長谷川雅紀が40歳、渡辺隆が30歳目前でコンビを解散して、お互いにピン芸人活動を経て、2012年に渡辺の誘いで成した錦鯉。“おじさん2人” の波乱の人生が赤裸々に描かれている初の自叙伝『くすぶり中年の逆襲』(新潮社)も現在絶賛発売中だ。
錦鯉結成まで、お互いにボケだった2人が、どのように役割分担をして、今のスタイルを作り出したのか。ボケの長谷川が、その過程を語る。(前中後編の後編)

【前編はこちら】錦鯉・長谷川雅紀が語る全く売れなかった暗黒時代「思わず涙した、お母さんの納豆おにぎり」

【中編はこちら】錦鯉・長谷川が語るくすぶっても腐らない秘訣「辞めようと思ったことは何度もある」

【写真】40代後半でブレイクしたくすぶり中年・錦鯉の撮り下ろしカット【6点】

――もともと同じSMA所属ということで、コンビ結成前から渡辺隆さんとは面識があったそうですが、当時はどんな印象でしたか?

長谷川 僕が「マッサジル」というコンビでSMAに入った頃、隆は「桜前線」というコンビを組んでいました。月1回あるSMAの事務所ライブはお客さん投票で6段階ぐらいのクラスが上がったり下がったりするピラミッド形式だったんですけど、桜前線は常に上位で、一番上のクラスで1位を獲ることもありました。僕らはと言うと、あまりよろしくなくて、毎回1つずつクラスが落ちていくみたいな。

一番下までいったときは、才能ないんだな、辞めようと思ったこともあります。それとは対照的に、桜前線は成績が良かったので、純粋にすごいなと思っていました。ただ事務所ライブのレベルではウケていましたけど、テレビのオーディションやコンテストなどでは、そこまで成績を残せていなくて。それでも狭いムラの中で差を感じていました。

――プライベートでも交流はあったんですか?

長谷川 二人でどこかに行くということはなかったんですけど、ハリウッドザコシショウのもとに、バイきんぐや桜前線がいて、その中に僕らも入れてもらえていたんです。なので芸事以外にも、プライベートでみんなで飲みに行くこともありました。

――年下の芸人が自分たちよりも人気があったり、結果を残したりで、嫉妬や焦りはなかったんですか?

長谷川 それは感じなかったです。
性格なんでしょうね。ちょっとのんびり屋さん的なところがあって、それが良いのか悪いのかは分からないですけど……まあ本当は悪いんでしょうけどね。だから後輩のほうが売れたり、同期が自分たちより人気があったりしても、悔しいとか、恨めしいみたいな気持ちが、あまり湧かないんです。

――若手時代からですか?

長谷川 そうです。もともと僕は札幌で活動をしていて、タカアンドトシがほぼ同期なんですけど、タカトシがテレビにバンバン出るようになって、「M-1グランプリ」(テレビ朝日系)や「爆笑オンエアバトル」(NHK)で結果を出していたときも、素直に「すごいな」「おめでとう」という気持ちで、そこで「なにくそ!」って思わないところが、自分でもダメだなと思います。そういう野心がなかったのが、今のような状況を引き延ばした結果でもあるのかなと。

――そういう穏やかな性格だからこそ、後輩も接しやすい側面もあるのではないでしょうか。

長谷川 それはありますね。ただ悪い意味で言えば、舐められたり、いじられたりするところもありました。

――先輩だけじゃなく後輩にもいじられて、おいしい部分もありますよね。

長谷川 そうですそうです。僕は全然平気なタイプなので、それで笑いになったほうがやりやすいです。


――隆さんからの誘いで錦鯉を結成したそうですが、すぐに長谷川さんは答えを出したんですか?

長谷川 即答でした。いきなり居酒屋に呼び出されて、それまで数人で遊びに行ったことはあったんですけど、二人きりで会うのは初めてで。電話がきた時点で、隆も解散していますから、そういう話かなと思ったんです。それで居酒屋に行ったら案の定、「コンビを組まないか」という話で、普通だったら「考えさせてくれ」とか「どういう方向性で行こうと思っているの?」とかなるじゃないですか。でも僕は、すぐに面白そうだなと思ったんです。

――何か確信があったんですか?

長谷川 二人が対照的だからです。僕はよくしゃべるし明るい性格なんですけど、向こうはドンと構えておしゃべりではない。それでいいねってことで軽いノリで決めちゃったんです。そのまま朝まで居酒屋にいましたけど、「天下を獲ろう」とか「コンテストで優勝しよう」とか、お笑いの熱い話は一切せずに、ひたすら二人とも大好きな『北の国から』の話で盛り上がっていました

――実際に組んで、すぐに結果は出せたんですか?

長谷川 すぐにライブに出ましたけど、最初は反応もなかったし、ちょうど「M-1グランプリ」がやっていなかった時期だったので、「THE MANZAI(フジテレビ系)」に出ていたんですけど、1回戦や2回戦で落ちていました。ただ事務所ライブでは面白いねと言われていたんですよ。とは言っても、知っている奴同士が二人揃って何かを始めたから、ご祝儀で面白がってくれているみたいなレベルだったと思うんですけど。

――結成当時、ネタのことでぶつかり合うことはありましたか?

長谷川 多少はあったと思います。
僕もこうしたいみたいなことは言いましたし、隆も望んでいるものとのズレがあったと思うし。でも大きくぶつかり合うことはなかったですね。

――二人ともいい年齢ですからね。

長谷川 それは大きいと思います。隆は2回解散しているし、僕も同じ相方ではありますが実質2回解散をして、お互いにいい年齢。そういう意味で、相手を受け入れる幅が大きかったと思います。

――お笑いの方向性で違和感を抱くこともなかったんですか?

長谷川 そこまで方向性が違うなというのはなかったです。ただ、前のコンビで隆の役割はボケだったから、錦鯉で初めてツッコミをやって大変さはあったと思うんです。でも、もともと隆の気質はツッコミっぽいんですよ。それに結成当時、隆がよく言ってたのは、「ボケとかツッコミとかって、ちゃんと決めなくてもいいんだ」と。だから隆もツッコミと言いながらも、ボケの要素があるというか、それで笑いを取ることもあって、「型にハマらないように」みたいなことも言ってましたね。

――ネタ作りのイニシアティブはどうなんですか?

長谷川 お互いに前のコンビでネタ作りを担当していたので、それぞれ紙に書いて台本を作って、それを見せ合って、こうしたらいいんじゃないみたいな流れで作っていました。
最初はABって役割を台本に書いていたんですけど、だんだん箇条書きになっていって、そのうち箇条書きもなくなって、言葉のやり取りみたいに自然と変化していきました。最近は二人で会って、こういう設定はどうって提案したら、じゃあこうしようって感じでお互いに意見を出し合い、ゼロから話を作るスタイルになりました。

▽錦鯉の自叙伝『くすぶり中年の逆襲』が新潮社より発売中
1,430円(税込)
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