さて最近また、「カノッサの屈辱」を彷彿とさせるような深夜番組が登場して一部で話題を呼んでいます。それがテレビ東京で昨年秋から放送されている「ジョージ・ポットマンの平成史」です。「カノッサ」がそうであったように、この番組でもまた、現代日本の流行や世相、社会現象に考察が加えられているのですが、その手法はかなりひねったものとなっています。
まず、イギリスCBBとテレビ東京の共同制作を謳い、ジョージ・ポットマンというイギリス・ヨークシャー州立大学教授をナビゲーターに、外国人の視点から現代日本が考察されているという点。ただし、CBBという放送局もヨークシャー州立大学もジョージ・ポットマンなる教授も実在はしません(「カノッサ」の仲谷昇教授というのが番組内だけの設定であったように)。その意味で、この番組はフェイクドキュメンタリーといえるかもしれません。あるいは、イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』やポール・ボネの『不思議の国ニッポン』シリーズなど、日本人がなぜか大好きな偽外国人による日本論の系譜に位置づけることもできそうです。
ただ、番組はその回ごとのテーマに沿って、本物の当事者や研究者から証言などをとっているところは、ドキュメンタリーとしてきわめて真っ当だといえます。ただ、そのとりあげられるテーマというのが、「スカートめくり」や「白ブリーフ」だったりするのはやや異色ですが。
たとえば、第1回放送の「スカートめくり」の回では、取材対象の一人としてフランス文学者で性文化に関する著作も多い明治大学教授の鹿島茂が登場します。鹿島教授は「スカートめくりを考えるには、まず下着の歴史というものを順を追っていかねばならない。そもそもごく最近まで日本の女性はパンツを穿いていなかった」と発言、これを受けて番組では日本女性とパンツをめぐる歴史がひもとかれます。
それによると、日本で初めてパンツ(当時はズロースといった)を穿いた女性は、津田塾大学の創設者である津田梅子(番組内では「田嶋陽子の出身校でもありながら合コンしたい女子大ランキング8位で、意外とかわいい子が多いといわれる日本の名門女子大学の創設者」とやけに詳細に紹介されています)であったといいます。しかし一般的にはまだパンツを穿かない女性の数のほうが圧倒的でした。
日本で女性がパンツを穿くようになったひとつの画期は、1932年に発生した日本初の高層建築火災である東京・日本橋の白木屋百貨店(現在、コレド日本橋のある場所)での火災でした。このとき、和装の女性たちが上階からロープなどをつたって屋外へ避難する際、野次馬の目を気にして着物の裾を手で押さえたため転落するという事故が多数起こったといいます。ここから新聞などを通じて、女性も下着をつけるよう推奨されることになりました。白木屋火災については、NHKの連続テレビ小説「カーネーション」でもとりあげられていたので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。もっとも、この火事で実際に女性の洋装化・パンツ着用が促進されたかというと、それほどでもなかったとの見方もあります(これについて詳細は井上章一『パンツが見える。』を参照)。
男性の側にも、終戦直後に詠まれた「つむじ風惜しいがみんな履いている」との川柳が示すように、パンツを穿く女性に対してけしからんという思いが残っていたようです。しかしそんな男性心理もやがて「パンツが見えてうれしい」といったものへとコペルニクス的転回をとげます。そこにはアメリカ映画『7年目の浮気』(1955年)での、マリリン・モンローの有名なパンチラシーンの影響も大きかったようです。いっぽうで、おしゃれでセクシーな下着が普及することにより、女性たちのあいだにはパンツを見られることへの羞恥心が生まれることになりました。かくて、「男性がパンチラの魅力を発見」「女性に下着を見られることの羞恥心が誕生」というスカートめくり誕生の必要条件がそろった、とジョージ・ポットマン教授は解説します。
そこへ登場したのが永井豪のギャグマンガ『ハレンチ学園』(1968~72年)でした。この作品のおかげで、あくまで受動的な楽しみであったパンチラが、能動的な「スカートめくり」へと進展することとなったのです。じつはこの流行には、「ジョージ・ポットマン」を放送するテレビ東京も一枚かんでいました。というのも、同局の前身である東京12チャンネルは「ハレンチ学園」の実写版ドラマを放映、高い視聴率を記録していたからです。番組内では、テレビ東京においてスポーツ中継を除けば「ハレンチ学園」がいまだに歴代最高視聴率番組(28.4%)だという事実が、やや自虐的にとりあげられていました。
そんなふうに日本全国で加熱したスカートめくりのブームも、平成に入ると女性のあいだでいわゆる「見せパンツ」の流行するなど、パンツを見られることの羞恥心が薄れていったこともあり衰退していきます。他方で、男性の側にもスカートめくりをゲームやスマートホンのアプリといったあくまでバーチャルな世界で楽しもうという動きが見られます。
ちなみに、この音楽およびオープニングに表示される「テレビ誕生100周年記念番組」「テレビ東京・イギリスCBS共同製作」というキャッチは、まんま1995年にNHKスペシャルで放映されたシリーズ「映像の世紀」(NHKの放送開始70周年を記念して、ABCとの日米共同取材により制作された)のパロディとなっています。ついでにいえば、前出の「カノッサの屈辱」もまた、NHKの大型ドキュメンタリーシリーズである「未来への遺産」(1974年)を徹底的にパロディにしたものであったと、後年、「カノッサ」の構成を務めた放送作家の小山薫堂が明かしていました(「スタジオボイス」1993年9月号)。
「カノッサの屈辱」と「ジョージ・ポットマンの平成史」は、いままさに起こっている様々な現象を、一種の偽史として語るか外国人の視点を装うかという手法の違いこそあれ、客観的にとらえようというスタンスで共通します。流行現象の本質というのは、こうでもしなければつかめないものなのかもしれません。
「ジョージ・ポットマンの平成史」が面白いのはもう一つ、どこまでが事実で、どこまでがフィクションなのかにわかには判別しにくいところです(エンドタイトルにも「ごく一部の設定はフィクションです」とのテロップが表示されています)。このあたりは、さほどたいしたことではないはずの事象を、さも現代の大問題のようにとりあげ、バラエティとも報道ともどっちともつかない切り口でまとめてみせる最近のテレビ界の風潮に対する痛烈な批評にもなっているのではないでしょうか。
余談ながら、わたしの住む中京地区でも、テレ東のネット局であるテレビ愛知でこの年明けより約3カ月遅れで同番組の放送が始まり喜んでいたのも束の間、「スカートめくり」「白ブリーフ」「ファミコン」の3回分が放映されただけで打ち切られてしまいました。おかげで、ツイッターなどでほかの地方の人たちが同番組を見ながら盛り上がっているのを目にするたび(去る1月21日放送の「ラーメン屋右傾化史」と題する回では、以前エキレビ!でも紹介した『ラーメンと愛国』の著者・速水健朗さんも出演されていたようですね)、非常にくやしい思いをしています。
深夜番組でも著名なタレントの出演する番組が増えるなかにあって、純粋にテーマや切り口だけで勝負している「ジョージ・ポットマン」のような番組は貴重です。