■ホルムズ海峡封鎖による備蓄は難易度が高い
ホルムズ海峡封鎖が長期化した場合、私たちの生活は、思っている以上に静かに、そして確実に崩れていく可能性がある。原因は、燃料ではなくナフサだ。日用品や医薬品、食品の包装に至るまで、現代社会はナフサに依存している。
しかし、この危機は何をどれだけ備えればよいのかが分からないという厄介な性質を持つ。本稿では、「ナフサ危機」を回避するための考え方と対策を整理する。
ホルムズ海峡封鎖に端を発する原油危機が、先行きの見えない状況となっている。2026年4月以降、連日のように石油燃料や石油製品の不足を報じる報道がなされるようになり、自分もなにか対策をすべきだろうかと考える人が、増加し始めているようだ。
ところが、家庭の防災、あるいは企業のBCP(事業継続計画)の視点で、今回の原油危機への備えを行おうとすると、いくつかの課題に直面する。ひとつはリスクが流動的であるという点、もうひとつは対策の難易度が高すぎるという点である。
防災で重要なことは、まず備えるべき対象を明らかにすることである。
リスクが未確定の状態で備蓄品を買い集めたり、事業継続に必要な資機材の在庫を増やしたりしても、その量では足りなかったという結果を迎えたり、逆に「危機」が幸運にも早期に解消された場合、備蓄品が無駄になってしまうため、身動きが取れないのが現状である。
■原油危機で不足するもの
まず、ホルムズ海峡封鎖による原油危機で何が不足するのかを整理する。ポイントは次の4点である。
①「ナフサ」を原料とする石油化学製品全般
②「原油」を原料とする石油燃料や石油製品全般
③世界シェアに占める中東割合の多い製品に依存するもの
④容器包装や燃料不足により生じる間接的な生産・流通への影響
分かりやすいのは「①『ナフサ』を原料とする石油化学製品全般」の製品供給不安である。各種の生活用品や衛生用品、家電や電子機器、各種の衣類や化学繊維、自動車や輸送資材、建材やインフラ資材、各種の医薬品など、生活に欠かせない製品を製造するためには、ポリエチレン、樹脂、合成ゴム、合成繊維といった素材が不可欠である。
これらの素材は、エチレン、プロピレン、ブタジエンといった基礎原料を加工して得られるのだが、日本においてはこれらの基礎原料のほぼ全てを、ナフサを分解することで得ている。平時の日本では、毎日約10万キロリットルのナフサを分解しているが、このうち3割を国内の製油所で原油から精製し、残りは直接輸入をしている。
■あらゆるモノの生産に影響が生じる
問題なのは、原油だけでなくナフサ輸入の大部分もホルムズ海峡経由であったことである。
さらに、ある程度の備蓄を保有している原油と異なり、加工品であるナフサの国内在庫は少なく、これが早々に尽きようとしている。ナフサの供給量が減ると、文字通り生活用品からインフラ資材まで、あらゆるモノの生産に影響が生じるのである。
次に「②『原油』を原料とする石油燃料や石油製品全般」についても、危機が長期化するにつれ供給不安に陥る可能性がある。
7割を輸入しているナフサと異なり、ガソリン、軽油、灯油、重油などの石油燃料は、国内需要のほぼ全てを国内の製油所で原油から精製してまかなっており、原油の在庫がある限りはある程度の供給が確保される。
■ガソリンそのものがなくなれば大混乱
しかし、原油危機が長期化し、かつホルムズ海峡経由にかわる代替調達が上手く進まない場合、原油の在庫が減るにしたがい石油燃料の供給も絞られる可能性がある。
現時点では、ガソリンに補助金を出し価格の上昇を防いでいるが、そもそもガソリンそのものがなくなる状況まで危機が進んだ場合、大きな混乱が生じることは想像に難くない。
さらに、「③世界シェアに占める中東割合の多い製品に依存するもの」として、特にアルミニウム・ヘリウム・尿素といった、世界に占める中東のシェアが高い製品群も、ホルムズ海峡封鎖により全世界への輸出量が著しく減少している。これらの製品に関連するサプライチェーンへの影響も、危機が長期化すれば大きくなることが想定される。危機は原油だけではないのである。
■米はあっても米袋がなくなる
そして最後に「④容器包装や燃料不足により生じる間接的な生産・流通への影響(間接影響)」が次第に無視できなくなる。
食料品や紙製品などの「非石油製品」は、本来ナフサ不足の影響を受けない。しかし、あらゆる製品を包んでいる包装資材、ラベル、印刷用のインクやトナー、輸送用の資材などの大部分は、ナフサ由来のため、ナフサ不足の影響で生産が止まる可能性がある。
米はあっても米袋がなくなる、お茶があってもペットボトルがなくなる、といった事態が想定されるのだ。
その上、危機が長期化すると「燃料」が欠乏しトラック輸送に影響が生じる。
輸送は社会を支える血流そのものであり、これが途絶えることは文字通り全ての産業・流通が停止することと同義である。
