5月15日公開の映画『廃用身』より、染谷将太演じる漆原院長が、患者の“廃用身”切断を説得する本編映像が解禁。併せて、菊地凛子・ひろゆき・堀江貴文ら総勢27名から寄せられたコメントも到着した。



【写真】衝撃的すぎる『廃用身』本編映像

 本作は、主人公である異人坂クリニックの院長・漆原糾(染谷将太)が、患者である高齢者の廃用身(麻痺などにより、回復見込みがない手足のこと)を切断することにより、切った本人の病気の改善や、介護者の負担軽減を見込み、どんどん施術にのめり込んでいく、「映像化、絶対不可能」と言われた小説の奇跡の映像化作品。監督と脚本を務めるのは『家族X』(10)、『三つの光』(17)の吉田光希。

 主演の染谷将太は、医療の限界を超えたいと力強く訴え、理想を追い求めるあまり、合理性と狂気の危ういはざまへと踏み込んでいく主人公の医師・漆原糾を演じる。

 共演には、老齢期医療に革命を起こす可能性を感じ取り、漆原に本の出版を持ちかける編集者・矢倉俊太郎を北村有起哉。両脚と左腕のまひに苦しめられ、漆原の〈画期的な治療〉で人生を取り戻した岩上武一に六平直政。漆原を支える妻の漆原菊子に瀧内公美。その他、廣末哲万、中村映里子、中井友望、吉岡睦雄らが脇を固める。

 この度解禁された本編映像は、息を潜めたように静まり返る異人坂クリニックの一室から始まる。患者・岩上(六平直政)の“廃用身”切断について語る漆原(染谷)に対し、「あの、私ちょっと怖いです。こんなこと言っていいのか分かんないですけど…」と、おずおずと不安を口にする看護師・内野(中井友望)。

 漆原は、まるでその感情を理解できないかのように、「何か怖いの?」と微かに笑みを浮かべながら応じる。「想像すると、何か恐ろしい気がしてしまって…」と言葉を絞り出す内野を前に、「これは、突拍子もない考え方だということは分かっています。
でも、輸血や臓器移植が初めて試された時はどうだったと思う?」と淡々と問いかけ、合理的な姿勢を崩さない。「これをやったらきっとよくなるっていう、医師としての勘のようなものがあるんです」と告げる漆原の眼差しには、躊躇(ちゅうちょ)など微塵も存在せず、ただ揺るぎない確信だけが冷たく宿っている。

 正気と狂気の境界は曖昧になり、“Aケア”という名の不可逆な選択が、静かに現実として迫ってくる。観る者すらも、その場に立たされ、説得されているかのような錯覚に陥る、逃れようのない圧迫感と、じわじわと内側を侵すような恐怖を感じられる映像となっている。

 さらに今回、一足先に作品を鑑賞した総勢27名よりコメントが到着。

 菊地凛子は「染谷将太史上最大の衝撃作」、ひろゆきは「『コスパの良い介護』で人を助けようとした医師は、誤解されたのか、悪魔だったのか?」、実業家の堀江貴文は「原作が書かれた20年前より現代の方がその現実味は大きい」、映画評論家の町山智浩は「ひとかけらの迷いもなく人間の体をコスパで語る医師は染谷将太の独壇場」とコメント。

 複数の映画監督からも熱量の高いコメントが。諏訪敦彦は「足元が崩れるような初めての感覚を味わう」、瀬々敬久は「善悪の彼岸を見据えようとしている」、樋口尚文は「これまでに観たこともない戦慄的な断面から『人間なるもの』の深淵をひんやりと凝視する!」、吉田恵輔は「この激ヤバ作品を作ろうと思った監督、製作陣は頭イカれてる!」と語っている。

 映画『廃用身』は、5月15日より全国公開。

※吉田恵輔の「吉」は「つちよし」が正式表記

コメント全文は以下の通り。

<コメント全文>

■東えりか(書評家・作家)

この作品が映像化されるのにはそれだけの時間がかかって当然だったと思います。出版当時は賛否両論でした。
でも今、“アリ”です。

体に障害を持つ人のQOL(Quality of Life)を国はこう定義している。「日常生活や社会生活のあり方を自らの意思で決定し、生活の目標や生活様式を選択できることであり、本人が身体的、精神的、社会的、文化的に満足できる豊かな生活」。『廃用身』という映画には、この言葉のすべてが詰まっている。胃の中にしばらく残る作品です。

■あんこ(映画大好き芸人)

観終わった後もずっっっとこの映画のことを考えてしまう、今年の余韻映画No.1!介護する側とされる側の闇に深く鋭いメスを入れる医療サスペンスだ。誰にでもいつか訪れるかもしれない介護。廃用身は、フィクションで現実ではありえない、と切っても切り離せないただならぬ治療ですよ。この治療、あり?なし?観る者全てを賛否の渦に巻き込む一本。

■市山尚三(東京国際映画祭プログラミング・ディレクター)

