「希少がん」と闘う元大阪桐蔭・福森大翔の告白 全4回(第1回目)
全国屈指の強豪校として知られ、プロ野球をはじめ各球界に多くの選手を輩出してきた大阪桐蔭野球部。そのOBのなかに「希少がん」と闘うメンバーがいる。
26歳の時に人口10万人あたり6例未満を指す「希少がん」と診断され、確立された治療法がないなか、可能性を信じ、今も前を向き続けている。
【ああ、今日も生きてたな】
腰に両手を当て、グイッと胸を張る森友哉。その右隣には、ひときわ体格のよさが目を引く近田拓矢、さらに笠松悠哉、峯本匠と続く。引き締まった表情の4人を先頭に、大阪桐蔭の試合用ユニフォームを身にまとった40人余りの選手たちが、森と同じポーズを決めて縦一列に並んでいる。
「受けて立つ」と言わんばかりの堂々とした立ち姿は、王者をイメージしたカメラマンのリクエストだったのだろう。練習グラウンドのライト奥にある傾斜を利用して撮影された集合写真は、2013年2月に発売された『週刊ベースボール 春季別冊号』(ベースボール・マガジン社)の表紙を飾った。
前年、大阪桐蔭はエース・藤浪晋太郎らの活躍で、史上7校目となる春夏連覇を達成した。そして目前に迫る選抜大会では、「春・夏・春」の甲子園3連覇がかかっていた。
その写真の2列目、副主将の久米健夫の右隣に立っているのが、選抜では4番を務め、夏の大会では2回戦の日川(山梨)戦でサヨナラヒットを放った福森だ。
その時の雑誌をテーブルに置くと、12年前の記憶が瞬時に蘇ってきたのか、福森の表情が緩んだ。
「この撮影は覚えています。トモ(森)の立ち位置だけが決まっていて、あとはその場で適当に並んで撮ったんです。
元高校球児が"あの頃"を振り返る取材は珍しくない。まして大阪桐蔭の甲子園メンバーとなればなおさらのことだ。しかし今回、福森を訪ねた理由はそこではなかった。
「病気をしてひとつわかったのは、『人間って簡単に死ぬんや』ってことでした。だから毎朝、目が覚めたら『ああ、今日も生きてたな』って確認するんです。胃が原発で、そして再発して......去年9月にリンパと肝臓へ転移したので、完全にステージ4です。しかも僕の場合は、抗がん剤が効きづらい希少がんのGIST(消化管間質腫瘍)というのがまた厄介なところで......」
とある日曜日の午前中の喫茶店。ゆったりとした時間が流れる店内に、今年7月で30歳になる元球児の声が切なく響いた。
日本人男性の平均寿命が81歳を超える高齢化社会にあって、「なぜ自分が......」「なぜこのタイミングで......」と、頭のなかで答えの出ない問いが何度も繰り返されていたことだろう。
【2つの希少がんが同時に進行】
人生が一変したのは2021年、26歳の時だった。
福森は大阪桐蔭卒業後、立命館大に進学し、大学選手権や明治神宮大会を経験。
胸やけが気になり、近くの病院に向かうと、「逆流性食道炎でしょう」と薬を処方された。当時は、一度のランチで2種類の定食を食べるほどの大食漢。「食べ過ぎか......」と、薬を飲むもすっきりしない。
すると11月末、クラブチームの卒団式に出席したところ、腹部に強烈な痛みが走り、救急車で搬送。急性膵炎で即入院となった。
さらにその際、画像診断により胃から十二指腸にかけて14cm、胃の裏側にも9cmの腫瘍があることがわかり、細胞を採取。病理検査を行なった結果、それらの腫瘍は悪性で、かつ消化管間質腫瘍(通称・GIST)のSDHB型と遺伝性褐色細胞腫・パラガングリオーマ症候群という、極めて発症率の低い2つの希少がんが同時に進行していることが判明した。

1つでも10万人に数人というのに、2つ重なるのは何十万人にひとりとか、もしかすると100万人にひとりとか、そんなレベルになるのかもしれません。
発覚した時点で極めて深刻な状況であったことは容易に想像できる。ただ、本人の感覚は少し違っていたという。
「かなり珍しいがんだと説明を受けましたが、先生の話を聞いて、自分なりにも調べて、ジストは基本、手術で悪性腫瘍の部分を取れば......という感覚にもなって。あと、僕のSDHBという型は抗がん剤がなかなか効かないみたいで、効果があったというエビデンスがこれまでにないという話もあって。だから手術のあとは経過観察をしっかりして、体に負担がかからない生活をして、様子を見ることになったんです」
父は元ラガーマンで、自身は野球。体力には自信があった。しかし、事は思惑どおりに進んでくれなかった。深刻度が一気に増したのは、手術で腫瘍を取ってから約2年後の23年12月。定期検査で、胃に前回同様の悪性腫瘍の再発が判明したのだ。
「腫瘍を取れば治ると思っていたのが、そうはならなくて......。再発はかなりショックでした」
2度目の手術で胃を3分の1切除。術後は、抗がん剤を使用することなく、慎重な経過観察が繰り返された。
しかし非情にも、翌2024年9月にリンパや肝臓への転移が確認され、がんのステージは4となった。人生の終わりが、現実のものとして目の前に一気に広がってきたという。
つづく>>