【中谷の闘い方に「さすが!」】

「いやぁ、いい試合だった! 実力伯仲。"これぞ世界トップレベル"と表現できる闘いで、モハメド・アリvs.ジョー・フレージャー3連戦とか、シュガー・レイ・レナードvs.トーマス・ハーンズ初戦のような死闘だった。見応えたっぷりだったよ。

 どちらに転んでもおかしくない内容。5万5000人ものファンが集まるにふさわしいファイトだったな。胸がいっぱいになった。本当に紙一重の差が明暗を分けた」

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 井上尚弥が中谷潤人を判定で下してWBA/WBC/IBF/WBOスーパーバンタム級タイトルを防衛した5時間後、元世界ヘビー級チャンピオンのティム・ウィザスプーンは、パソコン画面の向こうでそう言った。

 昨年6月、筆者は中谷潤人、そしてマネージャーとして兄を支える龍人とともにアメリカ合衆国ペンシルベニア州に出向いた。1984年にWBC、1986年にWBAで最重量級王座に就いたウィザスプーンは中谷に注目しており、WBOスーパーフライ級タイトルを獲得した2023年5月以降、すべての試合映像を目にしている。

 ウィザスプーンは悪徳プロモーターによる搾取に苦しみ、長期政権を築けなかった。だが、45歳にして世界ランキング9位にとどまるだけの"ディフェンス・マスター"として知られた。そんなウィザスプーンの防御論を学びたいと語った中谷に、元世界ヘビー級チャンプとの邂逅の時を設けたのだ。

「挑戦者が使うべきだったパンチ」とは? 元ヘビー級王者が中谷潤人の目線で語る、井上尚弥戦の勝負を分けたポイント
元ヘビー級王者のティム・ウィザスプーン(左)と中谷潤人

「ジュントとリュウトが我が家に来てくれた時、『イノウエ戦は、ディフェンスがカギになる』って告げたことを覚えているか? 今回のジュントの闘いぶりは、讃えられる。立ち上がりからイノウエのパンチを躱(かわ)し、殺し、もらわなかった。『さすが!』と拳を握りしめながら見たよ。

 ただ、3人のジャッジ全員が4ラウンドまでチャンピオン有利としたよな。確かに五分五分の、採点者泣かせの展開だった。でも、俺は2ラウンドくらいジュントが取っていてもおかしくないと感じた。一進一退のクロスファイトで、チャンピオンとチャレンジャーが互角だったら、王者にポイントを与えたくなるのがジャッジかもしれないが......」

【中谷が「使うべきだった」パンチとは?】

 自身が生まれ育ったフィラデルフィアから北東に45キロメートルの地、ベンサレムで16歳になる五女と暮らすウィザスプーンは、時折、高校生の末娘に何かを指示しながら言葉を続けた。

「ジュントのジャブがよかった。右のグローブでフェイントをかけて、頭の動きを止めずに的を絞らせなかった。膝を折って上体を低くし、自分の距離を保った。イノウエが入ってくるところに、強打を見舞う作戦だったんだろう。

 今思うのは......ジュントの距離で試合を運べていたし、もう少し左ストレートを使うべきだったんじゃないかってことだ。リーチのアドバンテージもあった。オーソドックスとサウスポーが闘う際、ストレートをぶち込んでいくのが鉄則だ。ジュントなら、ストレートをヒットすることは可能だったと感じる。

「挑戦者が使うべきだったパンチ」とは? 元ヘビー級王者が中谷潤人の目線で語る、井上尚弥戦の勝負を分けたポイント
フィラデルフィアを訪れた際の(左から)弟でトレーナーの龍人、潤人、ティム

 イノウエが放ったボディへの右ストレートを、バックステップでキレイに躱すシーンが印象的だったね。

イノウエが重いパンチをフルスイングした場面でも、ジュントはうまく対応していた。5ラウンドに左ストレート、右フックをヒットして攻めの姿勢を見せた。ラウンドが進むにつれ、ジュントはアグレッシブになった。ペースを握ったかに見えた。

 悔やまれるのは、10ラウンドに起こった偶然のバッティングだ。鮮血が滴り、翌11ラウンドにジュントの動きが鈍った。視界が奪われたんだろう。これから、という時だったから、残念で仕方ないよ......」

【中谷の人間としての魅力】

 116-112が2名、残るひとりは115-113の採点で、中谷は33戦目にして初黒星を喫した。

「確かに今回、ジュントは敗れた。とはいえ、プロボクサーには負け方ってものがある。未来への可能性、期待を抱かせる闘いだった。それは東京ドームを埋めた5万5000人をはじめ、配信を目にした世界中のボクシングファンの共通した想いだろう。

