濵口遥大インタビュー(前編)
止まっていた時計が音もなく動き出す。
「お久しぶりです。
以前と変わらぬ、艶のある声の響き。そこにはすっきりとした表情の濵口遥大が笑みを浮かべて立っていた。
【歓迎されるとは思ってなかった】
ふと、あの日の光景が脳裏によみがえる。
2024年11月3日、横浜DeNAベイスターズ対福岡ソフトバンクホークスの日本シリーズ第6戦(横浜スタジアム)。3勝2敗で日本一にリーチをかけたDeNAは、先発の大貫晋一に代わり、4対2と2点リードした5回に濵口がマウンドへ上がった。
濵口は気持ちのこもった投球で三者凡退に切ってとると、マウンドを降りる際、「まだまだこれからだ!」と、言わんばかりに荒ぶる表情で両腕を跳ね上げた。選手の行動として珍しいものだったが、ファンのボルテージは一気に高まった。
その裏の攻撃で一挙7得点。チームは26年ぶりの日本一へ邁進することになるのだが、あの時の濵口の魂のこもった投球とパフォーマンスが、チームに火をつけたと思えてならない。
あの日本一達成から約1年半、濵口はトレード、戦力外を経験し、横浜に帰ってきた。この4月からDeNAのベースボールスクールのコーチに就任し、子どもたちに指導している。
「横浜に戻ることになって、最初は何ていうのか歓迎されるとは思ってなかったんですけど、全然そんなことなくて、いろいろな人から、それこそ初めて会う方からも『お疲れ様でした。これからよろしくお願いします』と、言っていただいてうれしかったですね」
古巣は落ち着くんじゃないですか、と尋ねると「ですね」と顔をほころばせた。
【野球から距離を取ろうと思っていた】
昨年の11月、9年間の現役生活を終え引退。その経緯についてはのちほど触れるが、そもそもなぜ古巣のスクールのコーチになることになったのだろうか。
「引退発表後、最初に声をかけていただき、そこからずっと気にかけてくれていました」
そう言うと、濵口は少し複雑な表情をした。
「正直に言いますと、引退後は少し野球から距離を取ろうと思っていたんです。僕としては野球以外の分野でひとりの人間として活躍できるようになりたいという思いもあって......ありがたかったのですが、すぐには受け入れることはできませんでした」
真摯な表情で濵口はつづける。
「そんな僕の思いを理解しながら、それでも球団は熱意を持って声をかけつづけてくれたんです。最初、スクールのある野球普及・振興部は何をしている部署なのかわからなかったのですが、聞けばスクールのコーチ以外にも、地域とつながりを持ち、小学校に訪問し野球を普及する活動をしたり、また野球に携わったことのない社員や野球を知らない方々とコミュニケーションを取ることもありますし、そこは一般企業と変わらないんじゃないかと感じたんです」
コーチ以外も事務仕事や営業のようなこともしなければならず、今後の人生を考えてもプラスになるはずだと濵口は考えた。
「現役時代は、試合でベストなパフォーマンスを発揮することだけに集中していて、試合がどのように運営されているのかも知りませんでした。試合に限らず、あらゆるイベントには多くの人が携わっていて、何カ月も前から構想を練っていることを知って、非常に勉強になっていますし、今は本当に魅力を感じています」
晴れやかな表情で濵口は言った。プロ野球選手のセカンドキャリアはいろいろあるが、野球から一旦は気持ちが離れたものの、球団の熱意が濱口の考えと視点を変え、再び横浜へと戻ってきた。
4月にSNS上で濵口の帰還が知られると、大きな反響を呼んだ。喜びの言葉で埋め尽くされ、横浜ファンに"ハマちゃん"がどれだけ愛されているのかを、あらためて感じさせる出来事だった。
【メキシコで知らされたトレード】
日本一のあと、濵口は優勝パレードを待たずにメキシコへと渡った。2024年シーズンは日本一になったものの、先発だったレギュラーシーズンではほとんどチームの力になれなかったと感じたからだった。
実戦不足、投げ込み不足の実感もあり、また自ら志願して翌シーズンからリリーバーとして再スタートするにあたり、意気軒高で海を渡った。到着早々、チームが変わるなど苦労はあったが、濵口は明るい未来を見据えメキシコ・ウインターリーグで中継ぎとして腕を振った。
「僕のわがままでメキシコへ行かせてもらったんですが、ベイスターズや現地の球団に動いてもらいプレーすることができ本当に感謝しています。最初しばらくはひとりきりだったので、つたないスペイン語で監督やコーチと意思疎通を図るなど積極的に、必死に食らいつきながらプレーできたのは楽しかったですし、本当にいい経験になりましたね」
