6月11日(日本時間12日)開幕の北中米大会でW杯に初出場する日本代表MF中村敬斗(25)=フランス2部Sランス=の原点は「王国」にある。幼少期にブラジルへの憧れを抱き「なかむらけいと ロナウジーニョになる」と書くと、8歳で訪れたリオデジャネイロでの体験が運命を決めた。

負傷によりMF三笘薫(28)=英1部ブライトン=が選外となった今大会、森保ジャパンの左サイドを担うアタッカーのルーツに迫る。(取材・構成=金川 誉)

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 降り注ぐリオの太陽を浴び、砂浜でボールを蹴った日々は、ブラジルに憧れた敬斗少年の運命を決めたのかもしれない。5歳で初めてテレビ観戦した2006年ドイツW杯。ブラジル代表、そしてMFロナウジーニョのプレーに衝撃を受けた中村は、一瞬でとりこになった。お絵描きの時間にはブラジル国旗を描き、サッカーのシューズケースもブラジル仕様を選んだ。「ブラジルに行きたい」。心の中は「サッカー王国」への憧れで満ちていった。

 サッカー雑誌の付録だった、ロナウジーニョが出演するナイキCM動画のDVDはお気に入りに。そのケースには「なかむらけいと ロナウジーニョになる」と書き込んだ。さらに、映像のバックに流れる音楽をレコーダーで録音し、母とともにCDショップへ。ブラジルのミュージシャン、セルジオ・メンデスと米ヒップホップグループ、ブラック・アイド・ピーズがコラボした『Mas Que Nada(マシュ・ケ・ナダ)』のCDを手に入れると、自宅での練習中に流すBGMの定番になった。ブラジル特有のリズム「ジンガ」を音楽から体に染み込ませるように、ロナウジーニョになりきってリフティングやボールタッチの練習に没頭した。

 そして小学2年生時、とうとう夢にまで見たブラジルへ。父と2人、日本から34時間をかけて降り立ったリオデジャネイロ。空港から一歩外へ出ると、ボールを手にしていたことで、すぐに現地の若者から声をかけられリフティングの輪ができた。王国の歓迎に胸を高鳴らせ、世界的に知られるコパカバーナのビーチや町中へ向かうと、至る所でボールを蹴る人々の姿があった。中村はその輪に飛び込んだ。10日間の滞在中、毎日ビーチやグラウンドへ通い、大人や同世代とプレーし、ブラジルサッカーを実体験した。

 「ロナウジーニョになる」という純粋な夢は、プロとして海外、そしてW杯で活躍するという目標になった。自宅前の路上には、日が暮れても練習ができるようにと、建設業を営む父が家に投光器を取り付けてくれた。光に照らされたアスファルトの上で、シューズの底をすり減らしながら体に染み込ませた独自のドリブル技術は、今や最大の武器に。家の中では、母が投げるピンポン球でシュートを繰り返し、ボールの芯を捉える正確なミート力を磨いた。家族の支え、ぶれない意志でプロ、そして海外移籍の道を切り拓いた。昨年秋にはブラジル代表との親善試合でゴールを奪い、勝利に貢献。

そして今、夢の結晶であるW杯の舞台へとたどり着いた。

 5月15日の代表発表。中村は自身のSNSで「僕は幼稚園の年長組の時、2006年のドイツW杯を見てから、将来は海外でサッカーをやる! そして日本代表になってW杯に出ると心に決め、サッカーに夢中になっていきました。子供の頃からW杯に出る事を夢見て努力してきました」と、つづった。自ら描いた夢を現実にし「当時の僕のように、子供達が北中米W杯を見て、プロサッカー選手になりたい! 将来日本代表になりたい!と思ってくれたら嬉(うれ)しいです。子供達に笑顔や勇気、夢や希望を与えられるようなプレーをしてきます!」と決意を新たにした。

 絶対的な存在だった三笘を負傷で欠く左サイドにおいて、中村が独特のリズムから繰り出すドリブルと卓越したシュート力は、森保ジャパンの命運を握る。しかし重圧がかかる舞台であっても、彼の根底には、ブラジルで学んだ「サッカーを純粋に楽しむ」思いが流れているはずだ。かつて憧れたロナウジーニョのように、プレーを楽しみ、そして見る者を魅了するプレーを、初のW杯で表現する。

 ◆中村 敬斗(なかむら・けいと)2000年7月28日、千葉県生まれ。25歳。高野山SSS、柏イーグルス、柏下部組織を経て、三菱養和SCへ。

養和時代の17年12月に高校2年生でG大阪と契約し、18年の開幕戦でJ1デビュー。19年夏、オランダ1部トウェンテに期限付き移籍。ベルギー1部シントトロイデン、オーストリア2部ジュニアーズ、同国1部LASKを経て23年夏にフランス1部Sランスに完全移籍。今季は2部で14ゴール。代表通算24試合10得点。180センチ、73キロ。

 ◆ロナウジーニョ(ロナウド・ジ・アシス・モレイラ)1980年3月21日、ブラジル、ポルト・アレグレ出身。46歳。グレミオの下部組織でサッカーを始め、98年の南米サッカークラブ王者を決めるコパ・リベルタドーレスでトップチームデビュー。01年のフランス・パリSGへの移籍を経て、03年にスペイン・バルセロナに移籍すると05年にはバロンドールを獲得。08年にイタリア・ミラン移籍し、11年にブラジルに戻った後、18年1月に現役引退を発表した。

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