日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2020年7月の特集は、ライブ盤。
今回は、岡林信康と矢沢永吉のライブアルバムを語っていく。

アイ・ラヴ・ユー, OK / 矢沢永吉

こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは、矢沢永吉さんの「アイ・ラヴ・ユー, OK」。1975年9月に発売になったソロデビュー曲、そしてソロデビューアルバムのタイトル曲ですね。1976年に出たライブアルバム『THE STAR IN HIBIYA』からお送りしております。
今日の前テーマはこの曲です。

今月2020年7月の特集はライブ盤。2月以降に行われる予定だったツアーやライブがことごとく中止、或いは延期になっています。音楽史上初めてライブが行われない日本列島。早くライブが再開される日が来て欲しい。そんな心からの願いを込めて2ヶ月連続でのライブ盤特集。
レジェンドたちが残してきたライブアルバムから聴いていきます。

今日は伝説の野音と題してお送りします。日比谷野外音楽堂。関西・関東を問わず、日本のライブヒストリーの聖地ですね。ここでレコーディングされたライブアルバム。ご紹介する1枚目は矢沢さんの『THE STAR IN HIBIYA』。
コンサートが行われたのは1976年7月24日。1970年代、1980年代のロック系のバンドやアーティストで、この日比谷野音を経験していない人はいないと言ってしまいましょう。野音を舞台にして生まれた伝説、その一つが1975年4月13日のキャロルの解散コンサートですね。アンコールで打ち上げられた花火の残り火がステージセットに燃え移ってしまってセットが炎上した。炎の野音として語り継がれております。それから1年3ヶ月後にソロとして帰ってきたステージを記録したアルバムが、この『THE STAR IN HIBIYA』です。
そしてもう1枚も野音の伝説です。1971年7月28日、岡林信康さんが行なった「狂い咲き」という公演ですね。フォークの神様がデビュー以来の全ての曲を歌ったアナログ三枚組でした。その中からお聴きいただきます。フォークの神様とカリスマロックスターの野音です。

前半は岡林信康さんの曲をご紹介します。
ライブアルバム『岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き』からライブ1曲目「くそくらえ節」。

とっても素朴。フォークソングのステージでしょう。2月にURCレコードの特集をしたときにも触れたんですけど、岡林さんの「くそくらえ節」と「がいこつの唄」がメジャーなレコード会社で出せなかったんです。だったら、自分たちで世の中に出そうということで始まったのが、URCなんです。岡林さんが所属していた高石音楽事務所が主体になっておりました。
この野音のコンサートは、岡林さんが全部の曲を作った順番で歌う公演で、1曲目がこの「くそくらえ節」、2曲目が「がいこつの唄」でした。

「友よ」を問題の歌と言っていました。どんなふうに問題だったのか? それは1969年に新宿西口フォークというのがありまして、そういう場所で皆が大合唱してこの歌を歌ったんです。学生運動では学生が全面的に負けまして、混迷して敗走を重ねていた時代ですね。学生はどんどん行き場を失った時代です。「友よ」の夜明けが近いっていう歌詞が、楽観すぎるのではないか? 綺麗事じゃないか? ということで批判されたんですね。歌に何の罪もないんですけど、そういう時代でした。岡林さん自身が歌詞を変えて、夜明けは来ないと歌っていたこともあるんです。このライブではちゃんと原曲通りに歌っておりました。1968~1971年というのが、この岡林さんが言っていた4年間ですね。日比谷野外音楽堂というのは、戦前からある音楽堂なんです。でも1960年代には政治集会の場所として使われていたんですね。国会議事堂に向かうデモの集会は、まず野音に集まって国会に向けてデモ行進していく。そんな場所でありました。岡林さんはそうやって集まってくる政治意識の高い人たちに、祭り上げられていたんですね。そこから叩かれるという反動も彼を追い込んでいきました。岡林さんはギターの弾き語りでデビューして、途中からバンドをつけるようになったんですね。それがはっぴぃえんどでありました。次は、1969年に発売になった『わたしを断罪せよ 岡林信康フォーク・アルバム第一集』より「今日をこえて」。こちらはバンドがついております。

この曲を山下達郎さんのライブで知ったという方もいるのではないでしょうか。達郎さんがここ何年かこの曲をカバーしていましたからね。岡林さんはフォークの神様として世の中に紹介されたりしました。初めは弾き語りだったのですが、途中からバンドが入ってきます。「今日をこえて」のオリジナルが収録されているアルバム『わたしを断罪せよ 岡林信康フォーク・アルバム第一集』では、ジャックスのメンバーがバックをつとめておりました。ギターの弾き語りで始まって、バンドをつけるというのは当時一番影響力があったボブ・ディランに端を発していますね。岡林信康さんが1970年のアルバム『岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ』で起用したのが、はっぴいえんどですね。はっぴいえんどは1970年にデビューしましたから、1971年の日比谷野音では柳田ヒロバンドがバックをつけております。柳田ヒロさんは元エイプリル・フールです。エイプリル・フールといえば、小坂忠さん、細野晴臣さん、松本隆さんと一緒でありました。後に吉田拓郎さんと新・六文銭を組むという、1970年代の重要人物の1人です。キーボードが入っているわけですから、柳田ヒロさんのカラー、ちょっとジャズっぽいアレンジになっていますね。はっぴいえんどとはやや違っております。それでは、岡林さんがはっぴいえんどをバックバンドに迎えた2枚目のアルバム『岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ』の曲です。「私たちの望むものは」。

