錦織圭という奇跡【第42回】
添田豪の視点(2)

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◆添田豪の視点(1)>>本音は「正直、認めたくない気持ち」

 伝統のクラブハウスからナンバー1コートへ、エスコートされながら歩いていた時、添田豪氏は「ものすごく緊張していた」と打ち明けた。

 2012年7月──。

この年のロンドンオリンピックのテニス競技は、『テニスの聖地』ことウインブルドンで開催された。

 日本代表として出場した添田氏がダブルスの初戦で対戦したのは、ロジャー・フェデラースタン・ワウリンカのスイスペア。ふたりは2008年北京オリンピックの金メダリストであり、何よりフェデラーは当時史上最多17度のグランドスラム優勝を誇るスーパースター。直近のウインブルドンも制したばかりだった。

錦織圭を日本代表に呼んだ監督・添田豪の心境 「キャリアの最後...の画像はこちら >>
 添田氏にとってもフェデラーは、憧れの存在である。

「僕は対戦したこともなかったし、フェデラーは選手ラウンジにもあまりいないので、見る機会も少ない選手でした。ダブルスでの対戦が決まった時は、オリンピックの舞台でこのふたりと対戦できるなんて、テニス人生のなかで滅多に巡ってこないチャンスだと思い、楽しみにしていたんです。

 でも、センターコートのクラブハウスで集合した時にフェデラーを見て、ナンバー1コートまでの長い道を4人で歩きながら、ものすごく緊張しちゃったんです。『本当に、この選手と対戦するんだな』って......」

 息苦しいほどの緊張に襲われた添田氏は、となりを歩くダブルスパートナーの錦織圭を見た。すると、5歳年下の世界17位(当時)は、きわめて落ち着いているように見えたという。

「圭はそれまで何度もフェデラーと練習していたし、すでに対戦したこともあったのかな。彼は全然、ビビッていなかった。

そういうパートナーがいることを、あの時ほど心強く感じたことはなかったですね。僕は表情に出さないようにしていましたが、本当はものすごく緊張していた。だから試合序盤は特に、心のなかでずっと圭を頼りにしていました」

 試合が始まる前もコート上でも、錦織はいつもと変わらず、冷静に見えたという。その錦織の姿に添田氏も徐々に心身がほぐれ、思いきりのいいプレーができるようになっていった。試合には敗れはしたが、7-6、4-6、4-6の大熱戦。思い出深い一戦は、錦織の存在感を再認識した機会でもあった。

【監督と選手という立場で戦いたい】

 錦織が周囲に与える安心感は、国別対抗戦『デビスカップ』のチームメイトとしてともに戦うなかでも、感じてきたことだと添田氏は言う。それは、錦織が18歳で初招集された時にも、すでに感じたことだった。たとえ負けても、次に向けて切り替える早さにも驚かされたと回想する。

「本当に圭は勝負師。オンコートではものすごく負けず嫌いだし、集中している。常にその状態にいるのはけっこう疲れるから、コート外ではすごく穏やかだったんじゃないかな」

 そんなふうに感じてもいたという。

 添田氏は現役時代には、仲間の選手たちと『全日本男子プロテニス選手会』を立ち上げ、初代会長に就任するなど、日本テニス界の牽引者的存在だった。

そして2022年の秋、38歳で現役生活に別れを告げると同時に、デビスカップ日本代表監督に就任する。

 他方で2022年初頭に股関節の手術をした錦織は、以降はツアーから長期離脱。添田氏が監督として初めて錦織を代表チームに招集する機会は、2024年9月の対コロンビア戦まで待つこととなった。

「それまでは、ケガで呼べるような状態ではなかったんです。それでも純粋に、監督と選手という立場で一緒に戦いたいという気持ちは、ずっと僕にはありました。

 個人的な思い入れも強かったし、(望月)慎太郎や(坂本)怜ら若い選手と圭を、つないでおきたいとも思ったんです。慎太郎たちがツアーに出るようになった頃は、圭はケガが多かったので、意外と彼らが一緒になる機会はなかったんです。

