宮藤官九郎脚本、日曜劇場「ごめんね青春!」(TBS日曜9時〜)には、感動の駅伝、ゆるキャラ、不倫など、キャッチーな要素が散りばめられている上、好きな人には好きで好きでたまらない魅力にあふれております。視聴率はなかなか振るわないようですが、見る人と見ない人が合併したらいいのに! と願ってやみません。


ドラマはいよいよ後半戦。7話(11月23日放送)では、文化祭の準備と新たな校歌誕生と中井さん(黒島結菜)の転校が描かれました。
特に、この回、注目したいのは、ドンマイ先生(坂井真紀)と蜂矢りさ(満島ひかり)とコスメ(小関裕太)。
この3人が、各々のこじらせた病をどう解決していったか、そこを中心に振り返ってみたいと思います。あ。主人公の平助(錦戸亮)は別格です。
別格なほど彼の病は深いです。なので、平助のことは最後に書きますね。

まず、ドンマイ先生。
男子校とんこーの唯一の女教師で、昔は可憐なマドンナキャラでしたが、独身のまま40歳を迎え、地味な眼鏡先生になっていました。それがある時、平助の兄一平(えなりかずき)と出会って恋に落ちてしまいます。彼女は一平が妻持ちと知らず、「ダメよ、ダメダメ」と言いながらも、恋にのめり込んでいきました。

7話では、一平が既婚者と知ったドンマイ先生は、恋を潔く諦めます。
一平とのことは恋のレッスンにして、「ずっと眠っていた獣の女子力」を引き出してもらった後、モテはじめるという素敵な展開に。
でも、お相手が、体育教師・富永(富澤たけし)でいいのかなあ。まあ、いいか。
結局、一平とは一線は超えなかったことは、日曜9時という時間帯ゆえの自主規制かもしれませんが、やればいいってもんじゃないという女の矜持と思いたいです。

この回の坂井真紀は、回想シーンの可愛さから、現在の年齢相当の美しさ、
ノーメイクで眼鏡の地味さまで、縦横無尽に演じて、まさに(女)神でした。


また、一平に裏切られていた妻エレナっちょ(中村静香)も、旦那さまのためにポロシャツを水で洗う(お湯洗いより傷みにくいから)という健気さを見せて、ただのエロ嫁ではないところをアピール。これってテコ入れでしょうか?

次に、蜂矢りさ。
三女の教師で処女。
三女の都市伝説「いずっぱこ車内、1日1車両どこかに表れるハートのつり革に、ふたりでつかまったら結ばれる」を体験し、その相手が平助だったことから、彼と結婚すると決意。しかし、平助のことをどうしても好きになれません。駅伝で負傷したアンカー成田くん(船崎良)を背負ってゴールした時の平助の素敵さにも、まったく心が動かなかったりさが、7話でついに平助にときめいてしまう。
そのきっかけは、平助がはじめて「感情をむき出しにした」こと。「ふだん何考えてるかわからない」平助の隠された一面にキュンとなったというのは、いわゆるギャップ萌えでしょうか。 
このシーンのポイントは、校歌のことでガミガミ責めるりさを「うるせえ」と怒る平助が「上から目線で」と言った後、りさが椅子に腰をかけて目線が下からになる動作です。いつでも胸を張って、威丈高にしていたりさが、平助の上から目線を受けて、ちょっとかわいくなっていて、「好き」からはじまる関係でなく、「好きなところ」を探すことをりさから学ばせていただきました。
この場面は、錦戸と満島の「瞳うるうる」合戦も楽しめました。