岡林信康さんの「私たちの望むものは」。1971年の日比谷野外音楽堂でのライブアルバム『岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き』よりお聴き頂いております。1960年代の日比谷野音は政治集会の場所でありました。ステージの後ろには垂れ幕でスローガンが掲げられていて、色々な団体の旗がステージを埋め尽くし、その中央で弁士がアジテーションをする場所だったんですね。音楽に使われるようになったのは、1969年に10円コンサートというのが始まってからですね。最初はフライドエッグというバンドを率いていたギタリスト成毛滋さん、そして元ゴダイゴのミッキー吉野さんですね。フライドエッグというバンドはギターが成毛滋さんで、バンドが高中正義さん、ドラムが角田ひろさん(現:つのだ☆ひろ)ですね。2回目の10円コンサートから内田裕也さんが加わってくるんです。1970年になると、「日本語のフォークとロックのコンサート」というコンサートが始まって、音楽に道が開かれるんですね。「日本語のフォークとロックのコンサート」には、はっぴいえんど、吉田拓郎さん、遠藤賢司さん、頭脳警察や岡林信康さんなどフォークもロックも日本語オリジナルの歌を歌っている人たちが集まっておりました。今、皆が思い描くようなコンサートは50年前にはなかったんですね。そんな中でワンマンコンサートができた岡林さんは、どれほど人気があったのかという証明でもあります。岡林さんはこの日比谷公演の後に会場から失踪したり、行方不明になったりして、京都の山奥に隠遁してしまう。そんなコンサートでもありました。

1976年に出たライブアルバム『THE STAR IN HIBIYA』
トラベリン・バス / 矢沢永吉

矢沢永吉さんの「トラベリン・バス」。1976年6月に出た2枚目のアルバム『A Day』の曲ですね。1976年に出たライブアルバム『THE STAR IN HIBIYA』からお聴きいただいております。作詞が西岡恭蔵さんで、作曲が矢沢永吉さん。西岡さんは元ザ・ディランというグループのメンバーでした、URCですね。先ほどの岡林さんの野音から5年後に、この矢沢さんの『THE STAR IN HIBIYA』が開催されました。前の年にキャロルの炎の解散コンサートで、バンドにピリオドを打ってソロになった矢沢さんがここに帰ってきた。「帰ってきたぞー!」という風に叫んでますが、矢沢さんのソロの第一歩というのはかなり苦戦していたんです。それを乗り越えてここに戻ってきたというライブです。キャロルの解散コンサートは、文化放送のスタジオと被って行けなかったんですけど、この「THE STAR IN HIBIYA」は会場にいました。スターというネーミングがとても新鮮に響いた。胸に星の入ったTシャツを着ておりました。そのTシャツは、矢沢さんが自分でスプレーをして作ったんだというのは後になって知りました。キャロル時代とは明らかに違った。そんな曲をお聴きいただきます。1976年の「最後の約束」1975年の「奴はデビル」。続けてどうぞ。

最後の約束 / 矢沢永吉
奴はデビル / 矢沢永吉

矢沢永吉さんの1976年に出たライブアルバム『THE STAR IN HIBIYA』、1976年7月24日の日比谷コンサートを収めております。これはキャロルの解散コンサートから1年後だっていうことを頭に置いてお聴きいただけると、矢沢さんがどういう存在なのかよくお分かりいただけると思います。キャロルが解散したときに、矢沢さんはすでに次のビジョンを描いていた。曲も書いていたし、レコーディングもロサンゼルスでやるんだとも決めていた。1枚目のアルバム『I LOVE YOU, OK』のプロデューサーは、『ゴッド・ファーザー』や『華麗なるギャツビー』などの映画音楽で有名なトム・マック。そして音楽は、お聴きいただいて分かるように革ジャンとリーゼントのロックンロールではないんです。でもファンはまだそれを求めていた。そしてもう一つは世間のイメージです。それが矢沢さんが苦戦した理由の一つでもあります。

1975年のツアー「AROUND JAPAN」というのがありまして、最終日が1976年1月の中野サンプラザ公演でした。このツアーで有名な佐世保のエピソードがありますね。キャパ1400人で、タダ券を撒いて300人集めた。つまり、革ジャンにリーゼントを求めていたファンからは、矢沢さんは当初総スカン、なんだあいつはと言われたんですね。中野サンプラザもオープニングでアメリカのロサンゼルスのようなチアガールが登場したんです。その時、客席は「何が始まったんだ?」とキョトンとしていた。そして、矢沢さんは白いスーツで出てきて、客席がかなり引いたというシーンがありました。その後1976年4月から「33000MILES ROAD JAPAN」というツアーが始まった。そのツアーの一環がこの日比谷公演ですね。矢沢のライブは危険だから会場を使わせないというところも出てきたりしたライブでした。つまり、昔のイメージを求めるファンと、矢沢さんのやりたい音楽が時々すれ違う、そういう場面のあるコンサートツアーだったんです。この日比谷の野音でも、こういうシーンが出現しました。続いてお聴きいただくのは、「ウィスキー・コーク」、「恋の列車はリバプール発」。

