平成を代表するユースカルチャーである「渋谷系」は、独自の視点を持ったキャラクター性がムーブメントの源泉。定義は数多くありますが、フリッパーズ・ギターのファーストアルバム『海へ行くつもりじゃなかった』は、渋谷系の曙として語られることの多い作品です。
彼らは3枚のオリジナルアルバムをリリースしましたが、そのサウンドプロデュースを務めたのが吉田仁さんです。

ニューウェイヴ・ユニット「サロン・ミュージック」のメンバーとして活動している吉田さん。音楽的な知識を幅広く持ち、フリッパーズ・ギターのサウンドを磨き上げた吉田さんの功績なくして、今日までの小山田圭吾さん、小沢健二さんの活躍はなかったかもしれません。そんな吉田さんと2人の出会いは、フリッパーズ・ギターの前身であるロリポップ・ソニックの頃に遡ります。『ケトルVOL.48』で、吉田さんはこう振り返っています。

「彼らと最初に出会ったのは、僕じゃなくて(サロン・ミュージックの)相方の竹中仁見だったんですよ。
六本木のライブハウスで彼女がラジオの公開放送をしていたところ、ロリポップ・ソニックのメンバーだった井上由紀子さんがやって来て、『大ファンです。良かったらライブを観に来てください』ってカセットテープと手紙を渡されたんです。それを聴いてすごく気に入ったので、竹中と原宿にあるクロコダイルというライブハウスに行ったのが知り合うきっかけになりました」

その日のライブには、ロリポップ・ソニックのほかにオリジナル・ラブの姿もあったとか。そして、若いのに80年代初期ネオアコ的な音を鳴らしている彼らの姿に吉田さんは衝撃を受けたそうです。

「それで、彼らにもらったカセットテープをサロン・ミュージックのマネージャーに渡しておいたんですよ。そしたらいろんな人にロリポップ・ソニックのことを紹介するようになって。
最終的にポリスターレコードの牧村憲一さんが気に入ってくれて、アルバムのリリースが決まりました。それでサウンドプロデュースの依頼があったんです」

たった3枚ながら幅広い音楽性を示したフリッパーズ・ギター。その核となるものは、2人の声だったと吉田さんは説明しています。

「どんなサウンドにしても、2人の声が入ることでフリッパーズ・ギターの楽曲になると思っていました。バックトラックを録っても、それだけだと良いのか悪いのかの判断がつかないんですよ。だから、使えそうなテイクが2つあったとしたら、2人の声を入れてからどちらを使うのかを決めていましたね」

ちなみに、吉田さんはフリッパーズ・ギターの他に、ヴィーナス・ペーターやブリッジといった渋谷系に括られるバンドのプロデュースも務めていました。
その中でもフリッパーズ・ギターの2人は何が特別だったのでしょうか。

「時代の空気をうまく掴む力ですかね。正直な話をすると、ミュージシャンって基本はみんな一緒なんですよ。バンドに1人は小山田くんや小沢くんみたいな音楽的蓄積がすごくある人がいるんです。その中で何が異なるのかというと“選択”なんです。音楽以外でも何を選んで、何を選ばないか。
周りのミュージシャンにとっても、フリッパーズ・ギターの2人が選んだものの影響力が大きかったのが、彼らの特別感に繋がっているのだと思います」

周囲が影響を受けるとは、これぞまさにカリスマ。しかもそんな人物が2人もいたのですから、フリッパーズ・ギターはやはり特別なバンドだったようです。

◆ケトルVOL.48(2019年4月16日発売)