濵口遥大インタビュー(後編)
前編:日本一から一転、メキシコで知らされたホークスへのトレードはこちら>>
佐賀県出身の濵口遥大にとって、隣県の福岡は馴染みのある土地かと思いきや、故郷に戻るという感覚はなかったという。
「大学で上京して12年間、横浜でしたし、オフもあまり帰省をしていなかったので、逆に福岡は新しい土地に行くといった新鮮さがありました。
【ホークスで受けたカルチャーショック】
常勝軍団・福岡ソフトバンクホークス。濵口にとって初の移籍であり、春季キャンプでは軽いカルチャーショックを受けた。
「競争の激しさは想像以上でしたし、正直『そりゃ強いよな』と思いました。選手の意識や考え方、積み上げてきた伝統というか......」
小さく頷きながら濵口はつづける。
「本当に個人事業主というか、一人ひとりがベストを尽くし、その結果、強いチームという感じなんです。ベイスターズは一体感を持ってファミリーとして戦うのがカラーですし、他球団から来た同世代の佐々木千隼とかは『すごくいい環境だよ』と言ってくれるので、どちらがどうこうというのはないのですが、単純にホークスはすごいなという印象を僕は持ちましたね」
DeNA時代にバッテリーを組んでいた嶺井博希からは、次のようなアドバイスを受けたという。
「ホークスでは自分からいろいろとやっていかないと、置いていかれてしまうよ。だから自分からどんどんアクションを起こしていかなきゃダメだ」
闘争心では誰にも負けない濵口の心に火が灯る。球団からはリリーフではなく先発調整を言い渡され、適性を見ながらトレーニングを積んでいった。しかし、開幕はファームだった。
【悩んだ末に手術を決断】
そして4月16日に左ヒジのクリーニング手術、同月23日には胸椎黄色靱帯骨化除去術を受けたことが球団から発表された。復帰まで3、4カ月かかる見込みであり、移籍1年目の濵口としては、難しい決断だった。
「アピールを絶対にしなければいけない立場だったので、葛藤はありました」
悔しさを滲ませながら濵口は言うと、症状について教えてくれた。
「ヒジに関しては以前から症状があって、ベイスターズの最後の年(24年)は、注射を打ちながらも与えられた登板は穴を空けることなく投げられていたので大丈夫だと思っていたんです。
黄色靱帯骨化症については、足の痺れなどの症状は出ていなかったのですが、22年ぐらいにたまに背中が痺れたりするので、ヘルニアの可能性もあるからとレントゲンを撮ったらあやしい影が見つかったんです。球団のトレーナーサイドと共有し、両方とも手術をすれば問題ないという判断でした」
濵口は足を痛めていたタイミングでもあり、この際、一気に身体をリセットする意味もあった。
黄色靱帯骨化症といえば、DeNA時代の先輩である三嶋一輝が重症の状態から復帰を果たしているが、事あるごとに濵口に自身の経験やトレーニング方法を伝えてくれたという。だからこそ復帰することに対し濵口は、「全然不安はありませんでした」と語っている。
しかし、リハビリを経ての復帰は早くとも夏になる。
「焦りはめちゃくちゃありました。リハビリプランを考えても、時間がないなと思って、急ピッチで調整していったのですが......」
7月に実戦復帰を果たすと、ウエスタン・リーグで15試合を投げ、1勝2セーブ、防御率3.78という数字を残している。復帰後の手応えというのは本人的にはどのように感じていたのだろうか。
「いや、まったくダメでしたね。なかなか状態が上がらず、もっとゆっくりリハビリをしていればなという思いもありました。また、左ヒジの手術は、早期復帰を目指してすべて切らずにギリギリの処置をしてもらったんですが、そこも中途半端になってしまったかもしれません。
【辞めるならスパッと辞めたほうがいい】
そして濵口は一度も一軍登板がないまま、10月27日に球団から来季の構想外を伝えられた。移籍1年目で非情とも思えるが、当の本人は納得していた。
「驚きはなかったですね。年齢やチームの現状を考えれば、妥当だと思いました」
構想外を伝えられた2週間後の11月11日、濵口は現役引退を発表した。
