エアロスミスのスティーヴン・タイラー、トム・ハミルトン、ブラッド・ウィットフォードがラスベガスでのレジデント公演「Deuces Are Wild」の全曲を解説する。
エアロスミスがラスベガスで行っているレジデンス公演「Deuces Are Wild」のセットリストを毎晩作るのは容易なことではない。
コンサートごとに演奏する楽曲を自由に変えることが許されているため、「ムーヴィン・アウト」や「ドロー・ザ・ライン」などの曲は2~3回試しに演奏されたあとで、あっさりとセットリストから外された。しかし、「ドリーム・オン」や「やりたい気持ち」などのヒット曲は、外されることなく今も毎晩演奏されている。
この夏、エアロスミスはラスベガス公演と同じ内容のコンサートツアーを東海岸で行ったのだが、9月21日からはラスベガスのパークMGMにあるパーク劇場に戻り、途中で休暇を挟みながら2020年6月までレジデンス公演を続けることになっている。
ある日の休暇時間に、ブラッド・ウィットフォード、トム・ハミルトン、スティーヴン・タイラーに最新セットリストの各曲について話してもらった。
「トレイン・ケプト・ア・ローリング」(ティニー・ブラッドショー/ヤードバーズのカバー、1974年)
テイラー:この曲は俺たちがバンドを始めて最初に覚えた曲の一つで、当時の観客の反応が俺たちの望み通りだった。今、この曲をプレイして、観客があの頃と同じ反応をするのを見ると、当時の興奮を思い起こすよ。
ハミルトン:ジョーも、スティーヴンも、俺も、10代の頃はヤードバードに夢中だった。ジョーと俺は14のときから、一緒にバンド活動するときは必ずヤードバーズの曲をプレイしていたものだ。この曲は俺たちがあの頃に無意識に選んだもので、文字通り、それ以来ずっとプレイしている。俺たちにとってはエンブレムみたいな曲だし、今でも演奏するのが楽しい。観客がびっくりして目を覚ますくらい激しいやつでライブを始めたいと、俺たちはいつも思うんだよ。
ウィットフォード:この曲にはたくさんの物語がある。バンド結成初日からこの曲をやっているけど、アルバム『飛べ!エアロスミス』に収録したものですら、何度か変化している。あれこれ手を入れたり、ちょっとだけ変えたり、スローにしてみたりして、最終的にあのアルバムに収録されたのがこのスロー・バージョンだった。そのあと、スピード・バージョンもやってみた。これはライブ録音という触れ込みだったが、実はライブ録音じゃない。(プロデューサーの)ジャック・ダグラスがスタジオで作り直して、大きなアリーナで録音したような音に加工したんだ。
「デュード」(1987年)
ハミルトン:今回のラスベガス公演の前はしばらくこの曲をプレイしていなかった。スティーヴンが歌詞に関してちょっと思うところがあったようなんだ。まあ、歌詞がちょっとバカすぎると思ったらしいが、俺はそんなふうに感じたことは一度もない。メロディも、ビートも、ギター・パートも最高にいいから、歌詞の内容なんてほとんど意識しないだよ。でも、あの曲が作られた頃のロックの世界を思い起こすと、当時ロック・シーンで活躍していたのはカリフォルニア出身のバンド、例えばモトリー・クルーやポイズンなどで、彼らを冷静に観察した様子があの曲で描かれていると思うね。連中は女みたいな格好をしていた。そういうシーンの様子を描いた曲をプレイするって至極まともだよ。この曲は演奏するのがけっこう大変だけど、観客はこの曲でライブモードのスイッチが入る。抵抗できないくらい魅力的な曲さ。
ウィットフォード:スティーヴンがモトリー・クルーのヤツ(ヴィンス・ニール)とつるんでいたのを覚えているよ。確か、ヤツの「デュード」の使い方にスティーヴンは感銘を受けたと思った。あの頃、ヤツは何でもかんでも「デュード」って呼んでいた。同じ頃にジョーが面白いアイデアを持ち寄ったから、この二つが合体したのさ。(プロデューサーの)ブルース・フェアバーンがいい仕事してくれたのも大きい。ファンはこの曲が好きだね。この曲の知名度を上げたのが映画『ミセス・ダウト』だ。メジャーな映画で使われると、多くの人が耳にすることになるから。ただ、あの映画でこの曲を聞いていても、誰の曲かまで知らない人も多いようだけどね。
「アザー・サイド」(1989年)
ハミルトン:この曲は大ヒットした。だから何度もセットに組み込もうとしたのだが、なぜか上手く行かなかったんだ。演奏していても楽しくなかったし、前は違和感を感じたよ。
ウィットフォード:この曲について観客がどれだけ知っているかは定かじゃないが、この前この曲をプレイしたとき、観客のほとんどが初めて聞くような反応だった。俺たちが演奏する曲の中にはそういう反応の曲もあるよ。特に今回の公演ではね。ベガスの観客というのは、エアロスミスのファンだけじゃないから。エアロスミスの勉強をしてきたファンも多くないだろうから、「この曲は知らないな」と言うのも当然だ。この曲はそれほど知られている曲じゃないしね。
「ラグ・ドール」(1987年)
ハミルトン:この曲は本当にシンプルで、ストレートなロック曲で、あとからバンドのファンになった人たちが好む曲だ。最初のアルバム当時からファンたちと、1980年代にファンになった人たちがいるから、バランスのいい選曲で両方のファンを楽しませようとしているんだ。「ラグ・ドール」は両方のファンが思い切り楽しんでくれる曲だね。
ウィットフォード:MTVで繰り返し放送されたミュージック・ビデオを作った曲を演奏するときは、観客全員が知っていると保証されているようなものさ。この曲はいい曲だし、プレイしていても楽しい。ニューオリンズであのMVを作ったときのことを覚えているよ。テネシーでも撮影した部分があって、それ以外は全部ニューオリンズで撮影した。バーボン・ストリートなどをぶらつくのは本当に楽しかったよ。
「ラスト・チャイルド」(1976年)
