大槻ケンヂは、文庫化された『サブカルで食う 就職せず好きなことだけやって生きていく方法』で書いている。

いやいやオーケン、ぼくぁあなたが歌った、アンテナ売りが屋根から落ちて脳髄ぶちまける歌にシビレてサブカルゾーンに飛び込んだんだよ、丸くなりすぎでしょ……と若い頃なら言ったかもしれないけれども、中年の今はしみじみよくわかる。
犯罪、自傷、オカルト、性、ドラッグなどの闇話。とてもドロップアウト少年少女には魅力的だし、そここそがサブカル、みたいな捉えられ方は世の中一般にある。
暗闇部分には、人と異なる伸びしろがあるように見えるからだ、と大槻ケンヂは言う。
大槻ケンヂは、サブカル(「サブカルチャー」ではない、もっとゆるい趣味的で曖昧なもの)な人生を送ってきた人間。
海外でマジックマッシュルームが入ったオムレツを食べて強烈なバッドトリップを体験して以来、飛行機に一切乗れなくなるという後遺症が残り、重度の鬱に苦しめられたことがある。
鬱中はUFOにハマりこんだものの、あんまりにも浸かりすぎて医者から「禁UFO」礼を出されている。その時の苦しみの様子は、不安神経症に襲われている真っ最中だった時期に書いた『オーケンののほほん日記』で読むことができる。
「踏み込まなかった自分をヘタレだと思う必要は全然ないですよ。サブカルなんだから、そういうのを一度経験しておかなきゃいけないなんてことは絶対にないです」
『サブカルで食う』は、自分の今までのインディーズバンドや物書きといった、ちょっと人と違う仕事の経験を踏まえながら、何もできなくて悩む人に向けて書いたエッセイ+生き方指南書。
主に、どうやったらメンタルを保てるのか、仕事になるのかの2点に軸を書かれている。
まずメンタルを守れ
人間には、衝動がある。見せたい、承認されたい。その思いをどう維持するか。
作中では「自分学校」の話をあげている。
自分で自分に課題を課して「数学ができないけど映画は山ほど観ている」「本はこれだけ読んだ」とプライドを築いていくというもの。
苦行だ。
ぶっちゃけ役に立たないものの方が多い。
でも、満足はできるし、プライドを作ることができる。
またプロのお客さんにはなるなとも書いている。
自分学校の中である程度育ってくると、観たことをツイートして満足してしまう。
提供物を受容する「お客さん」は大事だ。
けれどももし「サブカルな人」になりたかったら、稚拙であろうと何かカタチとして表現することこそが第一歩だと何度も書いている。
この点を踏まえた上で「自分に関することはネットで一字一句検索しない」ように、と書く。
「本音は大抵、ただ単に褒められたいだけですよね。自分の評判は、いいのも悪いのも見ないに限りますよ。」
何者かになれなかったらいつの間にか40歳になる
彼はサブカルを仕事にする人生について「「やめ時」は3回まで」と書く。
時間が自由にできるということは、決まった仕事をするよりもハードな縛り、「牢獄」と化すと彼は言う。
だからまあ、失敗しても3回くらいは自分を許してあげてもいい。あとはやめちゃったほうが楽かもよ、という考え方だ。
彼は「何者かになりたい」と思ってやめられなかった人はいつの間にか40歳になる、と書く。
それに対し「それでもう今のまんまでずっと生きてっちゃっていいんじゃない?」とも書く。
好きなことを継続できているというのは、それだけで立派なものだ。
「表現を続けてたからって、死んだとか餓死したなんていうことは……僕の周りでは2〜3件くらいしか知らないですもん」
うーんやっぱり厳しい。
2018年も、サブカルは計画的に。
(たまごまご)