名将たちの甲子園初出場物語
青栁博文(後編)

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 2011年夏。健大高崎は、群馬大会の決勝で高崎商を10対6で破り、創部10年目の節目で悲願の甲子園初出場を決めた。

その決勝で9盗塁をマークするなど、大会記録となる6試合28盗塁という驚異的な数字が、高校野球界に大きな地殻変動を起こす前触れだった。

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【甲子園初出場・初勝利】

 のちに健大高崎の代名詞となる「機動破壊」というチームスローガンは、青栁博文監督が当時招聘したコーチの発案から生まれたものだった。

「(1試合9盗塁は)けっこうインパクトがあって、みなさんにその野球が受けたというか、すごく期待してもらいました。私自身、社会人時代は軟式野球をやっていましたが、軟式はバットに当たってもボールが潰れて飛ばないため、1点を争う緻密な野球になります。足の重要性は身に染みてわかっていました。なにより、当時のうちはまだ全国の強豪と互角に打ち合えるほどの打力はありません。『弱者の兵法』ではないですが、それこそが生き残る道でした」

 初めて足を踏み入れた夏の甲子園。開会式直後となる開幕戦の独特な熱気と、超満員のスタンドに圧倒された。自身も前橋商時代、3年春の選抜に出場しているが、夏の聖地の雰囲気はひと味もふた味も違った。

「選手として選抜に出場した時は1回戦で(愛媛・新田高に)1対9で負けて、私も3三振、お客さんも試合途中から少なくなっていきました。だから、あの超満員のスタンドを見た時に『すごいな』と思いました」

 ただ、その余韻に浸る余裕はなく、ハイテンポで試合が進むなか、選手たちは普段どおりに自慢の機動力を見せつけた。今治西(愛媛)を相手に3盗塁でリズムを乱すと、2点を追う9回に3点を奪い、7対6で記念すべき聖地初勝利を挙げた。

 そして続く2回戦で横浜(神奈川)と激突する。

渡辺元智監督、小倉清一郎コーチ(ともに当時)が率いる百戦錬磨の名門。柳裕也(中日)、近藤健介(ソフトバンク)のバッテリーからは自慢の機動力を徹底的にマークされた。

「ウチは打線が弱いので、点は多く取れそうにない。投手がいかに打たせてアウトをとって、最少失点に抑えるかがカギでした」

 戦前の願望とは裏腹に、試合は5回を終え、5点をリードされる苦しい展開となった。かつての弱小時代なら、とっくに瓦解していた場面である。
 
 しかし、選手たちはあきらめなかった。6回に5本の長短打を絡めて同点に追いつく驚異的な粘りで柳をノックアウト。惜しくも延長10回に力尽き、5対6でサヨナラ負けを喫するが、全国の高校野球ファンに「KENDAI」の名を強く印象づけた。

「あの試合はあきらめなかった選手たちの頑張りに尽きます。以前なら途中であきらめていたと思いますが、だんだんとそういった粘り強いチームに変わってきたなと思います」

【怒鳴ってやらせる指導からの脱却】

 翌2012年春の選抜では2季連続で甲子園に出場してベスト4進出。2014年夏からは3季連続(うちベスト8が2度)、2017年選抜にも出場してベスト8に進むなど、チームは黄金期を迎えたかに見えた。

 だが、そこから数年間、甲子園の舞台から遠ざかることになる。とくに夏は2015年に出場して以降、群馬大会決勝で6度も敗戦(2020年の独自大会含む)。

2013年夏の甲子園王者の前橋育英の壁を越えることができず、「健大は夏に勝てない」という不名誉なレッテルまで貼られた。

「簡単に勝てるようになってしまったという慢心、勘違いが、私自身にも、選手たちにもありました。勝負の世界はそんなに甘くない。もう一度、自分を戒める必要がありました」

 青栁監督は行動を起こした。練習後に飲みの誘いがあっても、食事だけで切り上げ、必ず夜10時には寮に戻るようにして、選手一人ひとりと向き合う時間を圧倒的に増やした。

「まずは選手たちとしっかり会話をして、野球ノートを細かく書かせるなど、コミュニケーションの機会を増やしました。野球の時だけはいい子でも、学校での生活態度やマナーが悪ければ、たとえレギュラーであっても容赦なくベンチから外しました。戦力は落ちますが、そこを徹底しないと、本当の意味で強い組織にはなれません」

【高校野球】創部10年目の甲子園初出場がすべてを変えた 健大高崎・青栁監督が語る「機動破壊」はこうして生まれた
夏の甲子園初制覇に挑む健大高崎の選手たち photo by Katsuharu Uchida
 その過程で、「怒鳴ってやらせる」指導から、サラリーマン時代に理想とした「一歩引いて見守る」方針へとシフトチェンジ。チームはようやくこの3、4年で、青栁監督が思い描いた「理想のチーム」へと変貌を遂げた。

 監督やコーチがグラウンドにいなくとも、誰ひとりとして手を抜くことはない。自らが考えて課題に取り組む。その不断の努力が、2024年の選抜制覇と、前橋育英の壁を突破しての9年ぶり夏の甲子園出場という成果につながった。

「一応、練習前にコーチと選手たちでメニューを考えるのですが、やらされているという認識はないと思います。練習を止めて怒ることもありませんし、練習時間も短くし、あとは選手たちに任せるという方針でやっています」

【視線の先は夏の甲子園制覇】

 悲願の日本一を達成した今も、青栁監督の視線は次の未来を見つめている。2002年の創部から10年で甲子園出場を果たし、20年で常連校となり、選抜を制することができた。30年計画の最終章は、「夏の甲子園制覇」にほかならない。

「たしかに選抜では結果が出ていますが、夏を勝ち抜くには、まだまだエネルギーが足りません。理想は選抜に行って、夏も優勝できるという、そんな夏型のチームを目指したいなと思っています」

 現代の高校野球は、ひとりの絶対的なエースが完投して勝ち上がれる時代ではない。球数制限やタイブレーク制、DH制の導入など、環境が目まぐるしく変化している。

「夏を勝つためには、4人ぐらいの実力ある投手を揃え、緻密に回していく継投策が不可欠です。どんなに苦しい展開になっても、決してあきらめずに粘り強く勝ち抜けるチームをもう一度つくっていきたいですね」

 かつて、ボール2ダースとバット3本から始まった弱小チームは、全国から有望な中学生がこぞって集まるようになるなど、羨望の眼差しを向けられる存在となった。その原点は、間違いなく2011年夏の甲子園初出場にあると青?監督は断言する。

「あの夏、甲子園に行っていなかったら、どこかのタイミングで野球に区切りをつけていたかもしれません。試合をするといろんな人に聞かれるのですが、甲子園に一度行くか、行かないかで本当に変わるんです。

もちろん運もありますが、あの一度の甲子園が私にとってはすべてではないでしょうか」

 近年は強打が目立つが、「今も走る練習はけっこうしています」と、「機動破壊」もまだまだ健在だ。「機動破壊」で高校野球に革命を起こした指揮官は、新たな"健大野球"を追い求めながら、指導者人生の集大成となる夏の全国制覇へ歩みを止めることはない。

内田勝治●文 text by Katsuharu Uchida

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