 28歳の彼は、まだまだこれから成長するさ。

負けを糧にできるファイターだ。もっともっと大きくなる男だと俺は確信する」

「挑戦者が使うべきだったパンチ」とは? 元ヘビー級王者が中谷潤人の目線で語る、井上尚弥戦の勝負を分けたポイント
ジャッジ3人のスコア表 

 そこまで話すと、ウィザスプーンはソファに座り直した。

「ジュントの魅力って、強いボクサーであるだけじゃない。素直さが前面に出た人間性もさ。去年、4泊5日でベンサレムに来てくれた際、俺なりに最大限のアドバイスをしようと考えた。せっかくトップボクサーが俺を訪ねてくれたんだから、当然だよな。

 でも、彼にはちゃんとしたトレーナーがいるってことも、弁(わきま)えて接したつもりだ。ジュントは肩の回し方とか、足の位置、ガードの高さ、俺が指摘したことを一言一句、聞き漏らさないように真剣に聞いてくれた。あの視線は忘れられないよ。ボクシングに向かう姿勢、貪欲さ、純粋さ、こちらのほうこそ多くを教えられた」

 「それに......」と元世界ヘビー級チャンプは記憶を呼び起こした。

「ジュント、リュウト、そしてお前との4人でフィラデルフィア美術館に行った折、駐車場に水溜りがあったことを覚えているか? レンタカーの助手席に座っていた俺が車から出る時、水に足を突っ込まないようにと、ドライバーだったお前に停車位置を少しズラすよう声をかけたよな。日本語での会話だったけれど、ジュントが何を言ったかを俺は理解した。

『こんな気配りができる男なんだ』って、うれしく感じた反面、驚いたよ。

「挑戦者が使うべきだったパンチ」とは? 元ヘビー級王者が中谷潤人の目線で語る、井上尚弥戦の勝負を分けたポイント
べンサレムにて、筆者(右前)も交えた食事

 そういう繊細な部分、周囲に目を配る点は、対戦相手や敵陣営のコーナーを観察することに繋がる。ボクサーは、いい指導者なしで成功しないと俺は思っている。だとしても、リングで闘うのは本人だ。トレーナーの指示通りにやったって、相手に効かないことだってある。結局、最後は自分の判断さ。その時々の状況を把握し、瞬時に次の手を見つけられる選手が生き残っていく。ジュントって、そういうタイプだよな」

【「ふたりとも、楽しそうだった」】

 ウィザスプーンは、勝者についても触れた。

「イノウエもまた、"モンスター"と呼ばれ、こちら(アメリカ)で絶賛されるだけのチャンピオンだ。ノニト・ドネアとの第1戦(2019年11月7日)から試合を見てきたが、やっぱりジュント以上の相手はいなかった。最強の挑戦者を十分に研究し、対策を練って迎え撃ったんだ。

 リーチがあり、懐の深いジュントに対し、間断なくフェイントをかけ、空振りしながらでも前に出ていった。

ファーストラウンドから4回までのポイントは、(※)リングジェネラルシップかな。今回の防衛を祝福したい」

(※)どちらの選手が攻めの姿勢を見せ、主導権を握ろうとしたか、という採点基準のひとつ。
 
 東京ドームを満員にした両者は、拳を交えながら複数回、リング上で微笑み合った。世界ヘビー級王座に2度就いた68歳は、白い歯を見せながら言った。

「ふたりとも、楽しそうだったな。ビッグマッチであんな光景は見たことがないね。俺自身、試合中に笑うような状況には決してならなかった。

 しかし、互いに相手を敬い、『やるじゃないか!』と称えるようなシーンだっただろう。ボクシングって美しい、素晴らしい競技だって感じさせてくれる光景だった。極上のファイトを見せてもらって、両選手にお礼を述べるよ」

「挑戦者が使うべきだったパンチ」とは? 元ヘビー級王者が中谷潤人の目線で語る、井上尚弥戦の勝負を分けたポイント
試合後も笑顔で握手を交わした ©Lemino/SECOND CAREER/NAOKI FUKUDA

 ウィザスプーンは結んだ。

「去年の食事中にも彼に言ったけれど、ジュントにはSky is the limit(可能性は無限)という言葉がピッタリさ。少し休んで、また自分のゴールに向かって走り出してほしい。

いつか再会したい。時間が経てば、イノウエ戦の反省も出てくるだろう。もし、俺にできることがあったら、何でもやるよ。そう思わせてくれる男だ。いつも爽やかだもんな」

 今回のインタビューでは、ウィザスプーンが中谷を思いやる発言も多く聞かれた。それは、元世界ヘビー級チャンピオンが中谷に魅力を感じ、かつボクサーの敗北の意味を痛いほど理解しているからに他ならない。

 パソコンの画面を切る際、ウィザスプーンは右の拳を画面に近づけ、言った。

「ジュントにリフレッシュするよう、伝えてくれ」

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