そしてウインターリーグ期間中の12月23日、ソフトバンクの三森大貴とのトレードが両球団から発表された。運命が突如として動く。この2週間前、濵口と一緒にメキシコにいた上茶谷大河が現役ドラフトで同じソフトバンクに移籍が決まっていたため、ファンの驚きは大きなものだった。
発表の前日、濵口は球団からトレードが決まったことが伝えられた。その時、正直どのように思ったのだろうか。
「『ああ、このタイミングなんだ』とは思いましたが、ショックということはありませんでした。戦力外も含め、いろいろと覚悟していたところはあったので」
ドラフト1位で入団した2017年は10勝を挙げ、セ・リーグ新人特別賞を獲得するなど華々しいデビューを飾ったが、結局これがキャリアハイとなり、直近2年間は通算5勝と苦しい時間を過ごしていた。だからこそ察するところもあり、ある意味、どこかで腹をくくっていた。
「だからトレードを言い渡されてネガティブな感情はありませんでしたし、状況を飲み込むのは早かったと思います。
踏み止まっている時間は濵口にはなかった。危機的な状況であることは変わらず、プロ野球選手として生き残らなければならない。
【チームにまったく貢献できなかった】
DeNAで8年間を過ごしてきた。豪快に腕を振り下ろすサウスポー。力強いストレートと大きく落ちるチェンジアップを武器に、どんな状況でも決してひるまず、闘争心をむき出しにして立ち向かう"ブレイブハート(勇敢な心)"の持ち主だった。
調子がいい時は手がつけられないほどの圧巻の投球でビッグインパクトを残したが、一方で制球に苦しむことも多々あり、その日投げてみなければ状態がわからない危うさもあった。
ただ安定感には欠けていたかもしれないが、無敵モードに入った時の濵口の投球には、胸のすくような爽快感があった。
「でも、チームにまったく貢献できなかった、というのが僕の正直な思いなんです。申し訳なかったなって......」
目線を落とし濵口は言った。
「2ケタ勝てたのは最初だけですし、コンスタントに一軍登板の機会を与えてもらいながら期待に応えることができませんでした。通算成績も負け越し(44勝46敗)で終えましたし、そのあたりをもっとできたらという思いはありますね」
では、思い出に残っている試合はなんだろうか。そう問うと濵口は首をひねった。
「うーん、何だろう。本当にどれもすばらしい経験で、もちろんつらいこともたくさんありましたけど、それも僕の野球人生には必要なものでした。いや、やっぱ2度の日本シリーズの景色が一番心に残っていますね。17年のルーキーイヤーと、24年の日本一。ホークス相手で同じシチュエーションなんですけど、見え方や感じ方がまったく違う日本シリーズだったので印象に残っています。
やっぱり24年の日本一は喜びが大きかったし、自分が投げた試合で決まったこともあり、うれしかったですよね。いい思い出という表現が適切かわかりませんが、あの経験がプロを辞めるひとつのきっかけにもなりました」
限られた人間にしか味わえない成果と達成感──。日本シリーズ優勝は、濵口にとってひとつの区切りとなった。
しかし、先述したように優勝パレードには参加できなかった。
「そこはちょっと後悔じゃないけど、多くの方が詰めかけて、沿道が青に染まった景色は見たかったですね......。ただ、メキシコでもいい経験ができたので」
トレードが決まった濵口は、年が明けた1月2日に帰国した。春季キャンプも迫る慌ただしい時期、すでに自主トレ期間に入っていたこともあり、チームメイトや球団関係者にあまりあいさつできなかったのは心残りだったが、大学時代から12年間を過ごし慣れ親しんだ横浜を離れることになった。
つづく>>
濵口遥大(はまぐち・はるひろ)/1995年3月16日生まれ、佐賀県出身。三養基高から神奈川大へ進学し、2016年のドラフトでDeNAから1位指名を受け入団。力強いストレートとチェンジアップを武器に1年目から先発ローテーションに定着し、10勝をマーク。日本シリーズでも好投した。24年には中継ぎとして日本一に貢献。その年のオフにトレードでソフトバンクに移籍するも、25年は一軍登板を果たせぬまま戦力外となり、現役引退を決断した。










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