ウィスキー・コーク / 矢沢永吉
恋の列車はリバプール発 / 矢沢永吉

矢沢永吉さんの1976年に出たライブアルバム『THE STAR IN HIBIYA』から、「恋の列車はリバプール発」。作詞は相沢行夫さんです。後のNOBODYのメンバーでもあり、キャロルの前のバンド、ヤマトの時代から矢沢さんの仲間でしたね。「恋の列車はリバプール発」は、この日2度目の演奏で1曲目もこの曲でした。そして、お聴きいただいたように「ウィスキー・コーク」のあのシーンも、当時コンサート会場で繰り広げられていて、矢沢のライブは喧嘩が起きるみたいな噂も流れてしまうんですね。キャロルの解散ライブの映像をご覧いただくと分かるんですけども、ステージに日本酒の瓶が並んでいたりして、本当に荒っぽいです。矢沢さんが日比谷に来る途中の行程をクールスが先導している映像を撮ったのは、後に尾崎豊さんを撮る佐藤輝さんという映像作家なんですけど、いわゆる暴走族のイメージが強かったんですね。コンサート会場でも、お客さんと警備員が殴り合いするシーンが珍しくはありませんでした。野音はそういう場所でもあったんですね。村上龍さんの芥川賞受賞作『限りなく透明に近いブルー』もちょうどこの頃に発売されたんですが、その中で野音で警備員と喧嘩するシーンが出てきます。そういう色々な状況を矢沢さんは音楽で乗り越えていった。この野音はバンドがすごい。ギターは高中正義さん、相沢行夫さん、ベースが後藤次利さん、キーボードが今井裕さん、ドラムが高橋幸宏さんと大森正治さん、ホーンセクションでジェイク・コンセプションがサックスで参加した。ミカバンドを解散した後のサディスティックスが中心になっているんですね。矢沢さんはこのメンバーを紹介しております。お聴きいただく曲は「A DAY」。

A DAY / 矢沢永吉

矢沢永吉さんの1976年に出た2枚目のアルバム『A DAY』のタイトル曲。あと10年、20年走り続けますと言ってから44年が経ちました。矢沢さんはロックをメジャーな音楽にした最大のレジェンドです。この翌年に武道館ライブも行なって、長者番付の一位になったのが1978年です。1976年に出た矢沢永吉さんのライブアルバム『THE STAR IN HIBIYA』から「A DAY」をお聴きいただきました。

「J-POP LEGEND FORUM」ライブ盤特集7周目、伝説の野音。ご紹介したのは、1971年に発売になった、岡林信康さんのライブアルバム『岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き』。矢沢永吉さんの1976年に出たライブアルバム『THE STAR IN HIBIYA』。流れているのは、この番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。

冒頭で1970年代、1980年代にデビューした人で野音を通過していな人はいないと言ってしまいましたが、東京には野外の会場自体が当時、なかったですからね。しかもお客さんが3500人以上入るわけで、渋谷公会堂や中野サンプラザよりも大きい。野音の後は武道館っていうのが、ステップアップの段階になっておりました。勢いが一番あるのが野音だったんです。勢いということでいうと、JUDY AND MARYの日比谷野音がありました。「Over Drive」を演奏する時に、YUKIさんが「JUDY AND MARYこの勢いを止めたくない!」と叫んでました。野音を舞台にして駆け上がっていったということでいうと、この矢沢永吉さんに尽きるでしょうね。キャロルの最後も野音で、1年後のソロも日比谷で。「野音、帰ってきたぞ」という言葉が、まさに彼の1年間を象徴しておりました。スターっていう言葉って、日本だとどうしても芸能界的なイメージがあるんですよ。アメリカのロックスターっていうのは、ロッド・スチュワートだったり、毛皮にワインみたいなイメージがずっとついていたんですが、矢沢さんが日比谷野音公演を「THE STAR IN HIBIYA」と名付けたときに、スターってこういう人も言うんだ、こういう人がスターなら僕らはスターを待望している。そういう気持ちになったのを覚えていますね。矢沢さんがスターとロックの新しい関係を見せてくれた。俺たちだってスターになれるんだっていうのを身を以て示してくれたライブでした。矢沢さんの特集はいつかやりたいなと、ずっと思っているんです。キャロルのデビュー直前のコンサートから見ていて、自分なりに語ることはできるんですが、矢沢さんがあれだけ説得力のある言葉で自分の音楽について語っているので、僕が出る幕はないよなっていう感じではいたんですが。でも、いつかやりたいと思っている特集であります。

<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
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「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
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