ハミルトン:「ラスト・チャイルド」は俺が思い付いたリフがベースになった曲だ。曲に対する俺の感覚や感情は、その曲のレコーディングのときの様子や、リハーサル時のバンドの様子などに影響されることが多い。
ウィットフォード:あのアルバムがリリースされたときのことは覚えている。俺たちはツアー中でロンドンにいた。当時、イギリスで一番有名な音楽誌がメロディ・メーカーだった。この雑誌を読んでいたら、俺たちのアルバムのレコ評が載っていた。その中で「ラスト・チャイルド」を褒めていたし、この曲のギターワークをジェフ・ベックと比較しても素晴らしい出来とも書いてあった。でも困ったことに、彼らはこのギターをジョーがプレイしていると断言していたのさ。この曲のギターは全部俺が弾いているのに! それを読んで、俺は「ちくしょう! これはフェアじゃない!」と激怒したよ。
「やりたい気持ち」(1975年)
ハミルトン:セットの初めの方でこの曲をやるというアイデアはジョーのものだ。俺は観客に感謝を伝えるライブの後半に入れるべきだと思っていた。そこで、ジョーは試してみることを提案して、それから何度も様子を見てみた。今ではセットの前半にこの曲を演奏しているけど、この曲独自の効果とインパクトが十分に発揮されているよ。この曲のベーシックな部分、ペース・パート、ベーシックなギター・パートは俺が作った。そのあとで、スティーヴンが歌詞とボーカル・パートを作ったんだよ。
ウィットフォード:この曲をライブの前半でやる理由が俺にはわからない。大胆な変化球って感じだ。今後、プレイする位置が変わる可能性はあると思う。この曲は大ヒット曲だし、とてもユニークな曲でもある。トム・ハミルトンのための曲と言ってもいい。この曲はクラシック・ロックのラジオ局で永遠に流される曲だよ。
タイラー:ベガスでは90分間しか演奏できないから、その間にヒット曲を全部入れなきゃいけない。そのため、仕方なくセットの前半に移動した曲もあるんだ。この曲はセットのどこでプレイしても観客の反応が凄まじいよ。
「ハングマン・ジュリー」(1987年)
ウィットフォード:この曲も人によっては初めて聞く曲だね。でもこの曲をプレイした時点から全体のスピードを落とし始めるんだ。そして、スティーヴンとジョーがステージの前方で椅子に座り、玄関先のポーチでジャムっている感じのセッションを行う。これもユニークな曲で、スティーヴンが思い付いたアプローチは見事と言うしかないよ。
ハミルトン:これはブルース曲だけど、とても芳醇で濃厚な空気感が漂っている。それにフックがてんこ盛りだ。バンドがこの曲をプレイしようという気になるまで何年もかかったけど、今では毎晩演奏しても大丈夫だから、セットにこれが入って俺は満足だね。バンド全員がこの曲をこのままセットに残す気になってくれると嬉しいが、どこかの時点でこの曲を他と入れ替えることになるだろうね。でも、この曲を演奏するときの照明が最高にカッコいいんだよ。
「折れた翼」(1974年)
ハミルトン:これも寂しげだけどパワフルな空気感を持った曲だ。それに静寂でダークなパートから、一気にパワフルなコーラスが広がるダイナミックな曲でもある。俺はこの曲が大好きだね。70年代のエアロスミスの音楽が好きなファンもこの曲がお気に入りの人が多いよ。
ウィットフォード:これもスティーヴンがほとんどのパートを作った曲で、彼にとっては特別な曲なんだ。この曲をプレイしてほしいというリクエストがひっきりなしにくる。セットに入れないと、観客がこの曲をやってくれと必ず言うんだよ。ベガスでは毎晩この曲をやっていて、とにかく人気の高い曲だね。この曲自体のフィールも、この曲を聞いた人が受ける印象も、かなり独特なものがあるよ。
「ストップ・メッシン・ラウンド」(フリートウッド・マックのカバー、2004年)
タイラー:この曲ではジョーが必死に歌っているし、俺をエアロスミスに加入したいと思わせてくれたバンド、つまりフリートウッド・マックへの感謝の印でもあるんだ。
ウィットフォード:いつからこの曲をプレイしているのか、もう覚えていないけど、けっこう前からやっている。この曲でジョーは歌声を披露できるし、俺たちがこのブルース曲を演奏している間に、スティーヴンは喉を休めることができるんだ。この曲を何年もプレイし続けているものだから、あのシャッフルはもうお手のものだよ。やっていて本当に楽しい曲さ。ラスベガスの音楽監督はこの曲でサックスを吹くし、けっこう大掛かりなジャムセッションになっている。ソロもたくさんあって、ジョーも俺もソロを弾く。スティーヴンはハーモニカで参加する。それにキーボードのバックもソロがある。ほんと、めちゃくちゃ楽しい曲なんだよ。
「クライン」(1993)
ハミルトン:この曲に対して俺はニュートラルな立場だ。お気に入りでもないし、すぐにセットから外しても構わないし、プレイするのも吝かではない。この曲の背景にある物語の始まりは、それまでずっと俺たちの曲を放送していたラジオ局が、パール・ジャムやニルヴァーナが出てきたら、いきなり「もうラッシュやエアロスミスやピンク・フロイドはかけない」って言い出した現実がきっかけだった。でも、俺たちは新しい音楽ができたことを何とかして世間に知らせたかった。そこで、俺たちの曲がトップ40に入るか賭けてみたのさ。この曲はその中の一つで、多くの人はロック曲だと思っているようだが、俺には本物のロック曲には聞こえない。曲作りの観点で見るとハイクオリティで、本当によく出来た曲だし、歌詞も、メロディも全部いいとは思う。この曲がトップ40に入ってくれてありがたかったし、おかげで他の曲もヒットした。そういうヒット曲がなければ、俺たちの曲がラジオで流されることもなったからね。
