【箱根駅伝 名ランナー列伝】篠藤淳(中央学院大) 3000m...の画像はこちら >>

箱根路を沸かせた韋駄天たちの足跡
連載13:篠藤淳(中央学院大/2005~08年)

いまや正月の風物詩とも言える国民的行事となった東京箱根間往復大学駅伝競走(通称・箱根駅伝)。往路107.5km、復路109.6kmの総距離 217.1kmを各校10人のランナーがつなぐ襷リレーは、走者の数だけさまざまなドラマを生み出す。

すでに100回を超える歴史のなか、時代を超えて生き続けるランナーたちに焦点を当てる今連載。第13回は、3000m障害で日本選手権優勝も果たし、箱根路の9区で歴史に残る区間記録を叩き出した中央学院大の篠藤淳を紹介する。

連載・箱根駅伝名ランナー列伝リスト

【「堺よりも強くしてやる」のひと言で決意】

 今年の箱根駅伝で25回目の出場を果たした中央学大。これまでのチーム史上最高順位は2008年の3位だが、その原動力となったのが3000m障害でも活躍した篠藤淳だ。

 高校時代は、兵庫県内でも目立つ選手ではなかった。しかし、中央学大・川崎勇二監督から「(同級生のエースだった)堺晃一よりも強くしてやる」という言葉を聞いて、「この人を信じれば、強くなれるかもしれない」と心をときめかせた。

 飾磨工高時代は3000m障害でインターハイ決勝に進出したのが最高成績で、5000mのベストは14分48秒。チームメイトの堺は14分31秒だった。

「高校時代は全般的に堺のほうが強くて、彼が駒大に決まったときには『試合で一緒に走れたらいいな』という話をしたのを覚えています」

 それから4年。スピードが持ち味の篠藤と、タフなタイプだった堺が箱根駅伝の同じ区間で鮮烈な走りを見せることになる−−。

【3年時には3000m障害で日本選手権優勝】

 中央学大に進学した篠藤は1年時からチームの主力として活躍。関東インカレ(2部)の3000m障害で3位に入ると、「怖いもの知らずというか、プレッシャーもなく、楽しむことができました」と箱根駅伝の3区を区間5位と快走した。

 2年時は日本インカレの3000m障害で優勝。10000mでも当時・学生トップクラスの目安である28分台に突入した。

しかし、「自信を持って臨んだ」という箱根駅伝は10区で区間16位に沈んだ。

「大失敗でした。悔しくて情けない思いをしたんです」と篠藤。この悔しさがアスリートとして大きく成長させることになる。

 3年時は副キャプテンとしてチームを盛り立てた。またシューズの履き方を見直した結果、地元・兵庫で行なわれた日本選手権で大金星を挙げる。3000m障害で日本記録を保持していた岩水嘉孝(トヨタ自動車)に競り勝ち、8分33秒44(当時・日本歴代9位)で日本一に輝いたのだ。本人も「ビックリしました」と言うほどのサプライズVだった。

 篠藤は12月にドーハで開催されたアジア大会の代表候補に挙げられたが、「どちらをとっても後悔はしたと思います。国際大会は実業団に進んでも狙えますが、箱根駅伝は学生のうちにしか出られません」と正月のレースに集中した。だが、箱根駅伝は3区で区間6位と好走するも、チームは総合13位に終わった。

 大学4年時はキャプテンとしてチームを引っ張った。

しかし、故障もあり、前半シーズンは低迷した。6月の全日本大学駅伝関東選考会は4組30着に沈んだが、チームは5位通過。1週間後の日本選手権3000m障害で5位に食い込んだ。

「全日本選考会の失敗を日本選手権で取り返すつもりでした。浮上のきっかけをつかむことができたと思います」

 大阪世界陸上の代表に届かなかったが、篠藤はリスタートを切ることに成功。徐々に調子を上げていく。 

 箱根駅伝予選会で個人4位に入ると、全日本大学駅伝は2区を区間4位と好走した。だが、最後の箱根駅伝を迎えるまでは厳しい時間が続いた。

「9月くらいから調子がよくて、ピークが11月の全日本あたりできていたんです。その後に調子が完全に落ちてしまい、ポイント練習以外はカラダが動かないような状態でした」

 12月上旬、篠藤の調子は最悪だったが、キャプテンは復路のエース区間を志願した。

「優勝を狙えるような走りがしたかったですし、悪い順位できたとしても前を追い上げることができる。9区を志願してから気持ちが盛り上がってきて、不思議とカラダも動くようになってきたんです」

【高校時代からのライバルを凌駕し9区区間新】

 箱根本番、中央学大は2区で日本人トップになった木原真佐人の快走で流れをつかむと、往路を5位で折り返す。

復路も安定したレースを展開した。そして9区の篠藤に6位でタスキが渡った。

 戸塚中継所をトップで飛び出したのは早大で、2位が駒大だった。やがて駒大がトップを奪うのだが、それが高校時代の同級生・堺晃一だった。

「どの大学が前にいても追いかけようという気持ちでしたけど、特に駒大は意識していましたね。何位できてもトップが見える位置でタスキを渡すつもりでした」

 篠藤が設定した区間タイムは1時間08分45秒。5kmを14分17秒、10kmを29分03秒で通過した。

「10km過ぎからは5km15分10秒ペースまで落として、終盤に備える予定でした。でも完全にリズムができていたので、5km14分50秒ペースで押していきました」と篠藤。山梨学大、学連選抜、東海大を抜いたあとも、貪欲に前を追いかけた。

「今まではシードばかりを意識してレースをしていましたが、今回は優勝を目指して『前へ』という気持ちでした」

 篠藤がターゲットにしていたのは、トップ駒大の背中だった。3位に浮上したあとも、攻めの姿勢を崩さなかった。

20kmを58分47秒で通過。「区間記録が出るかもしれない」と最後の力を振り絞った。

 駒大の背中を見ることはできなかったが、区間記録を37秒も上回る1時間08分01秒をマーク。区間2位の堺に1分以上の大差をつけて区間賞を獲得して、大会最優秀選手に当たる金栗四三杯に輝いた。

「タイムはビックリしましたね。堺に勝ちましたけど、あっちは総合優勝です。でも学生最後の大舞台で堺を上回る走りができてうれしいです。チームも過去最高順位の3位ですし、大学関係者や周囲の方がすごく喜んでくれました。中央学大に進んで本当によかったと思います。川崎監督からほとんど褒めてもらったことがなかったんですけど、『よくやってくれた』と声をかけていただいて感動しました」

 レース後、高校生の頃、川崎監督が言った「堺よりも強くしてやる」という言葉を思い出し、涙があふれてきた。

 篠藤は大学卒業後、山陽特殊製鋼に入社。2014年は3000m障害で8年ぶりの日本一に輝くと、仁川アジア大会に出場して4位入賞を果たしている。

●Profile
しのとう・じゅん/1985年4月2日生まれ、兵庫県出身。飾磨工業高(兵庫)―中央学院大―山陽特殊製鋼。箱根駅伝には4年連続出場。主将も務めた4年時には、9区で区間新記録を樹立する走りを見せ、チーム史上最高の総合3位に貢献し、MVPに当たる金栗四三杯を獲得した。2年時には3000m障害で日本選手権優勝を果たすなど、トラックでも活躍し、卒業後も3000m障害、駅伝で活躍した。

【箱根駅伝成績】
2005年(1年)3区5位・1時間04分58秒
2006年(2年)10区16位・1時間14分48秒
2007年(3年)3区6位・1時間04分10秒
2008年(4年)9区1位・1時間08分01秒 *区間新(当時)

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