野菜の収穫ができても運べなければ、私たちの食卓に並べることはできないし、そもそも燃料がなければ農業・漁業・畜産も成立しないのである。
便利で快適な暮らしを支えるためには、原油やナフサを毎日運び続けることが重要だ。しかし2026年4月以降、毎日入港し続けていたタンカーの流れが、戦後初めて途絶えた。ホルムズ海峡が開放されても、そこから日本までタンカーが到着するまでには数週間の期間が必要である。私たちの日常は、今ギリギリのところで生かされている。
■ナフサに関わらない製品のほうが少ない
このような危機に対して、どう対処すればよいのだろうか。直近ですでに影響が生じているのがナフサ不足であるが、ナフサが不足するなら、ナフサ由来の必需品を全て備蓄しておけばよいのではと考えたくなるが、今回の危機に「備蓄」で対処することはほとんど不可能と言ってよい。
前述の通り、ナフサが関与する製品は多い。多いどころか、ナフサに関わらない製品を探すことの方が難しいのが、現代の石油社会である。石油由来ではない製品についても、販売時には包装資材に包まれている。鍋を持参して豆腐を買う、焼き芋やたい焼きを新聞紙に包んで持ち帰る、ナフサなしで得られる物資は、つまりこのようなモノだけなのだ。
ナフサ供給が絞られると、川上に当たるナフサ分解工場(ナフサクラッカー)から順番に、中間素材、容器包装、最終製品という順番で、徐々に影響が生じる。
■「出荷停止のお知らせ」まで分からない
一方、各企業の備えのレベルを予測することは難しい。経営の効率化を目指すためには在庫を減らすことが望ましいが、このような企業は仕入れが止まるとすぐに出荷も止まってしまうのだ。そして、どの業界が、どのメーカーが、どのような順番で止まっていくのかは、「出荷停止のお知らせ」が報じられるその時まで分からないのである。
現代のサプライチェーンは複雑化しており、「ジャスト・イン・タイム」の名の下に最適化されている。いずれかのメーカーが白旗を上げた際、次にどのメーカーに影響が広がるかは分からない。それを消費者や仕入れ側が知るのは、実際に製品がなくなってからなのだ。そしてこれがいつからいつまで継続するかも、予測することは不可能である。
発生と同時に影響の生じる大地震などの自然災害と異なり、原油危機による影響はジワジワと進行するため危機感を抱きづらい。さらに、影響の大小は人や会社により異なるため、「社会全体としての影響は軽微に見えるが、個人単位では決定的な打撃を受ける」という、極めて個人的で孤独な危機になる恐れがある。「私のナフサ危機」「わが社のナフサショック」を回避する準備が必要なのだ。
■優先順位を付けて備蓄するべき
原油危機が長期化するにつれ、「○○が品薄に」「○○の出荷が停止」といった報道が増加すると予想される。
これは今回の危機に限られた話ではない。大地震や水害といった「普通の大災害」への備えとしても、「ないと困るモノ」「わが家にとっての必需品」「わが社のボトルネック」となるモノを優先的に確保することが有効である。今回の危機をきっかけに、日頃の災害対策としても次の対応をぜひ行って欲しい。
■最優先すべき「生命維持に必要な道具」
個人の場合は、まず「生命維持に必要な道具」や「身体の一部」の予備や代替品を確保することが重要だ。
メガネ、コンタクト、補聴器、入れ歯、車椅子、義肢、杖、コルセット、サポーター、ストーマ装具、在宅医療器具など、ただ生活をするためにも必要な道具の維持が最優先となる。
スタンスとしては、今回の危機に対して予備を購入するのではなく、「そろそろ新調しようかな」と思っていた場合に、それを早めに調達するような考えが健全と言える。
同じように、身体の一部を維持するための消耗品やメンテナンス用品、持病の処方薬や欠かせない常備薬、さらに乳幼児用品、介護用品、ペット用品など、家族構成により変化する必需品なども、優先度が高いアイテムと言える。これらは日頃から在庫や予備を多めに持つことが重要だが、今回の危機に対しては「どうせ使うモノを、使い切れる量の範囲で」追加購入するとよいだろう。
■第2優先:生活水準を維持する日用品
さらに、それが無くても生命に関わらないが、生活の質を維持するための必需品も日頃から在庫を多めに確保したい。例えばメイク用品や生理用品など、普段から使用しているお気に入りの品物は、無くなっても命に関わりはないが生活水準が低下する。
また、衛生用品、身だしなみ用品、キッチン用品、食品保存用品、洗濯・清掃・住宅用品、各種の生活必需品なども、ナフサ不足の影響を受けやすい。こうした日用品は、無くなってから買いに行くのではなく、「常に○個の在庫を持つ」といったルールを定め、それ以下になったら補充する習慣を付けるのがよいだろう。こうしたアイテムは、大地震や水害後に自宅で「在宅避難」をする際にも役立つため、少し多めに確保したい。
■第3優先:食料品