ウィットフォード:この曲はものすごい人気だった。この曲のMVは、とにかくテレビのパワーを見せつけるものだ。本当に、ものすごくパワフルなんだ。MTVは自分たちがそこに登場するなんて思っていなかったものだし、俺たちには馴染みのないものでもあった。でも(A&Rの)ジョン・カロドナーが(ディレクターの)マーティ・コールナーと俺たちを結びつけた。ジョンこそがエアロスミスのMV露出の影の仕掛け人さ。俺はトム(のこの曲をセットに入れ続ける意見)に賛成だね。俺自身は、自分たちの音楽カタログに埋もれている曲も発掘したいと思うし、いつも自分がやりたい曲ができるわけじゃないから。まだ一度もコンサートで演奏していない曲がたくさんあるし、ライブで演奏してみたい曲もたくさんあるし、そんなふうに思うようになってから何年も経っている。押し入れから出してステージで虫干しすべき曲がたくさんあると思う。「リック・アンド・ア・プロミス」とか、「シック・アズ・ア・ドッグ」とか、「ゲット・ザ・リード・アウト」とか、「戻れない」とか、「ノー・サプライズ」とか。この中の1曲でも今回のセットに入れば、俺は最高にハッピーだ。
「リヴィング・オン・ジ・エッジ」(1993年)
ハミルトン:これは大ファンと言えるほど好きな曲だ。好きな理由は「折れた翼」と同じ。最初にダークなパートがくすぶったあとで、ロック曲らしくはじける。この曲には絶対に飽きないドラマがある……ドラマの可能性があると言ったほうがいいかな。歌詞はこれから先、永遠にどの世代にも受け入れられると思う。国中の人間にダメージを与える強力なロクデナシはいつの時代も出現するし、その点でこの曲は人々の心の琴線に触れるんじゃないかな。
ウィットフォード:これはマーク・ハドソンが俺たちによこした曲だ。彼とは頻繁に仕事をしていたからね。彼からこの曲が送られてきたときのことを覚えているし、本当にきっちり作り上げられた曲だった。この曲のデモも作っていたし、マークはスティーヴンの声真似で歌っていたよ。初めて聞いたときの俺たちの反応は「うわー、これ、マジでクールじゃないか!」だったね。そしてレコーディングを行った。これは非常にユニークな曲だし、個人的にかなり気に入っているよ。
「支配者の女」(1974年)
ハミルトン:スティーヴンが「Lord of Thighs」(太ももの支配者の意)という言葉を思い付いたのが面白いと思う。メンバー全員がこの曲をやるのが楽しくて仕方ないんだ。ベースにとってはかなりチャレンジングな曲だ。忍耐力勝負のところがあってね。2枚目のアルバムに収録されているかなりシンプルなロック曲なんだけど、これを上手に弾きたいという俺のプライドもあるんだよ。
ウィットフォード:これもセットに戻ってきた曲の一つだ。こういう戻ってくる曲もあるし、セットから出たり入ったりする曲もあるんだ。1~2度プレイすると飽きてしまって、他の曲と入れ替えるのさ。
「ホワット・イット・テイクス」(1989年)
ハミルトン:「ホワット・イット・テイクス」は最高だと思う。バラッド曲とは言え、感傷的じゃない。この曲の感情はかなりリアルで、コード変更にとても美しい部分があるんだ。この曲は何度プレイしても、ものすごい集中力が必要で、集中力が続くとちゃんと弾くことができる。でも、少しでも集中力が欠けるとちゃんとできない。だから、俺はこの曲を弾くときはいつも、自分の能力マックスでやりたい。まあ、その日のコンディションを計るテスト的な曲でもあるかな。
ウィットフォード:これも最高の曲で、スティーヴンにとっては広い音域を披露するのに最適の曲だ。最近のスティーヴンは音域が少し狭まっているから、歌うのが少し大変な曲だけどね。でも、これは俺のお気に入りの曲だよ。
「エレヴェイター・ラヴ」(1989年)
ハミルトン:これも楽しい曲で、レコーディングしたときに本当に楽しかった思い出の曲でもある。このMV撮影は完全に拷問だったが、出来上がりは最高だった。それに、スティーヴンが(本来の歌詞とは違う)その瞬間に頭に浮かんだ言葉で歌うのが面白いんだよ。大抵、相当ダーティーな言葉ばかりだから。彼は口汚い言葉で歌って、俺は腹を抱えるって状態だ。でも観客は気づいていないんだよ。
ウィットフォード:これも大掛かりなMVを作ったヒット曲だね。ジョーはよくインパクトの強い神リフを思いつくんだけど、あれもその一つだよ。
「闇夜のヘヴィ・ロック」(1975年)
ハミルトン:この曲もかなり速いから、毎晩「ちゃんと出来るかな」と思ってしまう曲の一つだ。あのフレーズをあの速さで弾きこなすと自分でも誇らしく思えるね。アルバム『闇夜のヘヴィ・ロック』を作ったとき、一番興奮したのがこの曲だった。この曲はロック曲として俺たちや観客の興奮を誘発するスピード感があるけど、音楽的な要素もたくさん散りばめられている。そんな曲ができて本当にワクワクしたんだ。この曲でセットを締める理由は、この曲に最後らしい盛り上がりがあるからだ。ものすごく速いし、そのおかげでバンドはこのセットを迫力満点の状態で終えることができる。そして、観客は次に何が起こるかとワクワクし始めるんだよ。
ウィットフォード:今の俺たちはアルバム収録時よりも少しだけスローダウンしていると思うけど、それでもけっこう速いよ。これでライブの盛り上がりが最高潮に達して、俺たちがステージから降りる前に観客が全員立ち上がってくれる。俺たちはステージ袖にはけて、首にタオルをかけて、アンコールをやりにステージに戻るのさ。
「ドリーム・オン」(1973年)
ハミルトン:アンコールをやるためにステージに戻ると、この曲を単調でムーディーな感じで演奏し始める。そして、そこから徐々に盛り上げるんだ。「ドリーム・オン」は毎晩プレイする曲だね、間違いなく。「リヴィング・オン・ジ・エッジ」同様に、この曲にもドラマチックな展開があって、静寂からラウドなパートまでダイナミクスも幅広い。この曲をスティーヴンが作っていたとき、俺たち全員が同じアパートで生活していて、そこにスティーヴンの家族が持っていたピアノを持ち込んでいた。そのピアノが入る広さがあったのは俺の部屋だけで、朝起きると、スティーヴンがそのピアノで、歌詞ができる前のこの曲を弾いていたことが何度かあった。「トム、この曲は絶対に大ヒットするぞ。最大のヒット曲になる」って彼はよく言っていた。俺もそうだと思ったね。
