荒木雅博インタビュー(中編)

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 荒木雅博氏が球界の名プレーヤーとして一躍注目を集めるようになったのは、2004年に落合博満氏が監督に就任してからだろう。荒木氏にとって落合監督とはどのような指揮官だったのか。

また、落合監督を含む6人の監督についても語ってもらった。

荒木雅博が「意外だった」落合博満監督の野球「いま考えると、相...の画像はこちら >>

【打ちとった打球は確実にアウトにする】

── 名門・熊本工出身のプロ野球選手は40人近くいますが、荒木さんは川上哲治氏の2351安打、前田智徳氏の2119安打に次ぐ2045安打をマークしました。これだけのヒットを積み重ねた秘訣は何ですか。

荒木 まずケガをしない強い体をつくるために、練習するということです。技術的には、私は外からバットが入る感じの打者だったので、ボールの呼び込み方、待ち方、どこの球を打ちにいったら自分の打ち方で打てるのかを真剣に考えました。シンプルに言えば、「ここだったら絶対に打てる」というのをつくる。私の場合は外角高めのストレートがそうだったのですが、そういうコースをつくるのが効果的だと思います。

── 近年は「フライボール革命」が注目を集めていますが、稀代のヒットメーカー・内川聖一さんは「本塁打の打ち損ないがヒットになるという考え方は、自分には合っていない」とのコメントを残しました。荒木さんも本塁打の多いタイプではありませんでしたが、こうしたバッティング理論について思うことはありましたか。

荒木 その時々の流行りがありますし、みんなうまくなりたいと思ってやっているので否定はしません。いろいろ試してみて、自分に合う打法を探せばいいのではないでしょうか。

── 荒木さんは6年連続ゴールデングラブ賞を獲得するなど、華麗なプレーでファンを魅了しました。守備でのポリシーやモットーは?

荒木 投手が打ちとったと思った打球は、確実にアウトにすることです。

ファインプレーじゃなくていいんです。5年間コーチとして指導しましたが、選手にはそこをしっかり伝えました。ポジショニング、ゴロ捕球、フットワーク、スローイングは、経験を積んでいくなかで自然と覚えていくものです。まずは、「打ちとった打球を確実にアウトにする」のが一番です。

── 荒木さんはコーチ時代、広島の菊池涼介選手の守備について「一歩目の足の運びがうまい」とおっしゃっていました。

荒木 菊池選手は"用心する選手"ですね。

いろいろな打球に反応できるし、一見、派手に見えますが、要所で用心深いんです。たとえば、高いバウンドのゴロがきたら、少ししゃがんで「次はどこに弾むのかな」と瞬時に見極めています。そういうところを注視していると、ファンの方は守備に対する面白さが増すと思います。

── 遊撃手を例に出して申し訳ございませんが、ゴロを捕球する位置として、広岡達朗さんは「正面」、宮本慎也さんは「左足寄り」、井端弘和さんは「右足寄り」です。荒木さんはどうでしたか。

荒木 私は「正面」タイプでした。

正面より右方向のゴロは、無理して正面に入るよりも逆シングルで、左手が動きやすいようにして捕っていました。

── 荒木さんの通算378盗塁はNPB史上11位の記録です。

荒木 6年連続30盗塁というのは、自分でも誇れる数字かなと。もともと足に自信がありましたから、1シーズンに30盗塁以上というのは、こだわりを持ってやっていました。盗塁はスタート、スピード、スライディングの"3S"とよく言われますが、そのなかでもスタートが重要だと思います。ただ、思いきりよくスタートをきるといっても、根拠のない思いきりは意味がない。

「これだったら牽制はないな」など、下準備はします。

── "下準備"とは、クセを見抜くということですか。

荒木 はい。牽制のクセについては、私は投手を下(足)から全体的に見ていました。ベンチの中からみんなでクセを探していけば、なにかしらの違いが見えてきます。そうなったら本物。

選手には"見る努力"をしてほしいと思います。あとは、スライディングした時、スピードが落ちないまま塁に到達することを意識して練習していました。

【意外だった落合監督の野球】

── 現役23年で仕えた6人の監督についての"野球"をどう感じていましたか。まず入団時は星野仙一監督でした。

荒木 111試合に出場したプロ6年目の2001年しか、実質的には絡んでいません。だから、星野監督は厳しいイメージがありますが、私は優しく接していただきました。通算2000安打達成時に花束を贈呈していただいたのが星野さんでした。星野さんは、基本に忠実なオーソドックスな野球でした。攻撃については、島野(育夫)コーチが指揮していたと聞いたことがありますが、私自身は無我夢中でそのあたりを見ている余裕はありませんでした。

── 2002年から2年間は山田久志監督でした。

荒木 同じく投手出身の山田監督もオーソドックスな采配でした。山田監督こそソフトな印象ですが、さすが通算284勝を挙げておられるだけあって、野球に厳しい方でした。私自身、レギュラーに定着していましたが、打撃成績が伸びず、それでも我慢して使っていただきました。

── 2004年からは落合監督が就任。いきなり優勝を果たし、在籍した8年間はすべてAクラスでした。

荒木 意外だったのは、落合さんは現役時代に3度の三冠王を獲得されたすごい打者なのに、目指していたのは「投手力を中心とした守りの野球」だったことです。チーム防御率が1位の時はすべてリーグ優勝、日本一と、守りと順位が連動していました。いま考えると、何も奇をてらったことはやっていなかったのに、相手が「何がやってくるのではないか」と勝手に自滅してくれたこともあったように思います。それにしても、落合監督の8年間はAクラスが当たり前の、まさに"黄金時代"でした。

── 落合監督のあとを継いだ高木守道監督は、2012年は2位でしたが、翌年は4位。失礼ながら、当時の高木監督は新聞に"激情型""瞬間湯沸器"と書かれることもありました。

荒木 高木監督はどちらかというと攻撃型の野球でした。性格的には熱くなる方でしたが、それだけ野球に集中していたんでしょうね。ただ、翌日は何もなかったような雰囲気で、メリハリがあってやりやすかったですよ。

── 2014年から谷繁元信監督になりましたが、4位、5位、6位でした。

荒木 シゲさん(谷繁)はプレーイング・マネージャーで、選手の気持ちを理解しつつ采配も振るったので、大変だったと思います。ただ、捕手出身で緻密な野球をされる方なので、「谷繁監督」を再び見てみたいと心から思います。

── その後、森繁和監督が指揮を執りましたが、2年連続5位に終わりました。

荒木 監督になってから、攻撃面は森脇浩司コーチに一任していました。また、次の監督へのバトンタッチを考えて采配していたように思います。2012年以来、現役引退までの12年間でAクラスは2回。あらためて落合監督時代は強かったと思うと同時に、勝つことは簡単なことではないんだなと。よく「落合監督時代の反動ですか?」と聞かれたりしましたが、ユニフォームを脱いだ今、その答えを探している最中です。

後編:「日本シリーズ初の快挙の舞台裏」へつづく>>


荒木雅博(あらき・まさひろ)/1977年9月13日、熊本県生まれ。熊本工高から95年ドラフト1位で中日に入団。02年からレギュラーに定着し、落合博満監督となった04年から6年連続ゴールデングラブ賞を受賞するなど、チームの中心選手として活躍。とくに井端弘和との「アラ・イバ」コンビは中日黄金期の象徴となった。17年にプロ通算2000安打を達成し、翌18年に現役を引退した。引退後は中日のコーチとして23年まで指導し、24年から解説者として新たなスタートを切った