Amazonプライムビデオなどでも配信中の、『セントールの悩み』。
Aパートが始まった時、初見の人は説明の無さに大困惑。

なんせこちらの常識の範囲内の「人間」が1人も出てこない。
「人外もの?」「亜人もの?」という声が今も多く上がり続けている。
違う。
登場するのは、全員人間だ。
アニメ「セントールの悩み」は「人外もの?」「亜人もの?」いいえ人間ものなのです
『セントールの悩み』公式HPより。右から竜人型、人馬型、角人型。

「学園コメディ」に見せかけた「ガチSF」。
一話ではそれを、変に重くせずしれっと「日常系アニメ」の文法で描いて来たから、すごい。

彼女たちの「普通」


出て来るキャラクターは、身体が馬だったり角が生えていたり羽根が生えていたり。
学校や町の作りは、それぞれの形態が困らないように、さらりとバリアフリー化。
人馬型のヒロイン・君原姫乃のイスは独特の形をしており、体格の大きな彼女が歩く際楽に通れる用に整備されている。
現実社会の車椅子問題を、完全にクリアした世界だと考えるとわかりやすいかも。

こういう状態を、変に特別視せずフラットに描くのは、難しい。何かしら「大変だね」的な話になりがちだ。
彼女たちは平等な環境で、何も悩まずに幸せに暮らしている。
種族のあり方で困ることや、いじめられることは、無い。そこを気兼ねするほうが、この世界では「おかしなこと」だ。

登場人物は皆人類


Bパートで一気に世界観が明かされる。

この手の作品の言葉の使い方は、デリケートだ。
『モンスター娘のいる日常』では「人間」がマジョリティの世界で、違う生態で過ごしている存在は「モンスター」いわゆる「人外」。人間ではない異種族をいかに社会が受け入れるかを描いている。

『亜人ちゃんは語りたい』で使われる「亜人」は、元は人間であり、突然変異的にちょっと特異な状態(冷気が出る雪女など)になった存在のことを指す。人間の亜種、という考え方。いじめなどもあるが、社会的に法整備が行われている真っ最中。

『ヒトミ先生の保健室』は単眼をはじめ「人とは違う」キャラクターがたくさんでてくる。それは悩みでありつつも「個性」としてまとめられている。視点を変えてポジティブに見ると『僕のヒーローアカデミア』に近い。

『セントールの悩み』には、四肢類人猿から進化したホモサピエンスが出てこない。

並行して4種類以上の進化ルートをたどっており、全員が「人類」。苦難の歴史の末、社会が整えられたあとの世界だ。

学校の平等な空間とディストピア


Twitterでは「ディストピア」という声が多く上がっていた。
比較的優しい空気に包まれているものの、世界観はどうも不穏だ。

教員の言うセリフ「平等は時に、人権や生命より尊い」
形態的平等を保てないが故に、虐待・虐殺・戦争を人類は歴史の中で経験してきた。
だから、絶対的に「平等」を守らねばならない!という主張。
わかるけど「生命より」って、極論じゃない?

姫乃の友達の角人・名楽羌子(きょうこ)の発言。
「形態差別で思想矯正所行きになるよ」
「こんなことしゃべってるのも違法」
形態の差別(人種ではない)は、国によって厳罰を受ける……ってか洗脳だ。
表現上の自由も、時に危険思想扱い。

姫乃が背中に羌子を乗せようとした時、それが自分の意思であってもNGであることが明かされている。
今までの歴史で人馬型に乗るのは、人権を奪う行為だったからだ。

現実のヨーロッパでは、ナチス政権を連想させないように、挙手の代わりに人差し指を立てる習慣があるのを考えれば、なんとなくは理解できる。
想起させること自体が、まずいのだろう。

どこまで社会規範と凄惨な歴史が描かれるのか。はたまたそれを一切描かずに、姫乃たちの楽しい日常を描くのか。
少なくとも、かなり丁寧に、説明なしにバリアフリー描写を突っ込んでいくようなので、背景や小物はしっかり見ておきたい。今回は信号に人間マークが無いことに、感心させられた。

OP曲のタイトルは「教えてダーウィン」。
いやいや、この世界にはダーウィン関係ないだろ!
このくらい軽いテイストを目指しているのかな?
そもそも、姫乃が人馬であることに「萌え」てもいいように、このアニメは作られている。

(たまごまご)
編集部おすすめ