タイラー:この曲はエステー・オルガンで作った。ニューハンプシャー州スナピーにあったトゥロウ・リコ・リゾートで、毎週日曜の夜に父がリサイタルを行っていたスタジオの外にあったオルガンだった。手動で操作ながら弾くこのオルガンの音響が心に染みて、俺はうっとりと魅了されていた。だから、この曲は俺が作ったというよりも、自分で勝手に出来上がった感じだ。その後、俺たちはボストンに行って、空港近くの古いモーテルに滞在していた。もうすぐアルバムを作るためにスタジオに入るってときで、この曲の歌詞をまだ作っていなかった。だから、モーテルのバルコニーに座って歌詞を書いたんだよ。この曲のメッセージは時代が変わっても生き続けているから、これはこの先ずっと残る曲だと思う。それに、あの叫びも忘れちゃいないな。
ハミルトン:やっとレコード契約にこぎつけたとき、この曲をレコーディングできることになった。そのスタジオは5人がやっと入るくらいの広さだったよ。そこで5~6時間かけてこの曲を作り上げた。特にスティーヴンはソングライターとしての作業に集中して、自分の感情も掘り続けて、これで完成だと思えるところまでやった。あのときの情景は今でも鮮明に思い出せる。この曲はエアロスミスという名前を有名にした3曲の1曲だ。
ウィットフォード:ベガスではステージの端にピアノが置いてあって、アンコールに出ていったスティーヴンは毎晩そのピアノの前の座るんだ。実は俺たちですらスティーヴンが何を演奏するのか知らないことが多い。最近は最初にビートルズの曲を部分的に弾いたり、エアロスミスの昔の曲を弾いたり、俺たちがライブでプレイしない曲を弾いたりして、最後に「ドリーム・オン」と歌い出す。この曲はクラシック・ロックのラジオ局が存続する限り、流し続けられる曲の一つだよ。時代の変化の中でもしっかりと残った曲だ。
「チップ・アウェイ・ザ・ストーン」(1978年)
ハミルトン:この曲はリチャード・スーパが作った曲で、リッチーはバンドと仲が良かったんだ。これは「ブラウン・シュガー」的な曲だと言える。観客のほとんどがこの曲を知らない。確か、これはスタジオ・アルバムには収録されていないと思った。あと、「カム・トゥゲザー」もここでプレイすると盛り上がるんだけど、ここ2~3公演では「チップ・アウェイ~」を続けてやっている。しばらくこの曲をやって、また「カム・トゥゲザー」に戻るんじゃないかな。
ウィットフォード:この曲は前に数回プレイしたことがある。この曲を知っている人たちは気に入るのだが、ベガスの観客の中にはこの曲を知らない人がけっこういると思う。でも、この曲のテンポが絶妙で、観客も足踏みしながら楽しめる曲だよ。俺たちはこの曲を演奏するのが楽しくて好きなんだ。リフもロックらしくてクールだよ。
タイラー:この曲はかつてよくラジオでエアプレイされていたよ。アルバム・オリエンテッド・ロック(AOR)時代に人気が高かった。この曲のコーラスは最高だよ!
「ウォーク・ディス・ウェイ」(1975年)
ハミルトン:この曲の背景には特別な物語がある。最初、曲のタイトルが思いつかなかった。パーツを全部リハーサルして、アレンジも決めて、曲をまとめたのだが、スティーヴンがまだヴォーカル・パートを作っていなくてね。その夜、俺たちはみんなで劇場にくり出して、映画『ヤング・フランケンシュタイン』を観た。そしたらマーティ・フェルドマンが駅でジーン・ワイルダーを拾うシーンがあって、そこでフェルドマンが「ウォーク・ディス・ウェイ」と言って足を引きずって階段を降りると、ワイルダーも足を引きずって降りた。これは三ばか大将の古いギャグで、初期のエアロスミスは三ばか大将ととても仲が良かったんだよ。
ウィットフォード:この曲には本当に逸話がたくさんある。特にRun-DMCが彼らのバージョンを作って、俺たちも一緒にMVに登場したのは、本当にものすごい影響力だった。
ハミルトン:1970年代にファンの間ではこの曲が大人気だった。そのあと、今度はロックとヒップホップが融合する象徴となったわけだ。あのとき、リック・ルービンがRun-DMCをプロデュースしていて、当時のリックはエアロスミスのファンだった。そしてRun-DMCのメンバーもこの曲が大好きで、彼らはこの曲のビートを求めたのさ。この曲の歌詞を注意深くとラップっぽいし、俺たちはヒップホップが生まれる何年も前にこれを作っていたわけだ。Run-DMCのメンバーが子供の頃にこの曲を使ってラップの練習をしたらしいよ。
ウィットフォード:この曲はコンサートの締めとして完璧だよ。
エアロスミスがラスベガスで行っているレジデンス公演「Deuces Are Wild」のセットリストを毎晩作るのは容易なことではない。
彼らが半世紀に渡ってヒットを飛ばし続けていることに加えて、ファンのお気に入り曲、ディープカット曲(訳註:商業的に成功しなかった楽曲のこと)、大好きなカバー曲などを、約90分間のコンサートにすべて入れ込まないとダメなのだ。さらに、オリジナルメンバーが5人全員揃っているこのバンドは、それぞれのメンバーが公演を成功させるためのアイデアを持っている。ブラッド・ウィットフォードが説明する。「何度も行ったり来たりしている。30秒で決まることもあれば、メンバー全員が『この曲、やろうぜ。これはどうだ?』と10分間言い続けることもあるよ」と。
コンサートごとに演奏する楽曲を自由に変えることが許されているため、「ムーヴィン・アウト」や「ドロー・ザ・ライン」などの曲は2~3回試しに演奏されたあとで、あっさりとセットリストから外された。しかし、「ドリーム・オン」や「やりたい気持ち」などのヒット曲は、外されることなく今も毎晩演奏されている。