そして、コスメ。

カラダは男、気持ちは乙女の高校生。
ドラマ開始3分過ぎに三女の制服を着て登場しますが、特に何も触れられません。その後も、女子の制服を着続け、11分頃、教頭(緋田康人)が気づき、39分頃、ついに当人が「ゲイ」であることを告白。でも、生徒たちはみんな、知っていたとあっさり。女の子の制服を着ていることはわかっていたけれど、特に騒ぐことではないと認識していたというのです。
かつて、上戸彩が、TBSのドラマ「3年B組金八先生」で性同一性障害の女子中学生役を演じて話題になった時とはえらい違い。
今や、男子が女子の制服を着て、心は女と言っても、ドンマイな感じなのは興味深いですね。
もっとも、父親の理事長(津田寛治)が激怒、8話でおおごとに発展しそうな気配ですが・・・。

男性に対して免疫の少ない女教師ふたり。女子になりたい男の子ひとり。どれも重くなりそうな悩みを軽妙に、でも誠実に描いています。宮藤脚本は、下ネタもダジャレも多いですが、どこか品を保っているし、誰に対してもとても優しい気がするんですね。

さて、平助です。
コスメが「ゲイです」と告白したその直前、平助はいよいよ「あの火事の原因は……」と生徒たちに、礼拝堂の火事の真相を告白しかけていました。それをコスメが遮って「僕はゲイです!」と激白してしまう。ん。「ゲンイン」と「ゲイ」って響きが似ています。
響きが似ているといえば、冒頭、平助が「ドンマイじゃねえって」と言ったあと、菩薩(森下愛子)が「さて問題」と言い、「ドンマイ」「モンダイ」と韻を踏んでいました。こういうどうでもいい感じの細部にまで「神」を宿らせているとこも本当に創作に対して誠実だと思うんです。

話逸れましたので戻しまして、平助です。1話からずっと礼拝堂の火事の原因は自分だと言いたいのに言えずに苦しんでいます。
「言えば救われるってもんじゃねえぞ」「ほんとのこと言って楽になるのは自分だけだろ」「自分が楽になるのも大切なことだよ」などという言葉が、平助の心を右に左に揺さぶります。
「ごめんね青春!」が食いつきにくいとしたら、主人公がずっと揺らいでいることなのかもしれません。毎回、毎回、言いかけては言えない、そのモヤモヤが、見ている人にはもどかしいのかな。でも、そこが魅力でもあると思うんですけど。おっと、けど、けど、使い過ぎるとドンマイ先生に注意されます。そう、平助は高校時代、ラブレターの文末に「けど」を使い過ぎていたというエピソードも出てきました。本人は行間を読ませたいという意図ですが、傍からは「けど、何?」と結論がはっきりしないのだとドンマイ先生は指摘します。
なんだか、ここ、宮藤さんが自分で自己批評していませんか? と深読みしてしまいました。
「けど」のあと「・・・」で、そこは想像でいいと思うんですけど・・・。ねえ? 
7話で、コスメが「頭に神、宿りました」と、お先にすっきりしているのを見て、なんとも言えない表情を浮かべる平助。その「・・・」の表情に、りさのように胸がきゅっと締め付けられましたよ。

もっとも、中井さんが引っ越すことを皆に黙ったままでいることと、火事の真相を告白することとは、事の大きさが違う気もしないではありません。まあ、モンダイの大小すら関係ないというか、他人から見たら簡単に大小差異がつけられることも、当人にはそうはいかないことはありますよね。

一平はさっさと不倫を解消して菩薩が見えなくなり、ドンマイ先生もカバさんのラジオで懺悔+感謝して、みんなすっきりしていくのに、平助だけがずっと「うしろめたさ」を抱え続け、ついに、お母さんがマリア様になって学校にまで現れます。神様的なものとは、人間の罪悪感の代替物なのだなと噛み砕いて教えてくれている気がしますし、平助は「怒り」だけでなくて、亡くなったお母さんへの思いも引きずっているのかもしれないなあ。
りさと出会って、怒りやお母さんへの思慕を解放することで、ようやく青春と決別できるのでしょうか。とにかく、早く平助が「ごめんね」して楽になってほしいです。(木俣 冬)