 もちろん、圭がいることでチームが勝つ確率が上がるというのが、招集する一番の理由です。戦力としてだけでなく、相手からしても、圭がいることは絶対に嫌だと思うんですよ。僕が相手の立場に立った時に、圭が出てくるのかどうかを考えるだけで、すごく嫌だなと思う。そういう意味でも、圭を呼びたかったというのはありました」

 この2024年のコロンビア戦では、錦織はシングルスで白星をもたらし、日本の勝利に貢献する。さらに翌年1月31開幕の対イギリス戦でも錦織は招集され、シングルス2試合に出場。

初戦では敗戦を喫するも、両チームの命運をかけた最終試合で勝利し、日本を勝利に導いた。

【圭でもデビスカップは緊張するんだ】

 錦織がコートに立つ時、添田氏は『監督』として、どのような助言を与えるのだろうか? かつてのチームメイトに声かけをすることに、違和感などはないのだろうか?

「不思議な感覚は意外になくて。そこはすんなり、切り替えられています」と、添田氏が即答する。

「圭に対しては、精神面より、技術や戦術面の基本的なことを言うようにしていました。試合前に話し合っている時に、圭から『今、こういうところが課題としてあるので、もし試合中に気がついたら指摘してください』というふうに言われていたんです。彼ほどのキャリアの選手ですから、僕も『変にアドバイスする必要はないだろう』と思っていました。

 ただ、勝負どころでは、圭でもやはり重圧を感じることはあったみたいです。たとえば(2025年2月の)イギリス戦の初戦のあとで、『すごい緊張してた』と言っていた。

 僕にはそうは見えなかったのですが、やはり圭でもデ杯(デビスカップ)は緊張するんだなと痛感しましたね......。緊張すると視野も狭くなるので、次の試合では僕からも、サーブ後のポジションが偏っていたことなど、気がついたことは言うようにしました」

 監督として接することで、添田氏は錦織の新たな一面や、デビスカップへの思いを知った。

 そして、今年2月の日本対オーストリア戦。添田監督は再び、錦織を招集する。

現実的には当時の錦織は、ケガを抱えていたため試合に出られる可能性は低かった。それでも、チームに呼んだ真意とは......?

「それはやっぱり、圭がいてくれるだけで、いろんな選手にとって精神的なよりどころになったと思うからです」

 種々の思いを紡ぐように、添田氏が訥々(とつとつ)と語る。

「慎太郎もそうだし、エースのよっしー(西岡良仁)にとってもそうだし。圭が試合に出られないにしても、チームに与えてくれる安心感などの影響はすごくあったと思います。

 あとは、まあ......その時は僕もこんなにすぐ圭が引退するとは思ってなかったんですけど、そうは言っても、残された時間がそれほど長くないなとは感じていました。だから......日本代表の一体感を、圭にも持ってもらいたかった。キャリアの最後に、代表としてみんなで一緒に過ごしたいという思いはありました。やっぱり圭は特別な存在なので......そう思いましたね」

 デビスカップやオリンピックでチームメイトとして戦い、同じコートに立つことで深めてきた、信頼と絆──。デビスカップ日本代表への招集は、添田氏が錦織に贈る、万感の思いそのものだった。

(つづく)

◆添田豪の視点(3)>>LINEでの引退報告に「なんで言わねえんだよ」


【profile】
添田豪(そえだ・ごう)
1984年9月5日生まれ、神奈川県藤沢市出身。4歳でテニスを始め、藤沢翔陵高時代の2001年に全国高校総体(インターハイ)で単複2冠を達成。2003年にプロ転向し、2008年、2009年に全日本選手権シングルスを連覇した。

2012年はチェンナイ、アトランタのATPツアー2大会でベスト4入りし、同年7月に自己最高ATPランキング47位を記録。ロンドン五輪にも出場した。四大大会では全豪オープンとウインブルドンで2回戦に進出し、ATPチャレンジャー大会のシングルスで通算18タイトルを獲得。デビスカップでは日本代表としてシングルス24勝、通算26勝を挙げた。2022年限りで現役を引退し、2023年からデビスカップ日本代表監督を務める。身長178cm。

内田 暁●取材・文 text by Akatsuki Uchida

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