この夏、エアロスミスはラスベガス公演と同じ内容のコンサートツアーを東海岸で行ったのだが、9月21日からはラスベガスのパークMGMにあるパーク劇場に戻り、途中で休暇を挟みながら2020年6月までレジデンス公演を続けることになっている。
ある日の休暇時間に、ブラッド・ウィットフォード、トム・ハミルトン、スティーヴン・タイラーに最新セットリストの各曲について話してもらった。
「トレイン・ケプト・ア・ローリング」(ティニー・ブラッドショー/ヤードバーズのカバー、1974年)
テイラー:この曲は俺たちがバンドを始めて最初に覚えた曲の一つで、当時の観客の反応が俺たちの望み通りだった。今、この曲をプレイして、観客があの頃と同じ反応をするのを見ると、当時の興奮を思い起こすよ。
エアロスミスの前にいくつかのバンドで活動していた頃、いつもヤードバーズを聞いていたから、エアロスミスを始めた頃に最初にちゃんと覚えたのがこの曲だった。
ハミルトン:ジョーも、スティーヴンも、俺も、10代の頃はヤードバードに夢中だった。ジョーと俺は14のときから、一緒にバンド活動するときは必ずヤードバーズの曲をプレイしていたものだ。この曲は俺たちがあの頃に無意識に選んだもので、文字通り、それ以来ずっとプレイしている。俺たちにとってはエンブレムみたいな曲だし、今でも演奏するのが楽しい。観客がびっくりして目を覚ますくらい激しいやつでライブを始めたいと、俺たちはいつも思うんだよ。
ウィットフォード:この曲にはたくさんの物語がある。バンド結成初日からこの曲をやっているけど、アルバム『飛べ!エアロスミス』に収録したものですら、何度か変化している。あれこれ手を入れたり、ちょっとだけ変えたり、スローにしてみたりして、最終的にあのアルバムに収録されたのがこのスロー・バージョンだった。そのあと、スピード・バージョンもやってみた。これはライブ録音という触れ込みだったが、実はライブ録音じゃない。(プロデューサーの)ジャック・ダグラスがスタジオで作り直して、大きなアリーナで録音したような音に加工したんだ。
観客の歓声は、確か『バングラデシュ・コンサート』から拝借したものだと思ったな。つまりライブっぽく捏造したってこと。みんな、あれが実際のライブだと思っているようだけど、実は違うよ。
「デュード」(1987年)
ハミルトン:今回のラスベガス公演の前はしばらくこの曲をプレイしていなかった。スティーヴンが歌詞に関してちょっと思うところがあったようなんだ。まあ、歌詞がちょっとバカすぎると思ったらしいが、俺はそんなふうに感じたことは一度もない。メロディも、ビートも、ギター・パートも最高にいいから、歌詞の内容なんてほとんど意識しないだよ。でも、あの曲が作られた頃のロックの世界を思い起こすと、当時ロック・シーンで活躍していたのはカリフォルニア出身のバンド、例えばモトリー・クルーやポイズンなどで、彼らを冷静に観察した様子があの曲で描かれていると思うね。連中は女みたいな格好をしていた。そういうシーンの様子を描いた曲をプレイするって至極まともだよ。この曲は演奏するのがけっこう大変だけど、観客はこの曲でライブモードのスイッチが入る。抵抗できないくらい魅力的な曲さ。
ウィットフォード:スティーヴンがモトリー・クルーのヤツ(ヴィンス・ニール)とつるんでいたのを覚えているよ。確か、ヤツの「デュード」の使い方にスティーヴンは感銘を受けたと思った。あの頃、ヤツは何でもかんでも「デュード」って呼んでいた。同じ頃にジョーが面白いアイデアを持ち寄ったから、この二つが合体したのさ。(プロデューサーの)ブルース・フェアバーンがいい仕事してくれたのも大きい。ファンはこの曲が好きだね。この曲の知名度を上げたのが映画『ミセス・ダウト』だ。メジャーな映画で使われると、多くの人が耳にすることになるから。ただ、あの映画でこの曲を聞いていても、誰の曲かまで知らない人も多いようだけどね。
「アザー・サイド」(1989年)
ハミルトン:この曲は大ヒットした。だから何度もセットに組み込もうとしたのだが、なぜか上手く行かなかったんだ。演奏していても楽しくなかったし、前は違和感を感じたよ。
この曲を上手く演奏するために本当に苦労していたけど、今は一緒に演奏してくれる素晴らしい人たちがいる。パーカショニストがいるし、バック・ジョンソンというキーボーディスト兼シンガーもいる。シンガーとしても、ミュージシャンとしてもバックは驚異的だ。あと、バックアップシンガーのスージー(・マクニール)もいる。彼らとならあのハーモニーを再現できるから、今回もう一度トライしてみることにした。キーも調整して、数回プレイしてみたけど、今回は最高のサウンドだよ。
ウィットフォード:この曲について観客がどれだけ知っているかは定かじゃないが、この前この曲をプレイしたとき、観客のほとんどが初めて聞くような反応だった。俺たちが演奏する曲の中にはそういう反応の曲もあるよ。特に今回の公演ではね。ベガスの観客というのは、エアロスミスのファンだけじゃないから。エアロスミスの勉強をしてきたファンも多くないだろうから、「この曲は知らないな」と言うのも当然だ。この曲はそれほど知られている曲じゃないしね。
でも、バンドのメンバー全員がどうしてもプレイしたい曲なんだ。ただ、このままこの先もセットに残るかはまだ分からないけど。
「ラグ・ドール」(1987年)
ハミルトン:この曲は本当にシンプルで、ストレートなロック曲で、あとからバンドのファンになった人たちが好む曲だ。最初のアルバム当時からファンたちと、1980年代にファンになった人たちがいるから、バランスのいい選曲で両方のファンを楽しませようとしているんだ。「ラグ・ドール」は両方のファンが思い切り楽しんでくれる曲だね。
