表紙をめくると、いきなり少年少女たちの笑顔が飛び込んでくる。誰もがパステルカラーの服に身を包み、ちょっとすまして両手でピースサイン。
その指にはさまっているのは……煙草。コラ、未成年!

『新宿ディスコナイト 東亜会館グラフィティ』は、80年代の前半から後半にかけてのごく短い期間に、東亜会館を舞台にして巻き起こったディスコブームの記録である。著者は、本書の版元である東京キララ社の代表で、DJとしても活躍する中村保夫。自身も高校時代は東亜会館にあるディスコ「BIBA」を中心に、いくつものディスコで遊んでいたという。
80年代新宿、ディスコは行き場のない中高生の受け皿だった『新宿ディスコナイト 東亜会館グラフィティ』

本書に登場するのは、まだあどけなさの残る男の子と、女の子たち。初めは若き日の中村氏など高校生が大半だったが、85年あたりから一気に中学生が台頭して来たという。このあたり、ちょっとぼくは驚いてしまった。

中高生たちのためのダンスホール


不良とまでは言わないにせよ、ちょっとワルい高校生がディスコに出入りするのはわかる。でも、中学生が行くか? ディスコに? しかも歌舞伎町の!?

ぼくが中学生だった頃は、外で遊ぶよりも、家でプラモを作ったり、漫画を描いていたりするのが好きな少年だった。いまなら「オタク」と呼ばれてしまうタイプだろう。だから、自分からディスコに行くなんて、とても考えられない。高校生になっても、その感覚はそう変わらなかった。ぼくがディスコ的なものに足を踏み入れたのは、フリーライターになって編集者に連れられて行ったのが最初だ。


とはいえ、ここに書かれていることは嘘じゃない。中村氏ら高校生たちが連日連夜ディスコでダンスをし、チープな色のドリンクを飲み、ナンパした女の子とチークダンスを踊ったり、喧嘩をする。85年の終わりにはユーロビートが流行し始め、客層は一気に低年齢化して、中学生が中心になっていく。

ディスコ慣れしておらず、学生時代に小遣いの少なかったぼくなんかは「ディスコって中学生の小遣いじゃ入れてもらえなくない?」と思ったりするが、どうも割引券を駆使したり、親の財布を駆使したり、いろいろ方法はあったようだ。

当時の入場料は500円。中に入ればフリードリンク、フリーフードが当たり前だったという。メニューはナポリタン、やきそば、揚げシュウマイ、ピラフ、クリームシチューなどなど。たいしておいしいものではなかったそうだが、どうせタダだし、中学生ならそれでも大喜びだ。

東亜会館のディスコでは、皆かなり激しく踊っていたことがわかる。バンプというスタイルで、男同士がペアになり、「お互いに立ったりしゃがんだり回転したりエビゾッたりと、どこまでもアクロバティックにできるかを競うような激しいダンス」だったという。『君の瞳に恋してる』がかかると、小さなジェンカの列がフロアの随所に発生し、やがてそれぞれがつながっていき、数百人からなる巨大な龍になってフロアを行進する。若さの爆発を感じさせる。


見せ場はダンスだけじゃない。店でかかる曲を隅々まで覚えているので、曲の展開に合わせていろいろジェスチャーを入れる。銃声が鳴れば撃たれるマネをしたり、笑い声が入るときには口に手を当て笑う仕草をしてみせる。楽器を演奏するマネも欠かさない。

誰にだって思い出のグラフィティがある


読んでいて、こればただ単に80年代ディスコ文化のノスタルジーを記録しただけのものではなく、居場所のない誰かのための“場”の本なのだと感じた。いつの時代にもどこかにあった、誰かにとっての救いの場。

〈当時、堂々とディスコに行けるような中高生は、少し荒れた家庭の子も多く、家や学校に居場所がなくて、東亜会館がその受け皿になっていたという一面もある〉(P.43)

中学高校時代のぼくは、あまり社交的でなかったので大勢が集まる場は苦手だったが、本が好きな友達と神保町に行けば時間を忘れた。ぼくからすれば、不良の子たちはリアルが充実しているように見えたけれど、彼らには彼らなりの悩みがあって、その感情を預けられる場所をどこかに持っていたに違いない。

アニメや特撮が好きな人たちにコミケがあるように。音楽が好きな人たちに夏フェスがあるように。どんな人にでも、他人には侵されたくない居場所と、その思い出のグラフィティがあるはずだ。
(とみさわ昭仁)
編集部おすすめ