年齢を重ねることの深みや強さはどんなところにあるか。精神科医の和田秀樹さんは「長く生きているほど、多様性を認められるようになっていく。
高齢者は経験を通して『人生いろいろ』とか『人間はころころ変わる』ということを知っているはずだから、それを封印してはいけない」という――。
※本稿は、和田秀樹『老いの品格 品よく、賢く、おもしろく』(PHP文庫)の一部を再編集したものです。
■信念を変えるのは当たり前のこと
自分の信念や考え方を変えると「変節だ」と批判されますが、時代が変わったら変節するのは当たり前だと私は思っています。
私は1987年に、ベストセラーとなった『受験は要領』(ゴマブックス。2002年にPHP文庫)という本を上梓しました。「数学の勉強は問題を自力で解くよりも、解答を見て覚えるほうがいい」など、なるべくがんばらずに結果を出す受験勉強の方法を指南した本です。
その後、私が当時の教育界で支配的だった「ゆとり教育」に異を唱えると、「変節」だと言われました。でも、『受験は要領』を出版した当時、日本の生徒の学力は世界のトップレベルでしたし、受験生も死ぬほど勉強していました。
それがどんどん低下し、自宅で1秒も勉強しない生徒が4割もいるという調査も発表されている状況があったのに、考え方を変えないほうがむしろおかしいと思います。
新自由主義の旗振り役と目されていた経済学者の中谷巌(いわお)さんは、小泉純一郎内閣による構造改革の支援者でもありましたが、その後、著書『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル)で新自由主義との完全な決別を表明しました。
規制を廃し、あらゆる経済活動を市場に委ねる新自由主義によって日本の経済がよくなると信じていたのに、現実問題としてそうならなかったからです。
だとすれば、信念を変えるのは当たり前のことです。
うまくいかないのに、そのやり方に固執して突き進むのは、特攻精神以外の何ものでもありません。
■高齢者は変節を恐れるな
この国のよくないところは、いったん始めたことを変えられないことです。金融緩和と財政出動で景気をよくするという理論自体はまちがっていなくても、現実問題としてアベノミクスがうまくいかないのなら、どんどん変えていけばよかったのです。変えていくうちに、景気がよくなったかもしれません。
何にしても、うまくいかなければ、作戦を変えるのは当然のことです。自分の信念であれ、絶対にこれだと思ったやり方や考え方であれ、うまくいかなかったら変えてみるというのは、何も悪いことではありません。
ただ、ここで強調したいのは、変節と付和雷同は違うということです。
変節は、自分の説をもっていて、そこから別の説に乗り換えることですが、付和雷同は他人の説に同調することなので、そこに自分の信念はありません。
「言うことが変わる」という意味においてはどちらも同じですが、AがブームのときにはAと言い、その後、BのブームがくればBと言うのが付和雷同です。
高齢者が変節するのは、まったく悪いことではありません。
「昔は収入格差があったほうが社会全体の生産性は上がると思っていたけど、格差が広がってみると、ろくなもんじゃないことに気づいた」
「あの国は親日でいい国だと思っていたけど、いまはひどい国だと思う」
というふうに、考えが変わることがあってもいいと思います。
変節といわれることを恐れる必要はないし、むしろ考え方を頑なに変えない高齢者は、頑固老人以外の何ものでもありません。

「前はそう思っていたけど、長く生きているうちに、やっぱりそれは違うと気づいたんだよ」
と言える清々しさは、とても魅力的だと思います。
■付和雷同はみっともない
しかし、歳をとっても付和雷同している人、たとえば、民主党ブームのときは民主党に肩入れし、その後、保守ブームになれば、リベラルというだけで全否定するような人を見ると、失望を禁じえません。「あなたがた『長老』は、そんな人たちではなかったはずではありませんか?」と問いたくなります。
たとえばコロナ騒ぎのなかで、「昔は結核でもっとたくさん人が亡くなっていたけど、店を開けたらいけないとか、人と一緒に食事をしたらいけないなんてことはなかったようだけどね」と、さらっと言える老人がいたらすてきだと思います。
もっとも、戦前や終戦直後のあのころと、いまの時代の社会事情は大きく異なりますので、単純な比較は難しいわけですが、それでもその時代を経験している人が言うからこその重みを感じます。
「周りが言っていること=正しいこと」ではありません。コペルニクス以前の時代の人たちは、誰もが当たり前のように天動説を信じていましたが、天動説が正しくないのは言うまでもありません。
真理は多数決で決まるものではなく、本来は実験や研究によって答えを求める必要があります。自分ではそれができないとしても、せめて統計数字に当たるくらいのことはしておきたいものです。
高齢者はインターネットができない、スマートフォンが使えないとよくいわれますが、いざ始めてみれば意外なほどスムーズに使えるものです。さらに今ではAIに聞くこともできます。
高齢者がガラケーをスマホに替えるとうまく使えないことがあるのは、使う能力がないからではなく、普通に電話をかけるかぎりにおいては、事実としてスマホのほうが使いにくいからでしょう。