その決断について尋ねると、濵口は絞り出すように吐露した。
「最初、現役をつづけるか、引退するかは半々でした。オファーがあれば、もちろん頑張ろうとは思っていました。ただヒジの状態や、ここ数年の自分の成績やパフォーマンスを考えると、このままスッキリ終わるのもありなんじゃないかって思ったんです。
カミチャ(上茶谷大河)とか、いろんな人に相談したんですが、自分のゴールはどこなんだって考えていくうちに、野球ではない世界をイメージすることもあったので、辞めるならスパッと辞めたほうがいいと思いました」
背水の陣で手術までして復帰を果たしたのだからもう少し頑張れば、と思うのは外野の勝手な意見であり、9年間プロとして必死に走りつづけてきた濵口の決断に納得するしかない。線引きは自分にしかできないことであり、これもまた濵口の美学だ。
そして濵口は、ポツリとこう漏らした。
「ベイスターズ時代にお世話になった国吉佑樹さんや、ホークス時代に一緒だった又吉克樹さんは戦力外になってもメキシコへ渡り、そこでリリースされても、また日本でプレーすることになりました。そうやって全身全霊をかけて野球に向き合えるのはすごく格好いいなと思います。僕にはその勇気がなかった」
いや、そんなことはない。濵口ほど勇壮勇敢なピッチャーはいなかった。ルーキー時代からバッテリーを組んできたDeNAの戸柱恭孝はこんなことを言っていた。
「浮き沈みがあるピッチャーでしたけど、とにかくマウンドはもちろん、練習でもベンチでもロッカーでも気持ちを前面に出す選手でした。1年目からローテーションに入ってインパクトを残したのにも関わらず、毎年変わることを恐れず、自分のプライドを消してまで、浮上のきっかけを探していたのを見てきました。身体を痛めていようが、ベイスターズのために目一杯、最後まで腕を振りつづけてくれたピッチャーですし、もう少し一緒にやりたかったですね。ただ先日、会ったらスッキリとした表情をしていたんで、それが一番かなって」
【ほんと"暴れ馬"でした】
立場は異なるが、今後も濵口は横浜で野球に携わっていく。これから先の未来を想い、濱口は柔らかい表情で言うのだ。
「引退後、3カ月ぐらいいろんなことを考えたり、いろんな人と会って話をして、自分がやっていきたい方向性というのは少しずつ固まってきました。出社して社員の人と話したり、スクールに行って子どもたちや保護者の方と話をすると、新鮮なことばかりで毎日が勉強です。
新たな旅は始まったばかり。そこには人のよさが滲み出た、いつもの濵口遥大の姿があった。
DeNA時代の8年間、ルーキー時代から濱口を見つづけてきた。大崩れしても真摯に取材に対応してくれ、勝利すればボールを受けてくれたキャッチャーをいつも称えていた。またピッチングでは、フォークを封印したり、速いスライダーを身につけたり、常にアップデートを試みてきた。
取材終わりに「いろいろありましたね」と伝えると濵口は頷いた。
「いろんなことをやりましたね。でも、やっぱりコントロールだけは最後まで......」
そう白状すると濵口は苦笑した。
「まあでも、それが持ち味だといろんな人に言っていただきました。ほんと"暴れ馬"でしたね」
濵口は声を出して笑った。記録には残らない投手だったかもしれないが、確実に"記憶"には残る投手だったことは間違いない。勇気凛々の"横浜の暴れ馬"の雄姿を忘れることは決してないだろう。
濵口遥大(はまぐち・はるひろ)/1995年3月16日生まれ、佐賀県出身。三養基高から神奈川大へ進学し、2016年のドラフトでDeNAから1位指名を受け入団。力強いストレートとチェンジアップを武器に1年目から先発ローテーションに定着し、10勝をマーク。日本シリーズでも好投した。24年には中継ぎとして日本一に貢献。その年のオフにトレードでソフトバンクに移籍するも、25年は一軍登板を果たせぬまま戦力外となり、現役引退を決断した。










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