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80年代新宿、ディスコは行き場のない中高生の受け皿だった『新宿ディスコナイト 東亜会館グラフィティ』

2018年8月14日 09時45分 ライター情報:とみさわ昭仁
表紙をめくると、いきなり少年少女たちの笑顔が飛び込んでくる。誰もがパステルカラーの服に身を包み、ちょっとすまして両手でピースサイン。その指にはさまっているのは……煙草。コラ、未成年!

『新宿ディスコナイト 東亜会館グラフィティ』は、80年代の前半から後半にかけてのごく短い期間に、東亜会館を舞台にして巻き起こったディスコブームの記録である。著者は、本書の版元である東京キララ社の代表で、DJとしても活躍する中村保夫。自身も高校時代は東亜会館にあるディスコ「BIBA」を中心に、いくつものディスコで遊んでいたという。

本書に登場するのは、まだあどけなさの残る男の子と、女の子たち。初めは若き日の中村氏など高校生が大半だったが、85年あたりから一気に中学生が台頭して来たという。このあたり、ちょっとぼくは驚いてしまった。

中高生たちのためのダンスホール


不良とまでは言わないにせよ、ちょっとワルい高校生がディスコに出入りするのはわかる。でも、中学生が行くか? ディスコに? しかも歌舞伎町の!?

ぼくが中学生だった頃は、外で遊ぶよりも、家でプラモを作ったり、漫画を描いていたりするのが好きな少年だった。いまなら「オタク」と呼ばれてしまうタイプだろう。だから、自分からディスコに行くなんて、とても考えられない。高校生になっても、その感覚はそう変わらなかった。ぼくがディスコ的なものに足を踏み入れたのは、フリーライターになって編集者に連れられて行ったのが最初だ。

とはいえ、ここに書かれていることは嘘じゃない。中村氏ら高校生たちが連日連夜ディスコでダンスをし、チープな色のドリンクを飲み、ナンパした女の子とチークダンスを踊ったり、喧嘩をする。85年の終わりにはユーロビートが流行し始め、客層は一気に低年齢化して、中学生が中心になっていく。

ディスコ慣れしておらず、学生時代に小遣いの少なかったぼくなんかは「ディスコって中学生の小遣いじゃ入れてもらえなくない?」と思ったりするが、どうも割引券を駆使したり、親の財布を駆使したり、いろいろ方法はあったようだ。

当時の入場料は500円。中に入ればフリードリンク、フリーフードが当たり前だったという。メニューはナポリタン、やきそば、揚げシュウマイ、ピラフ、クリームシチューなどなど。たいしておいしいものではなかったそうだが、どうせタダだし、中学生ならそれでも大喜びだ。

東亜会館のディスコでは、皆かなり激しく踊っていたことがわかる。

ライター情報

とみさわ昭仁

1961年生まれ。ゲーム開発、映画評論、コレクター研究、古本屋店主、スカジャン制作、DJなど。神保町特殊古書店マニタ書房は、不定休で週のうち半分くらい営業。

URL:akihito tomisawa index

「80年代新宿、ディスコは行き場のない中高生の受け皿だった『新宿ディスコナイト 東亜会館グラフィティ』」のコメント一覧 3

  • 匿名さん 通報

    いい時代でした。(シミジミ

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  • 匿名さん 通報

    東亜会館がどこのどんなビルなのか書かれていないのだが、手抜きすぎなんじゃないだろうか?

    1
  • 匿名さん 通報

    アホみたいな時代。

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