ウィットフォード:MTVで繰り返し放送されたミュージック・ビデオを作った曲を演奏するときは、観客全員が知っていると保証されているようなものさ。この曲はいい曲だし、プレイしていても楽しい。ニューオリンズであのMVを作ったときのことを覚えているよ。テネシーでも撮影した部分があって、それ以外は全部ニューオリンズで撮影した。バーボン・ストリートなどをぶらつくのは本当に楽しかったよ。
「ラスト・チャイルド」(1976年)
ハミルトン:「ラスト・チャイルド」は俺が思い付いたリフがベースになった曲だ。曲に対する俺の感覚や感情は、その曲のレコーディングのときの様子や、リハーサル時のバンドの様子などに影響されることが多い。
この曲は、俺たちが絶好調のときに生まれた曲で、アルバム『ロックス』は1970年代のエアロスミスのピークだった。この曲をプレイするのは楽しいし、リード・ギタリストとして前に出てプレイするブラッドを見るのも楽しい。この曲ができた時期は、毎回前作を凌ぐ新作を作っていたときだよ。
ウィットフォード:あのアルバムがリリースされたときのことは覚えている。俺たちはツアー中でロンドンにいた。当時、イギリスで一番有名な音楽誌がメロディ・メーカーだった。この雑誌を読んでいたら、俺たちのアルバムのレコ評が載っていた。その中で「ラスト・チャイルド」を褒めていたし、この曲のギターワークをジェフ・ベックと比較しても素晴らしい出来とも書いてあった。でも困ったことに、彼らはこのギターをジョーがプレイしていると断言していたのさ。この曲のギターは全部俺が弾いているのに! それを読んで、俺は「ちくしょう! これはフェアじゃない!」と激怒したよ。
「やりたい気持ち」(1975年)
ハミルトン:セットの初めの方でこの曲をやるというアイデアはジョーのものだ。俺は観客に感謝を伝えるライブの後半に入れるべきだと思っていた。そこで、ジョーは試してみることを提案して、それから何度も様子を見てみた。今ではセットの前半にこの曲を演奏しているけど、この曲独自の効果とインパクトが十分に発揮されているよ。この曲のベーシックな部分、ペース・パート、ベーシックなギター・パートは俺が作った。そのあとで、スティーヴンが歌詞とボーカル・パートを作ったんだよ。
ウィットフォード:この曲をライブの前半でやる理由が俺にはわからない。大胆な変化球って感じだ。今後、プレイする位置が変わる可能性はあると思う。この曲は大ヒット曲だし、とてもユニークな曲でもある。トム・ハミルトンのための曲と言ってもいい。この曲はクラシック・ロックのラジオ局で永遠に流される曲だよ。
タイラー:ベガスでは90分間しか演奏できないから、その間にヒット曲を全部入れなきゃいけない。そのため、仕方なくセットの前半に移動した曲もあるんだ。この曲はセットのどこでプレイしても観客の反応が凄まじいよ。
「ハングマン・ジュリー」(1987年)
ウィットフォード:この曲も人によっては初めて聞く曲だね。でもこの曲をプレイした時点から全体のスピードを落とし始めるんだ。そして、スティーヴンとジョーがステージの前方で椅子に座り、玄関先のポーチでジャムっている感じのセッションを行う。これもユニークな曲で、スティーヴンが思い付いたアプローチは見事と言うしかないよ。
ハミルトン:これはブルース曲だけど、とても芳醇で濃厚な空気感が漂っている。それにフックがてんこ盛りだ。バンドがこの曲をプレイしようという気になるまで何年もかかったけど、今では毎晩演奏しても大丈夫だから、セットにこれが入って俺は満足だね。バンド全員がこの曲をこのままセットに残す気になってくれると嬉しいが、どこかの時点でこの曲を他と入れ替えることになるだろうね。でも、この曲を演奏するときの照明が最高にカッコいいんだよ。
「折れた翼」(1974年)
ハミルトン:これも寂しげだけどパワフルな空気感を持った曲だ。それに静寂でダークなパートから、一気にパワフルなコーラスが広がるダイナミックな曲でもある。俺はこの曲が大好きだね。70年代のエアロスミスの音楽が好きなファンもこの曲がお気に入りの人が多いよ。
ウィットフォード:これもスティーヴンがほとんどのパートを作った曲で、彼にとっては特別な曲なんだ。この曲をプレイしてほしいというリクエストがひっきりなしにくる。セットに入れないと、観客がこの曲をやってくれと必ず言うんだよ。ベガスでは毎晩この曲をやっていて、とにかく人気の高い曲だね。この曲自体のフィールも、この曲を聞いた人が受ける印象も、かなり独特なものがあるよ。
「ストップ・メッシン・ラウンド」(フリートウッド・マックのカバー、2004年)
タイラー:この曲ではジョーが必死に歌っているし、俺をエアロスミスに加入したいと思わせてくれたバンド、つまりフリートウッド・マックへの感謝の印でもあるんだ。
ウィットフォード:いつからこの曲をプレイしているのか、もう覚えていないけど、けっこう前からやっている。この曲でジョーは歌声を披露できるし、俺たちがこのブルース曲を演奏している間に、スティーヴンは喉を休めることができるんだ。この曲を何年もプレイし続けているものだから、あのシャッフルはもうお手のものだよ。やっていて本当に楽しい曲さ。ラスベガスの音楽監督はこの曲でサックスを吹くし、けっこう大掛かりなジャムセッションになっている。ソロもたくさんあって、ジョーも俺もソロを弾く。スティーヴンはハーモニカで参加する。それにキーボードのバックもソロがある。ほんと、めちゃくちゃ楽しい曲なんだよ。
「クライン」(1993)
