【東京世界陸上】男子マラソン「努力の天才」吉田祐也、苦しい時...の画像はこちら >>

【青学大時代から順風満帆ではなかった】

「努力の天才」「練習の虫」が9月15日、ついに世界の舞台に立つ。

 青山学院大4年時、吉田祐也(現・GMOインターネットグループ)は、箱根駅伝から1カ月後の別府大分毎日マラソンでマラソン初挑戦し、日本人トップの3位入賞を果たした(2時間08分30秒)。その後、周囲の強い勧めもあり、入社内定を得ていたブルボンに辞退を申し入れ、実業団へと歩みを進めた。

 その時、目標として掲げたのが「世界」だった。その舞台で今回、日本代表としてマラソンを戦うことになるが、その競技人生を振り返ると、決して順風満帆ではなかった。

 青学大の1、2年時は駅伝に縁がなかった。3年時、全日本大学駅伝で大学駅伝デビューを果たし、5区で区間賞を獲得。チームの優勝に貢献した。その流れで箱根駅伝の10区にエントリーされたが、当日変更で同期の鈴木塁人(現・GMOインターネットグループ)と交替した。吉田の落胆は大きく、「心が折れたまま2カ月ぐらい過ごしていた」という。

 学生時代の吉田はケガで長期離脱することがなく、練習もしっかりとこなせる優良選手だったが、青学大のような強いチームでは、それだけでは駅伝を走れない。

「他のチームのエースと呼ばれる選手たちに比べると、何かひと押しが足らないなというのが悩みでした。結局、"11番目の選手"状態がずっと続いているのは、(原晋)監督に『駅伝に出すにはちょっと不安がある』と思われていたからかもしれません」

 そんな評価を覆したのが4年の時だった。大学最後の1年、クヨクヨしていても箱根駅伝には近づけない。だったら悔いの残らない時間を過ごそうと、それまで以上に練習に没頭した。

例えば、フリーの日には、朝に90分ジョグ、昼に12km、そして、午後に再び90分ジョグを行なった。周囲の選手がギョッとするほどの練習量だった。

「競技寿命を縮めるぐらいのレベルのことをやっていたので、今じゃやらないほうがいいなと思うんですけど、(競技生活は)あと1年だからぶっ壊れてもいいので、とりあえずやろうと。それが自分にはよかったんだなと思います」

 その頃から「練習の虫」と言われるようになった。夏合宿では練習量をさらに増やし、自分を追い込んだ。それが実を結び、最初で最後の箱根駅伝出場を果たすと、4区で区間新記録をマーク。チームの総合優勝に大きく貢献した。そして、前述の別府大分毎日マラソンの好走につなげた。

 大学卒業後は、単に練習量を追うだけでなく、運動生理学やランニングに関する研究論文や文献を読み、最新の知見も取り入れた。練習を行なうにあたり、生理学的にどういう効果があるかを知っておくのと、知らないのとでは、大きな違いがあるからだ。科学と根性と経験をうまくミックスして競技に取り組んだ。

 当時、GMOの花田勝彦監督(現・早稲田大駅伝監督)は、吉田について「止めないとずっと練習をしている。

(他の選手には)しっかりやろうと声掛けするのが私の仕事ですが、吉田に関しては練習を止めるのが仕事だった」と語っていた。

【自身を変えた大迫傑との出会い】

 実業団1年目の2020年はそうした練習がうまくハマり、5000mと10000mで自己ベストを更新し、さらに12月の福岡国際マラソンでは2時間07分05秒の好タイムで優勝した。そして、その夜、マラソン初優勝以上に大きな収穫があった。

「レースのあと、共通の友人と一緒に大迫(傑)さん(現・東京陸協)と食事に行ったんです。大迫さんとの出会いは、僕のなかで新たな世界が広がるきっかけになりました」

 吉田は大迫にお願いをして、一緒に練習をさせてもらった。そこで痛感したのは、それなりに自負のあった自分の練習量と比べても、大迫の練習は量も質もケタ違いということだった。一緒に走るたびに「全然、歯が立たない」とショックを受けた。

「大迫さんは、スマートに練習をこなしているような印象を受けるかもしれないんですけど、世界で一番ぐらいに泥臭いことをやっているし、練習量もとんでもない。大迫さんと比較して見てみると僕は全然、量が足りない。それなのに(福岡国際で)優勝して、満足している自分自身のメンタリティもダメ。これじゃ、絶対に世界なんか無理だなと率直に思いました」

 さらに衝撃を受けたのが、2021年東京五輪のマラソンだった。世界記録保持者(当時)のエリウド・キプチョゲ(ケニア)が圧倒的な速さでオリンピック2連覇を達成。

大迫はメダル獲得も期待されるなか、6位入賞を果たした。この時、吉田はこう語っている。

「大迫さんで6番なのかと思ってしまいました。あれだけ練習をやっているのに、世界のトップの壁が厚すぎるなと。ただ、逆にポジティブに考えれば、あれだけやっていればちゃんと6番に入れるよということを大迫さんが証明してくれた。どの舞台になるかはわからないですけど、自分もやっている取り組み(の成果)を見せることができたらいいかなと思います」

 それから4年、吉田は満を持して、その成果を披露する場に立つ。一昨年のパリ五輪・マラソン代表選考レースであるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)では、50位(2時間19分47秒)と惨敗するなど苦しんだ時期もあった。だが、その後、「競技人生で一番成長できていた」と語る青学大に練習拠点を移し、再スタートを切った。

 昨年12月の福岡国際マラソンでは、日本歴代3位となる2時間05分16秒の好タイムで優勝し、東京世界陸上の代表の座をつかんだ。そのプロセスは、大学4年時に初めて箱根駅伝に出た時と似ていて、好走を予感させる。大会前の調整も順調にきていることが伝わっており、おそらく万全の状態でスタートラインに立つだろう。

「世界陸上での目標は、大迫さんの6位(東京五輪)を超えることです」

 東京五輪の大迫の順位を超えることは、一緒に練習をこなし、意識改革など影響を受けた大迫への恩返しにもなる。

東京の舞台に出てくる世界のエリートたちを相手に、果たして、「努力の天才」吉田が勝つチャンスはあるだろうか。

 今回の世界陸上のマラソンは、日本人選手の地の利が大きい。勝手を知るコースに加え、蒸し暑いコンディションも有利に働くはず。また、沿道からの声援のシャワーも吉田の背中を押すだろう。35kmまで先頭集団に食らいつき、粘って勝負できる状況まで持ち込めれば、入賞、そしてメダルも見えてくる。

 センスと能力の塊のようなアフリカ勢が勝利するのは、スポーツの世界では当然なのかもしれないが、それじゃ面白くない。努力が武器になることを、世界の舞台で証明してほしい。

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