難しいのは「食料品」の確保だ。ナフサ不足が長期化すると、食品の容器包装に影響が生じて、「モノはあるのに出荷できない」という製品が生じる恐れがある。防災においては「最低3日分・できれば7日分」の食料備蓄が必須であるが、今回の原油危機はいつまで・どのくらいのレベルで続くか分からないため、数週間・数カ月分の食料備蓄が必要になる。そして、言うまでもなくそれは難しい。
食料危機がどのレベルで生じるかは分からない。一部製品の品薄で終わるかもしれないし、スーパーやコンビニからモノが消えるという事態まで進行するかもしれない。このような、「備蓄すべき量」を決められない事態に対しては、「備蓄できる量」の確保が望ましい。
少し日持ちする食品について、期限内に食べきれる量を上限に在庫を増やすのだ。これは防災界隈では「日常備蓄」や「ローリングストック」と呼ばれる手法になる。
■第4優先:耐久消費財
最後にもうひとつ考慮したいのが、耐久消費財である。自動車、自転車、スーツ、各種の衣料品、テレビ、エアコン、冷蔵庫、洗濯機などの家電、スマートフォン、パソコンなども、ナフサ不足の影響を次第に受ける可能性がある。むろん、こうした製品を日頃から備蓄することは難しい。そろそろ買い換えようかな、と思っていたモノがある場合、その時期を早めるといった対応を、今回の危機対策で検討するとよいだろう。
繰り返しになるが、今回の危機が長期化した場合、次に何がなくなるのかを予測することはできない。無くなるモノを予測して準備するのではなく、無くなると困るモノを考えて、優先順位を付けた上で確保をする、という考え方が肝要なのだ。もちろん、影響が小さいまま原油危機が解消する可能性もあるし、できればそれが一番望ましい。危機があってもなくても必要なモノについて、在庫や予備を持てるようにするとよいだろう。
■ライフスタイルそのものを「備える暮らし」にするべき
日本は世界有数の災害大国である。地球上で発生する自然現象・自然災害の何割かが集中する、いつでもだれでも被災者になる地域であると言える。
今回の原油危機がいつまで継続するかの予測は難しいが、社会が継続する限り一連の危機は必ず終息する。しかし、日本に居住する以上、「次」の災害への備えは常に必要である。
大地震や水害への備えであれば、3日分の飲食物などを備えることが対策になるが、この原油危機においては、なくなる可能性のある「モノ」の種類が多すぎる。
備蓄による対策が極めて難しく、まともに対処することができないのである。
さらに言えば、今回のような「ある日突然モノが買えなくなる」状況というのは、原油危機以外でも起こりうる。例えば大地震や大規模水害、超巨大噴火、日本周辺での有事、強毒性の感染症パンデミックなど、この先いくらでも起こりうる事態とも言える。
今回のような「物が買えなくなる災害」も、定期的に生じ続けているリスクであり、終息したとしてまた必ず生じる危機である。お店に行けばいつでも必要なモノが買える、ウェブで発注すれば翌日には納品される、この便利な社会が永遠に続く保証はなく、何なら明日大地震が生じて崩壊する可能性すらあるのだ。
そのため、対策を講じるにしても、今回の原油危機だけに備えるのではなく、ライフスタイルそのものを「備える暮らし」にするとともに、企業の場合は経営方針を「レジリエンス経営」に寄せることで、「今回の原油危機にも、ついでに備える」体制を目指すことを推奨する。
わが家にとって、わが社にとって、特に重要なモノを普段から確保することで、「常に備える」ライフスタイル、強靱な経営方針を身につけて欲しい。どうせ使うモノを、使い切れる範囲で、日頃から少し多めに確保し続ける。たったこれだけで、今回のような危機にも対処できる体制を構築できる。今日の帰宅時に、歯ブラシを1本余計に購入するところから、ぜひ始めて欲しい。
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高荷 智也(たかに・ともや)
備え・防災アドバイザー
BCP策定アドバイザー、合同会社ソナエルワークス代表。「備え・防災は日本のライフスタイル」をテーマに、個人に対しては“自分と家族が死なないための防災対策”のノウハウを、企業に対しては“経営改善にもつながる緊急時に役立つBCP”の作成手順を、自身が運営する防災Webサイト、各種メディアやセミナーを通じて解説するフリーのアドバイザー。著書に『今日から始める本気の食料備蓄 家族と自分が生き延びるための防災備蓄メソッド』(徳間書店)、『今日から始める家庭の防災対策 増補改訂版』(徳間書店)がある。
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(備え・防災アドバイザー 高荷 智也)

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