でも、彼らのなかにも、パソコンを使いこなせる人はたくさんいます。そのほうが深い情報も得られます。変節できる高齢者は立派だと思いますが、高齢になって、若い人やメディアが騒いでいるからといって付和雷同するというのは、どうもみっともない気がします。
■「人生いろいろ」で多様性を認める
小泉純一郎元首相は、政治家としての評価は別として、印象深い名言をいくつも発しています。その1つが、35年前の厚生年金加入時に勤務実態があったかどうかについて、国会で追及されたときの、「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろだ」という答弁です。
当時は言い逃れだとして批判を浴びましたが、この発言は実際そのとおりです。まさに「人生いろいろ」で、みんながこうあるべきという決めつけは、知的にもメンタルヘルスのうえでも好ましいものではありません。
高齢者のすてきなところ、深みを感じさせる部分は、「人生いろいろ」が認められることです。歳をとると頑固になると思われがちですが、むしろ長く生きているほど、多様性を認められるようになっていくものだと思います。
将来的にはもしかしたら、若いころからずっとテレワークで働き、多様な人とふれあうことがほとんどないまま70歳や80歳になる人も出てきて、高齢者といえども「人生いろいろ」を知らないのが普通になるのかもしれません。
でも、いまの高齢者は違います。学校では優等生ではなく不まじめに見えた人が、意外に要領よく成功してずっと順調だったり、一時期すごく羽振りがよさそうだった人が転落していったりと、これまでにたくさんの「人生いろいろ」を見ています。

そのことによって、高い学歴を得れば成功するといった、世間の定説どおりには必ずしもならないことを知っています。
■東大医学部出身で「頭がいい」は違和感
いまの政治家が小粒になっている理由の1つは、彼らの多くがきわめて狭い社会で生きてきたからです。小さいころから、裕福な家の子供ばかりが通う私立の大学附属校で学び、受験も経験せずに大学に入り、ほとんど社会でもまれることのないまま親の跡を継いで議員になった人が目立ちます。
当然、地元の公立学校でさまざまな家庭環境の子供と一緒に学び、受験勉強をして高校や大学に進学し、何年も会社勤めを経験してきたような人たちとは違います。必然的に考えることの幅が狭くなりがちで、理想主義的な国家観だけで突き進もうとするきらいがあります。
それも「人生いろいろ」の1つだとは思いますが、人間としての深みはあまり感じられません。私自身は、彼らのような生き方は選択できなかった人間なので、そのぶん、考え方の幅が広いことを強みにしたいという思いがあります。
人間は変われない、変わらないものだという思い込みを、多くの人がもっています。日本の学歴信仰のベースにあるのは、18歳時点での勝ち負けが一生続くという認識です。たとえば、私が、東大医学部を出ていることに対して、「頭がいいんですね」と言われることがあります。でも、それは、大学を受験した18歳時点で、ほかの受験生よりは勉強ができたにすぎないのです。
ですから、「頭がよかったんですね」と言われるならわかりますが、「頭がいいんですね」と言われるのは違和感があります。
私がもし、現在形で「頭がいい」のだとすれば、それは東大医学部卒だからではなく、そのあともずっと勉強しているからです。
■多くの人が「賢い老人」に求めていること
人間は18歳のときから変わらないということが、当たり前のこととして認識されているのはおかしなことです。人生には、浮き沈みも勝ち負けもあり、人間はそのなかで変化していく生き物なのです。
「人間は変わるものだ」と、高齢者の方にこそ声を上げてほしいと思います。「人生いろいろ」とか、「人間はころころ変わる」ということを、高齢者は経験を通して知っているはずなのに、なぜかそれを封印している人が多いような気がします。
たとえば、学歴はそうあてになるものではないと知っているはずなのに、お孫さんに対して、「いい大学にいきなさい」と、つい言いがちです。本来ならそこで、「いい大学に入れるのならそれに越したことはないけど、そのあとも勉強しなかったら意味はないよ」という、当たり前のことを伝えるべきなのです。
高齢者が、人間的な「深み」や「幅の広さ」を感じさせてくれると、「だてに歳をとっていないな」と思います。多くの人が「賢い老人」に求めているのはそのようなものです。
誰もがスマホをもち、ネットで何でも調べられる時代になり、知識に優位性がなくなっているからこそ、その人のもつ人生哲学や経験が人間的な「深み」や「幅」につながっているかどうかが、大きな意味や価値をもつのだと思います。

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和田 秀樹(わだ・ひでき)

精神科医

1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。
精神科医。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、アメリカ・カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、和田秀樹こころと体のクリニック院長。幸齢党党首。立命館大学生命科学部特任教授、一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。高齢者専門の精神科医として、40年にわたり高齢者医療の現場に携わっている。2022年総合ベストセラーに輝いた『80歳の壁』(幻冬舎新書)をはじめ、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)、『老いの品格』(PHP新書)、『老後は要領』(幻冬舎)、『不安に負けない気持ちの整理術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『どうせ死ぬんだから 好きなことだけやって寿命を使いきる』(SBクリエイティブ)、『60歳を過ぎたらやめるが勝ち 年をとるほどに幸せになる「しなくていい」暮らし』(主婦と生活社)など著書多数。

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(精神科医 和田 秀樹)
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