
一休さん(一休宗純)は室町時代に実在した臨済宗の禅僧ではあるが、日本の子供たちにはむしろ、とんち咄およびそれをもとにした往年のテレビアニメ「一休さん」などを通じて、とんち小僧として親しまれてきた。しかし今回の番組は、その公式サイトに《実在の一休さんはとんでもないお坊さんだった!リアル一休さんの破天荒エピソードを、史実を基にアニメ化》とあるように、とんち小僧のイメージを打ち破ろうという意図がうかがえる。
「新右衛門さん」は実在した
テレビの世界ではここしばらく、「アニメキャラや昔話の登場人物が大人になったら」という設定のCMやアニメが目立つが、「オトナの一休さん」もその流れに位置づけていいと思う。冒頭からして、アニメ「一休さん」のオープニングを彷彿とさせる「一休さーん」という女の子の掛け声から始まる。しかしそう呼ばれて現れるのは、まつげの長いクリクリ坊主ではなく、むさ苦しいひげ面とボサボサ髪の老僧。この老僧こそ一休宗純その人である。
お話じたいもパンチが効いている。第一則では、弟子たちが読経しているところへ一休が経文にホカホカの糞を乗せて登場する。かと思えば、第二則では涙を流しながら読経をする一休。だが、それはかわいがっていたスズメの葬式で、一休はそのためにちゃんとした棺まであつらえていた。いずれも奇行といえるが、そこには一休ならではの考えが込められていた……というのがこの番組のキモである。
今回のアニメで一休の声を当てているのは板尾創路。板尾といえば、食堂でエビフライ定食を頼んでおきながら、肝心のエビフライを食べ残したという話が伝えられるなど、どこか変わった人というイメージがある。
このほか、兄弟子を尾美としのり、蜷川新右衛門を山崎樹範がそれぞれ演じている。何と、アニメ「一休さん」に出てきたさむらいの新右衛門さんは実在の人物だったのだ。もっとも一休とのつきあいは子供のときではなく、かなりあとになってからのことらしい。
蜷川新右衛門親当(ちかまさ)は、足利氏に代々仕える家柄に生まれ、室町幕府六代将軍・足利義教(よしのり)のもとで右衛門少尉という役職にあったが、1441年の義教暗殺(嘉吉の乱)ののち出家したといわれる。これと前後して禅宗に帰依し、「智薀(ちうん)」という法名と「五岑(ごしん)」という道号を禅僧から授けられた。彼はまた連歌師でもあり、一休とは歌の形で禅問答を交わした『道歌問答』を残している。一休はある年の正月に、ドクロを竹に掛けて京の町々を歩いたという話があり、「門松は冥途の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」とセットで伝えられる。この歌に対して『道歌問答』には「馬かごもなく泊り屋もなし」と下の句違いの歌が見られる。
蜷川親当には生年はじめ不明な点も多く、その名を「新左衛門」とする説もある。アニメ「一休さん」では一休より年上だった新右衛門さんが、「オトナの一休さん」では年下のように描かれているのも生年がはっきりしないためだ。ただし亡くなった年は1448年と断定される。
「一休」という名前のとんち小僧はいなかった
「オトナの一休さん」の第三則では、一休の思春期のエピソードとして、周囲の若い僧侶たちが、やれ自分は源氏の出だ、藤原氏の血筋だなどと出自自慢をするのを見かねて、その思いを詩に込めて訴えるという話が出てくる。
じつは当の一休は、貴族の出身どころか後小松天皇のご落胤とする説がある。一休が生まれたのは1394年のこと。そのつい2年前には、それまで約60年間にわたって吉野(奈良県)と京都と南北に分かれて対立してきた二つの朝廷(南朝と北朝)が和議したばかりだった。後小松天皇は北朝の天皇だったが、一休の生母は南朝に仕えていた貴族の娘であり、それゆえ反逆の企図を皇后に疑われたがために、宮中を追われ、民家で一休を生んだと伝えられる。
一休の幼名は千菊丸といい、6歳にして安国寺に入門すると「周健」の名が与えられた。さらに17歳のとき西金寺(さいこんじ)の謙翁の弟子となると「宗純」と名づけられる。道号である「一休」は、このあと禅興庵(祥瑞寺)の華叟宗曇(かそうそうどん)の弟子となり、師から与えられた公案を解いた際に授けられたものだ。このとき一休は25歳になっていた。したがって、とんち咄のなかで小僧時代の一休がその名前で呼ばれているのは、史実からするとありえないことになる。
アナーキーな時代ゆえの奇行
「オトナの一休さん」では一休の老年期と思春期のエピソードがとりあげられていた。気になるのは、老年期にいたるまでにどんなふうに一休は修行を積み、悟りを得たのかということだ。
『あっかんべェ一休』にはフィクションの部分も少なくはないが、全編にわたり多くの資料を参考にしながら、一休の生涯をきわめてリアルに描き出している。たとえば、作中に出てくる室町幕府三代将軍・足利義満とのとんち合戦は、アニメ「一休さん」でもおなじみだが、これはフィクションだろう。しかし坂口尚は、ここで前出のご落胤説を踏まえつつ、義満が一休を招いた真意には「いつかこの子が南朝の志を継ぐのではないか」との疑いがあったものとして、物語に説得力を持たせている。
義満の登場シーンのみならず、本作ではその背景となる時代(室町時代中期)の描写がじつに克明だ。幕府内の権力抗争がたびたび戦乱へと発展し、大勢の人々が命を落とす。農民などの一揆もあいつぎ、やがて下の者が上層の者から実権を奪う下克上の世が訪れる。こうした大乱の時代にあって、僧侶たちのなかには権力者に近づいたり、信者から布施をせしめたりと富と権勢をほしいままにする者もあった。一休の数々の奇行、また女性との交わりや飲酒などの破戒は、そうした腐敗した仏教界への抵抗でもあった。
「オトナの一休さん」では、あくまで現代にも通じる一休の思想を紹介するのを主眼に置いているのだろうし、また5分という短さもあってか、さすがに時代背景にまでは深く言及されていない。だが、調べていくと一種のアナーキーな時代だったからこそ、一休という異能の僧侶が生まれたようにも思える。
なお、一休の生きた室町時代については近年、早島大祐の『室町幕府論』(講談社選書メチエ)、『足軽の誕生』(朝日新聞出版)、清水克行の『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(ノンフィクション作家の高野秀行との共著。集英社インターナショナル)など、気鋭の歴史学者による一般向けの好著があいついで出ている。とりわけ『世界の辺境とハードボイルド室町時代』は、現代の国際情勢との共通点から室町時代をとらえ直すという異色作だ。ひょっとすると、いま政情不安にある地域にも、一休のような人物が存在したりするのだろうか。
(近藤正高)