ハミルトン:この曲に対して俺はニュートラルな立場だ。お気に入りでもないし、すぐにセットから外しても構わないし、プレイするのも吝かではない。この曲の背景にある物語の始まりは、それまでずっと俺たちの曲を放送していたラジオ局が、パール・ジャムやニルヴァーナが出てきたら、いきなり「もうラッシュやエアロスミスやピンク・フロイドはかけない」って言い出した現実がきっかけだった。でも、俺たちは新しい音楽ができたことを何とかして世間に知らせたかった。そこで、俺たちの曲がトップ40に入るか賭けてみたのさ。この曲はその中の一つで、多くの人はロック曲だと思っているようだが、俺には本物のロック曲には聞こえない。曲作りの観点で見るとハイクオリティで、本当によく出来た曲だし、歌詞も、メロディも全部いいとは思う。この曲がトップ40に入ってくれてありがたかったし、おかげで他の曲もヒットした。そういうヒット曲がなければ、俺たちの曲がラジオで流されることもなったからね。
ウィットフォード:この曲はものすごい人気だった。この曲のMVは、とにかくテレビのパワーを見せつけるものだ。本当に、ものすごくパワフルなんだ。MTVは自分たちがそこに登場するなんて思っていなかったものだし、俺たちには馴染みのないものでもあった。でも(A&Rの)ジョン・カロドナーが(ディレクターの)マーティ・コールナーと俺たちを結びつけた。ジョンこそがエアロスミスのMV露出の影の仕掛け人さ。俺はトム(のこの曲をセットに入れ続ける意見)に賛成だね。俺自身は、自分たちの音楽カタログに埋もれている曲も発掘したいと思うし、いつも自分がやりたい曲ができるわけじゃないから。まだ一度もコンサートで演奏していない曲がたくさんあるし、ライブで演奏してみたい曲もたくさんあるし、そんなふうに思うようになってから何年も経っている。押し入れから出してステージで虫干しすべき曲がたくさんあると思う。「リック・アンド・ア・プロミス」とか、「シック・アズ・ア・ドッグ」とか、「ゲット・ザ・リード・アウト」とか、「戻れない」とか、「ノー・サプライズ」とか。この中の1曲でも今回のセットに入れば、俺は最高にハッピーだ。
「リヴィング・オン・ジ・エッジ」(1993年)
ハミルトン:これは大ファンと言えるほど好きな曲だ。好きな理由は「折れた翼」と同じ。最初にダークなパートがくすぶったあとで、ロック曲らしくはじける。この曲には絶対に飽きないドラマがある……ドラマの可能性があると言ったほうがいいかな。歌詞はこれから先、永遠にどの世代にも受け入れられると思う。国中の人間にダメージを与える強力なロクデナシはいつの時代も出現するし、その点でこの曲は人々の心の琴線に触れるんじゃないかな。
ウィットフォード:これはマーク・ハドソンが俺たちによこした曲だ。彼とは頻繁に仕事をしていたからね。彼からこの曲が送られてきたときのことを覚えているし、本当にきっちり作り上げられた曲だった。この曲のデモも作っていたし、マークはスティーヴンの声真似で歌っていたよ。初めて聞いたときの俺たちの反応は「うわー、これ、マジでクールじゃないか!」だったね。そしてレコーディングを行った。これは非常にユニークな曲だし、個人的にかなり気に入っているよ。
「支配者の女」(1974年)
ハミルトン:スティーヴンが「Lord of Thighs」(太ももの支配者の意)という言葉を思い付いたのが面白いと思う。メンバー全員がこの曲をやるのが楽しくて仕方ないんだ。ベースにとってはかなりチャレンジングな曲だ。忍耐力勝負のところがあってね。2枚目のアルバムに収録されているかなりシンプルなロック曲なんだけど、これを上手に弾きたいという俺のプライドもあるんだよ。
ウィットフォード:これもセットに戻ってきた曲の一つだ。こういう戻ってくる曲もあるし、セットから出たり入ったりする曲もあるんだ。1~2度プレイすると飽きてしまって、他の曲と入れ替えるのさ。
「ホワット・イット・テイクス」(1989年)
ハミルトン:「ホワット・イット・テイクス」は最高だと思う。バラッド曲とは言え、感傷的じゃない。この曲の感情はかなりリアルで、コード変更にとても美しい部分があるんだ。この曲は何度プレイしても、ものすごい集中力が必要で、集中力が続くとちゃんと弾くことができる。でも、少しでも集中力が欠けるとちゃんとできない。だから、俺はこの曲を弾くときはいつも、自分の能力マックスでやりたい。まあ、その日のコンディションを計るテスト的な曲でもあるかな。
ウィットフォード:これも最高の曲で、スティーヴンにとっては広い音域を披露するのに最適の曲だ。最近のスティーヴンは音域が少し狭まっているから、歌うのが少し大変な曲だけどね。でも、これは俺のお気に入りの曲だよ。
「エレヴェイター・ラヴ」(1989年)
ハミルトン:これも楽しい曲で、レコーディングしたときに本当に楽しかった思い出の曲でもある。このMV撮影は完全に拷問だったが、出来上がりは最高だった。それに、スティーヴンが(本来の歌詞とは違う)その瞬間に頭に浮かんだ言葉で歌うのが面白いんだよ。大抵、相当ダーティーな言葉ばかりだから。彼は口汚い言葉で歌って、俺は腹を抱えるって状態だ。でも観客は気づいていないんだよ。
ウィットフォード:これも大掛かりなMVを作ったヒット曲だね。ジョーはよくインパクトの強い神リフを思いつくんだけど、あれもその一つだよ。
「闇夜のヘヴィ・ロック」(1975年)
ハミルトン:この曲もかなり速いから、毎晩「ちゃんと出来るかな」と思ってしまう曲の一つだ。あのフレーズをあの速さで弾きこなすと自分でも誇らしく思えるね。アルバム『闇夜のヘヴィ・ロック』を作ったとき、一番興奮したのがこの曲だった。この曲はロック曲として俺たちや観客の興奮を誘発するスピード感があるけど、音楽的な要素もたくさん散りばめられている。そんな曲ができて本当にワクワクしたんだ。この曲でセットを締める理由は、この曲に最後らしい盛り上がりがあるからだ。ものすごく速いし、そのおかげでバンドはこのセットを迫力満点の状態で終えることができる。そして、観客は次に何が起こるかとワクワクし始めるんだよ。