下手をするとグロテスクになりかねない題材に、あくまでも端正に立ち向かおうとする吉田光希の抑制された演出が素晴らしい。そしてその演出が端正であればあるほど、題材そのものが持つ恐ろしさがふつふつと浮かびあがってくる。

■氏家譲寿(ナマニク)

麻痺した手足の重さを、自分は知らない。
それを思い知らされた瞬間から、この映画の問いかけは他人事でなくなる。輸血も臓器移植も、最初は「あり得ない」と言われた歴史がある。「慣れていないだけで、珍しくはない」。反射的な拒絶の正体を、この映画は問い返してくる。

■内田樹(フランス文学者・思想家)

この映画の怖さは、四肢を切り捨てても『私』は残るという幻想に人々が取り憑かれていることである。身体を失っても残る『私』。文字列を見ただけで寒気がしてくる。怖い。

■宇野維正(映画ジャーナリスト)

永遠に続くかのような不穏で不快で不憫な時間、そこからの終盤の展開に背筋が凍った。染谷将太の新しい代表作が生まれた。

■菊地凛子(俳優)

染谷将太史上最大の衝撃作。

■ジャガモンド斉藤(映画紹介人/お笑いコンビ)

観たら最後。
一生忘れられない。歳を取れば取るほど、脳裏に焼きついたこの映画は濃くなり、いつかゆっくりと消えていくんだと思う。想像するだけで恐ろしい。

■SYO(物書き)

人体をシュリンクし最適化させたら、介護負担は軽減される。現場から出た合理的判断か、禁忌に触れる狂気の沙汰なのか…映画は答を提示しない。我々に問だけを植え付けて観察する。脳内に切除できない術式を施され、暫く立ち上がれなかった。以降の超高齢化社会への向き合い方が変わってしまう衝撃作。

■しんのすけ(映画感想TikTokクリエイター)

あまりにも面白すぎる。この治療法を自分の祖父に勧めるか?と考えた時点で僕は当事者の一人だった。人が人として誰のために生き、死んでいくのか、生かすのか。人としての権利や自由、全てを考えさせてくれた素晴らしい傑作!

■末廣末蔵(ジャンル映画大好きツイッタラー)

己の倫理と良心そして冷酷は絶え間なく揺さぶられ、物凄い衝撃、いや動揺にも近い感情を容赦なくあぶり出そうとする恐るべき呵責と加虐の物語。
切り捨てられる四肢は、時に苦痛であり、時に尊厳であり、時に好奇なのかも知れない。でも、それは誰も分からないし、教えてくれない。だから想像してみたい、自分の廃用身、愛する人の廃用身を。

必要と不必要の境界が曖昧にぼやけて、そして背筋が冷たくなる。自分の中にある、決して美しくはない、感情の黒さを思い知らされて。

■守鍬刈雄(映画独自解説家)

廃用身という言葉を初めて知った。実録物かと思うくらい妙にリアリティのある作品だった。超高齢化社会へと突入している日本に、Aケアは必要なのかも知れないが……。いずれ自分にも降りかかるであろう問題に、ホラーとは別の、とてつもない恐怖(希望)を感じた。自分の親には観てもらいたくない映画。

■諏訪敦彦(映画監督)

刃物のような演出で紡ぎ出される可能性としての世界。しかし、精緻に作り上げられるその虚構は、いつの間にか観客という私たちの安全な立場を奪ってゆく。
わたしは何を見ようとしているのか、何を見たいと願うのか?何を見たくないのか?次第に増殖してゆく問いに答えることなく、『廃用身』は私たちの視線をそのまま脳裏に送り返してくる。映画館を出て自分の脚で歩きながら、あなたはその足元が崩れるような初めての感覚を味わうのではないだろうか?

■瀬々敬久(映画監督)

この映画は優しい。善悪の彼岸を見据えようとしている。そのうえで生きることを肯定している。だからこそ、どんなことが起ころうと目を伏せることなく、見続けなければならないと思わせる。映画を信頼し、介護を含んだ多層な諸問題に立ち向かおうとしている。

ラストシークエンスの感動。カットの積み重ねだけで伝えようとしている清らかさ。光の美しさ。祈りのような意志。奇跡への信頼。世界の不思議への探求。それらが満ち溢れている。

■中井圭(映画解説者)

想起するのは、『PLAN 75』や『楢山節考』に通じる、要不要が人間の価値を決めていく社会のあり方。だが本作の怖さは、両作のような社会制度や共同体の掟に起因する部分以上に、医療と合理性の言葉が静かに人を追い詰めていくところにある。不要になったと見なされることの罪悪感を、当事者自身が受け入れ、肯定的に内面化してしまう。その価値観は、遠い未来のものではない。すでに我々の社会のなかに兆している。

■中条省平(フランス文学者・学習院大学名誉教授)

高齢化社会の実情に向きあって、医学者作家・久坂部羊の小説が提起した「療法」はあまりに衝撃的だった。しかし、吉田光希は、その問題提起を隙のない脚本に凝縮し、この上なくクールな画面に結晶させた。そして、映画のラストには、生命の神秘を感じさせる一陣の風が吹きぬける。

