南海時代に強打の捕手として戦後初の3冠王に輝き、監督としても日本一3度を誇る名将・野村克也さんのゆかりのお宝の展示スペースが、静岡・伊豆市の「ホテルワイナリーヒル」内に「野村克也メモリアル」として新設され、30日に除幕式が行われた。全日本中学生野球連盟の志太勤一会長と、阪神・野村克則作戦統括コーチの妻・有紀子さん、野村さんの孫にあたる野村彩也子さんが参加した。

 中伊豆に野球ファンの新名所が誕生した。「野村克也メモリアル」には南海、ロッテ、西武、ヤクルト、阪神、シダックス、楽天と歴代のユニホームが飾られているほか、直筆のノート、色紙、トロフィー、写真パネルなど、その偉業に思いを馳せる品々が展示されている。

 野村さんがシダックス野球部のGM兼監督を務めた03年からの3年間、監督付マネジャーとして支えた梅沢直充さんは「野球殿堂入りした際のレリーフは、特にすごいと思います。野球殿堂博物館に展示されているものと一緒なんです」と、しみじみ言った。

 「野村克也メモリアル」はなぜ、中伊豆なのか。

 野村さんがシダックスの3年間、春季キャンプと都市対抗野球大会前の直前練習で選手たちの指導に没頭したのが、親友の故・志太勤オーナーの故郷・中伊豆に建設した「志太スタジアム」だった。

 「ホテルワイナリーヒル」は同球場に隣接しており、今でもアマチュア野球の選手たちが合宿に利用するほか、志太オーナーが会長を務め、野村さんも支援した「Kボール」の大会が開催されている。

 私はアマ野球担当記者だった03年からの3年間、「野村シダックス」を追った。中伊豆キャンプ中の野村さんを、今でも鮮明に覚えている。

 「まず基礎だよ。土台作りだ。しっかり基礎を作った上で、そこから建物を建てていく。

この基礎で手を抜くと、どうしても伸び悩む。基礎作りは面白くない作業だからな。体を鍛えて、たくさんバットを振り、たくさんボールを投げる。単純作業の繰り返しに飽きちゃうんだ。でも基礎をしっかりやらないと、『砂上の楼閣』に終わってしまう。練習に即効性はないけど、みんなで声を掛け合って、前向きに取り組んでいくしかないんだよ」

 夜は「ホテルワイナリーヒル」の会議室で座学を行った。オリジナルのテキスト「ノムラの考え」を教材に、野村さんはホワイトボードに板書して、熱っぽく講義した。テーマは主に人間学だった。昼間は猛練習に明け暮れ、選手も睡魔に襲われても不思議でなかったが、彼らもまた「ノムラの考え」を欲して、瞳を輝かせて講義に食らいついた。

 当時の選手たちは今、プロアマの様々なカテゴリーで指導者になっている。教えのベースとなるのが「ノムラの考え」だ。「人間的成長なくして技術的進歩なし」。

時代と共に野球は変わったが、野村さんが力説した原理原則は不変である。

 志太スタジアムでは11月4日から17日、西武が同球場で初めて、伊豆秋季キャンプを実施する。多くのファンが見学に訪れることだろう。「野村メモリアル」は宿泊者でなくても、無料で観覧できる。思えば野村さんは西武の「創業メンバー」の一人だった。そんな球縁に思いを致しつつ、偉大な足跡を振り返るきっかけにしたい。(加藤弘士)

 ◆野村 克也(のむら・かつや)1935年6月29日、京都府網野町(現京丹後市)生まれ。峰山高から54年にテスト生で南海(現ソフトバンク)入団。65年に3冠王。70年に兼任監督となり、73年にリーグ優勝した。80年に45歳で現役を引退。本塁打王9度、打点王7度、首位打者と最多安打1度、MVP5度。

89年に殿堂入り。90年にヤクルト監督となりリーグ優勝4度、日本一3度。阪神、社会人のシダックス、楽天でも監督を務めた。シダックス時代には03年の都市対抗野球大会で準優勝。楽天では09年に2位へ導き、球団創設5年目で初のCS出場を果たした。175センチ、85キロ(現役時)。右投右打。20年2月11日に死去。享年84。

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