ウィットフォード:今の俺たちはアルバム収録時よりも少しだけスローダウンしていると思うけど、それでもけっこう速いよ。これでライブの盛り上がりが最高潮に達して、俺たちがステージから降りる前に観客が全員立ち上がってくれる。俺たちはステージ袖にはけて、首にタオルをかけて、アンコールをやりにステージに戻るのさ。
「ドリーム・オン」(1973年)
ハミルトン:アンコールをやるためにステージに戻ると、この曲を単調でムーディーな感じで演奏し始める。そして、そこから徐々に盛り上げるんだ。「ドリーム・オン」は毎晩プレイする曲だね、間違いなく。「リヴィング・オン・ジ・エッジ」同様に、この曲にもドラマチックな展開があって、静寂からラウドなパートまでダイナミクスも幅広い。この曲をスティーヴンが作っていたとき、俺たち全員が同じアパートで生活していて、そこにスティーヴンの家族が持っていたピアノを持ち込んでいた。そのピアノが入る広さがあったのは俺の部屋だけで、朝起きると、スティーヴンがそのピアノで、歌詞ができる前のこの曲を弾いていたことが何度かあった。「トム、この曲は絶対に大ヒットするぞ。最大のヒット曲になる」って彼はよく言っていた。俺もそうだと思ったね。
タイラー:この曲はエステー・オルガンで作った。ニューハンプシャー州スナピーにあったトゥロウ・リコ・リゾートで、毎週日曜の夜に父がリサイタルを行っていたスタジオの外にあったオルガンだった。手動で操作ながら弾くこのオルガンの音響が心に染みて、俺はうっとりと魅了されていた。だから、この曲は俺が作ったというよりも、自分で勝手に出来上がった感じだ。その後、俺たちはボストンに行って、空港近くの古いモーテルに滞在していた。もうすぐアルバムを作るためにスタジオに入るってときで、この曲の歌詞をまだ作っていなかった。だから、モーテルのバルコニーに座って歌詞を書いたんだよ。この曲のメッセージは時代が変わっても生き続けているから、これはこの先ずっと残る曲だと思う。それに、あの叫びも忘れちゃいないな。
ハミルトン:やっとレコード契約にこぎつけたとき、この曲をレコーディングできることになった。そのスタジオは5人がやっと入るくらいの広さだったよ。そこで5~6時間かけてこの曲を作り上げた。特にスティーヴンはソングライターとしての作業に集中して、自分の感情も掘り続けて、これで完成だと思えるところまでやった。あのときの情景は今でも鮮明に思い出せる。この曲はエアロスミスという名前を有名にした3曲の1曲だ。
ウィットフォード:ベガスではステージの端にピアノが置いてあって、アンコールに出ていったスティーヴンは毎晩そのピアノの前の座るんだ。実は俺たちですらスティーヴンが何を演奏するのか知らないことが多い。最近は最初にビートルズの曲を部分的に弾いたり、エアロスミスの昔の曲を弾いたり、俺たちがライブでプレイしない曲を弾いたりして、最後に「ドリーム・オン」と歌い出す。この曲はクラシック・ロックのラジオ局が存続する限り、流し続けられる曲の一つだよ。時代の変化の中でもしっかりと残った曲だ。
「チップ・アウェイ・ザ・ストーン」(1978年)
ハミルトン:この曲はリチャード・スーパが作った曲で、リッチーはバンドと仲が良かったんだ。これは「ブラウン・シュガー」的な曲だと言える。観客のほとんどがこの曲を知らない。確か、これはスタジオ・アルバムには収録されていないと思った。あと、「カム・トゥゲザー」もここでプレイすると盛り上がるんだけど、ここ2~3公演では「チップ・アウェイ~」を続けてやっている。しばらくこの曲をやって、また「カム・トゥゲザー」に戻るんじゃないかな。
ウィットフォード:この曲は前に数回プレイしたことがある。この曲を知っている人たちは気に入るのだが、ベガスの観客の中にはこの曲を知らない人がけっこういると思う。でも、この曲のテンポが絶妙で、観客も足踏みしながら楽しめる曲だよ。俺たちはこの曲を演奏するのが楽しくて好きなんだ。リフもロックらしくてクールだよ。
タイラー:この曲はかつてよくラジオでエアプレイされていたよ。アルバム・オリエンテッド・ロック(AOR)時代に人気が高かった。この曲のコーラスは最高だよ!
「ウォーク・ディス・ウェイ」(1975年)
ハミルトン:この曲の背景には特別な物語がある。最初、曲のタイトルが思いつかなかった。パーツを全部リハーサルして、アレンジも決めて、曲をまとめたのだが、スティーヴンがまだヴォーカル・パートを作っていなくてね。その夜、俺たちはみんなで劇場にくり出して、映画『ヤング・フランケンシュタイン』を観た。そしたらマーティ・フェルドマンが駅でジーン・ワイルダーを拾うシーンがあって、そこでフェルドマンが「ウォーク・ディス・ウェイ」と言って足を引きずって階段を降りると、ワイルダーも足を引きずって降りた。これは三ばか大将の古いギャグで、初期のエアロスミスは三ばか大将ととても仲が良かったんだよ。
ウィットフォード:この曲には本当に逸話がたくさんある。特にRun-DMCが彼らのバージョンを作って、俺たちも一緒にMVに登場したのは、本当にものすごい影響力だった。
ハミルトン:1970年代にファンの間ではこの曲が大人気だった。そのあと、今度はロックとヒップホップが融合する象徴となったわけだ。あのとき、リック・ルービンがRun-DMCをプロデュースしていて、当時のリックはエアロスミスのファンだった。そしてRun-DMCのメンバーもこの曲が大好きで、彼らはこの曲のビートを求めたのさ。この曲の歌詞を注意深くとラップっぽいし、俺たちはヒップホップが生まれる何年も前にこれを作っていたわけだ。Run-DMCのメンバーが子供の頃にこの曲を使ってラップの練習をしたらしいよ。
ウィットフォード:この曲はコンサートの締めとして完璧だよ。
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