■人間食べ食べガエル(人喰いツイッタラー)

これまで目を背けてあまり考えないようにしてきた自身や家族の老後について、一気にイメージが付いて自分ごととして深く考え込んでしまった。将来待ち受ける問題の提起としてこれ以上のものは無いと思う。それほどに恐ろしい。後に引き摺りながら、一体どうすれば良かったのだろうかと考える。しかし、考えれば考えるほど泥沼にハマる気がする。

■樋口尚文(映画評論家・映画監督)

労働力の不足した超高齢化社会の到来に、AIのような合理的思考をもって応えようとする男がいる。一見行き届いたその合理性は、しかしAIではない人間というやっかいな生き物によって思わぬ事態を呼び寄せる――。長く新作が待たれた異才・吉田光希監督と、この難役に他のキャストは考えられない天才・染谷将太が組んで、これまでに観たこともない戦慄的な断面から「人間なるもの」の深淵をひんやりと凝視する!

■ひろゆき(実業家)

17世紀に輸血が始まった時には、重篤な副作用があったが、現在では世界中の病院で安全に利用されている。副作用があったとしても、改善を繰り返すことで人を救う技術になるものもある。「コスパの良い介護」で人を助けようとした医師は、誤解されたのか、悪魔だったのか?

■深爪(コラムニスト)

フィクションであることを忘れさせるほど、介護のリアルを容赦なく突きつける。物語は淡々と進んでいくが、その静けさが恐怖を際立たせていく。 “極端な選択”に揺れる患者と家族、そして医師の決断が観る者に答えを迫る。ラストの解釈は分かれるだろうが、私は最悪の結末を想像して背筋が凍った。強烈な余韻を残す問題作。

■堀江貴文(実業家)

理学療法士的には回復不能な麻痺の部位を「廃用身」と言う。介護が大変なので切ってしまえという「悪魔」的な発想を思いついた医師の自信と苦悩を描く。実際糖尿病で四肢を切断する患者は多く、その是非を問う映画にもなっている。原作が書かれた20年前より現代の方がその現実味は大きい。

■町山智浩(映画評論家)

ひとかけらの迷いもなく人間の体をコスパで語る医師は染谷将太の独壇場。廃用身を切り捨てるのを良しとする人は、すぐに高齢者そのものを廃用人とするだろう。誰もがいつかは高齢者になるのに。

■松崎健夫(映画評論家)

今作で「必要ない」とされるのは、身体の麻痺した部分だけを指しているのではない。<姥捨山>の風習を伝承した民話は、<老馬の智>を描いたものだった。ところが近代における棄老伝説は、平然と誰かを「必要ない」などと切り捨て、社会をシンプルにしてゆく効率主義を歓迎するような世相とも無縁ではなくなった。誰もがいつかは身体が衰える。そして、誰かに対して「必要ない」と発した言葉は、いつか必ず己に返ってくるだろう。

■真梨幸子(ミステリー作家)

もう見ていられなくて、何度も目を背けてしまった。手足を切断され、頸動脈から血が吹き出し。でも、この作品はホラーではない。リアルな社会を映し出した、医療ドラマだ。

似たようなことは、もうすでにはじまっている。「介護のために髪を切り、デリケートゾーンまで脱毛する」。今や、介護されやすい体に自分を最適化することは、マナーになってしまっている。そのうち、四肢を切断するのも常識になるかもしれない。それは正しいのか、間違っているのか。そんな問いを喉元に突きつける衝撃作だ。

■矢田部吉彦(前東京国際映画祭ディレクター)

主人公の医師の判断には説得力があると、見ている最中も、そして見終わった後でも、思ってしまうところがこの作品の真の恐ろしさだ。そして介護経験者には身悶えするようなリアリティがある一方で、どこか浮き世離れした舞台設定が息抜きも許してくれるという、風通しの良さも備えている。現実に食い込むフィクションの力を実感する怪作にして、傑作だ。

■吉田恵輔(映画監督)

今の時代を理解してます?この激ヤバ作品を作ろうと思った監督、製作陣は頭イカれてる!必要なくなった体の一部を切り捨てるとは、どこか現代の切り捨てる社会にも見えて痛く、むず痒い。他者への理解がいかに難しく、自分よがりなものか。あれ?今の時代に見るべき作品な気がしてきた。

■和田亜希子(見守りテックコーディネーター)

IT導入で親の介護負担を減らし、笑顔で向き合える関係作りを模索した経験から、本作の突きつける問いに激しく感情を揺さぶられました。冒頭の高齢女性が「体も心も軽くなった」と笑顔で語るシーンから、想像を絶する展開の連続に、エンドロール後もしばらく立ち上がれなかったほどです。3人に1人が高齢者となる時代、介護者としても高齢者予備軍としても誰もが他人事ではない衝撃作。ネタバレに触れないよう、早めの鑑賞をおすすめします。

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