志むき出しにゴールを守っていた姿からは想像もつかない転身ぶりである。

「僕自身、意外でしたし、選挙に出るとオヤジに言ったときは『バカか!』って笑われました。ただ、引退後のキャリアを考えたときに何も浮かんでこなかった。そういうなかでチャンスをいただき、挑戦させてもらいました」

 だが、この転身は最初から順調だったわけではない。

サッカー日本代表GKが政治家になるまで 「最初は担がれて出馬...の画像はこちら >>
 2000年代中盤の浦和の黄金期に、Jリーグ、天皇杯、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)など多くのタイトル獲得に貢献した都築。だが、2009年にドイツ人のフォルカー・フィンケ監督が就任すると、状況は一変した。勝負へのこだわりが強く、感情を表に出すプレースタイルが若手のプレーを委縮させると判断され、出場機会を失った。

 2010年に湘南ベルマーレへレンタル移籍後、2011年1月末に浦和との契約が満了。32歳という若さで現役を退くことになり、同年4月に埼玉県議選に出馬したものの落選に終わった。

「湘南では試合に出ていましたし、体は動いたので、最初は移籍先を探していたんです。

ただ、プロとしていくら意気込みがあっても、所属クラブがなければ選手は続けられないですから。ガンバ時代のイメージもあったでしょうし(※起用法を巡り、当時の西野朗監督との確執が表面化し、浦和へ移籍した背景があった)、問題児と見られていたのかもしれません。引退しようと思って引退したわけじゃないですが、すべては自分の責任。

 そんなときに選挙の話をいただき、現役にこだわるよりも、新たな道に行くべきと判断しました。とはいえ、準備期間は約2カ月。志もなければ、具体的なこともわからないまま担がれて出馬しただけなので、落選は当然でしたよね」

【落選はムダではなかった】

 その後はさまざまな道を模索するなか、4年後の2015年にさいたま市議選に出馬し、見事当選。以降2019年、2023年と当選を重ねてきた。

「落選したあとは3、4カ月、何もする気がおきませんでした。どうすべきか、さんざん悩みました。ただ、引き続き応援してくれる人がいたので、今度は自分で考えを整理し、市議選への挑戦を決めました。

 考えてみれば僕の人生は、国見高校(長崎)に無理やり入学させられたことを除けば(笑)、すべて自分で決めてきました。最初の選挙はそこがブレてしまった。自分でやると決めたら、いっさい言い訳はできません。

来年(2027年)には4期目をかけた選挙がありますが、もし最初に当選していたらここまで続けられていたかどうか......。いまだから言えますが、一度落ちて4年間浪人して自分を見つめ直し、180度変えることができました。落ちたこともムダではなかったと感じています」

 初当選までの浪人期の4年間、時折サッカー関係のイベント出演などの仕事はこなしていたが、定期収入はゼロ。当選後も右も左もわからない状態で、最初の1、2年は苦労が絶えなかったという。

「浪人していた4年間は長かったし、苦しかったです。現役時代は、スポーツ紙のサッカー欄くらいしか見ていなかったので、毎日、新聞を読む習慣をつけるだけでも大変でした。最初は外出のたびにスーツにネクタイをつけるのも苦痛でしたが、いまではそっちのほうがラクです。

 議員になりたての頃は、行政用語はもちろん、予算書を見ても『何がどうなっているのか?』と、まったくわかりませんでした(苦笑)。ただ、本当にゼロからのスタートで、わからないことは恥ずかしげもなく職員さんに聞きに行きました。いまでもわからないことがあれば、すぐ人に聞くようにしています。なかにはプライドが邪魔して、わからないことを素直に聞けない人もいると聞きますが、そういうことがなかったのは、逆に強みになったのかもしれません」

【埼玉スタジアム周辺の環境整備も】

 では、市議としてどんな活動をしているのか。都築は「市民から"宿題"をもらって、それを解決すること」だと語る。

「地域のことをいちばん知っているのが市民の皆さん。なので、市民の皆さんの意見を聞き、それを解決することがメインの仕事です。身近なことでいえば、道路の舗装や信号機の設置依頼などを要望として市に上げて、整備すること。数年前に駒場スタジアムの照明がLED化されましたが、そうしたことが実現されるように働きかけるわけです。

 さいたま市ではサッカー少年団が盛んで、僕もよく顔を出します。そこで、ある学校からサッカーをしていると校庭の砂が少なくなってしまうので、砂を補充してほしいという要望がありました。僕らは使われてなんぼですから、必要と考えれば対応に動きます。もちろん予算もあり、すべてに対応できるわけではないんですけどね」

 都築はさいたま市緑区選出の市議である。さいたま市緑区といえば、浦和レッズの本拠地、埼玉スタジアムがある地域。現在、埼玉スタジアムのそばにある調整池が天然芝のグラウンドに整備される予定があるというが、それも都築が訴え続けてきたことのひとつだそうだ。

「スポーツができる環境作りは絶対にやりたいことのひとつ。もちろん、市民全員がスポーツやサッカーが好きなわけはないですし、バランスが大事になります。

僕自身、当初はスポーツに関係したことしかできないのではと考えていましたが、いざ議員をやってみると、教育や街作りにおいてもやりたいことは出てくるものです。選手時代と違って、日々の仕事は楽しくないです(苦笑)。それでも経験を重ねるなか、できることも増えてきて、充実はしています」

 選手時代を知っている人であれば、出馬と聞いたときは「あの都築が!?」と驚いたことだろう。だが、現役当時から一本筋の通った硬派の印象は変わらず、最初の落選から多くのことを学んだことを思えば、市議という仕事は裏表のない都築の性に合っていたのかもしれない。

「GKコーチをやるとか、簡単な逃げ道もあったとは思いますが、それはしたくなかった。僕の性格上、民間の一般企業に入るのは難しかったでしょう。市議として組織には入っていますが、個人事業主。すべては自分の責任ですし、言い訳はできないですからね」

 2027年春には4期目をかけた選挙を迎える。都築もそこを見据えて活動を継続していく構えだ。

「初当選からここまでは、本当にあっという間でした。まだまだ、やりたいことはたくさんあります。ただ、継続する難しさがあるのも事実。

"元サッカー選手"という肩書が使えるのは最初だけ。これからは中身が伴っていなければ、票はもらえません。そうならないために、できることを頑張っていけたらと思っています」
(つづく)

都築龍太
さいたま市議会議員。1978年、奈良県生まれ。長崎県立国見高校卒業後、1997年、ガンバ大阪に入団。2003年、浦和レッズに移籍し、J1リーグ、天皇杯、AFCアジアチャンピオンズリーグ優勝などに貢献。2010年に湘南ベルマーレに移籍し、この年のプレーを最後に現役引退。日本代表初招集は2001年のコンフェデレーションズカップ。2011年、埼玉県議会議員選挙に出馬、政治家としての道を歩き始める。

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